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かわうその川流れ日記⑩~都会で感じたこと・あなたの心をきっと癒してくれるサンクチュアリ~

10日目。

前回変えたタイトルがもう馴染んできた。
この文字列を見るだけでざわついていた心が落ち着きを取り戻す。水のせせらぎと、抵抗虚しく無情にも下流へと流されていくかわうその声と、それから諦念を得て、ただ空に溶けるような静寂を纏った彼の吐息だけが聞こえる。すべての生命の安らげるサンクチュアリがここにはあったのだ。

以下本文。

8日目と9日目で書いたように、都会は私には居心地が悪く感じられた。個人の存在自体と価値のの揺らぎとか不安定さにいたたまれなくなるからだ。
しかし、私は見つけてしまった。心を休められるサンクチュアリを。あの文字列の隙間にしかなかった夢空間にだけではなく、現実にもあったのだ。それがいわゆる「路地」である。「露地」とも表記し、その場合若干の意味上の違いがあるようであるが、今回は建物と建物の間の細い通りという意味で用いる。

少しの静けさと陰、しかしわずかに差し込む陽光と特別な主張を伴わず咲く植物、いたりいなかったりする受肉した気まぐれ・猫。
まさにホーリーサンクチュアリと言っていい、聖なる・静なる・生なる空間である。

そしてさらに良いのが、密閉空間ではなく、常に通りの様子が窺えるため、精神と肉体を休められたら、また喧騒渦巻く人々の輪の中に苦労なく戻れることである。

入ってしまうともう戻れない、という決心を固める必要もなく、休みたいタイミングで入って、出たいタイミングで出ればいい。そういう場所があると思うだけで、なんと心が軽くなるだろうか。

都会に来て心が軋む音が聴こえたら、ぜひこのサンクチュアリへと足を運んでほしい。ここは何人たりとも拒まない。あなたがあなたのまま、安らげる場所。私もそんな誰かの路地みたいな存在になりたいものである。
しまったしまった。

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