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死ぬ前に思い出の場所に行きたいという両親の願いを叶えた家族の話

そのご家庭に伺うようになって5年の月日は流れていた。

ご高齢の方にとって5年は長く、この5年の中にも沢山の色々な出来事があった。

出会いは、ご主人が脳梗塞で倒れて車椅子生活になり、病院から在宅に戻る事になり、担当になったご縁から。
もともと都心から離れた山間の地域に住んでいた際に、畑から戻った奥様が部屋で倒れているご主人を発見。急いで救急搬送したが時間もかかり、麻痺は重度。言葉にも障害が残った。

入院を機に、今後の治療やリハビリの為
街中のマンションに住む娘宅に、夫婦2人で越してきた。

夫婦もとても仲良かったけれど、お子さん含めてとにかく家族がとても絆が深いな、という印象だった。

妻は、甲斐甲斐しくご主人のお世話をし、常にお子さんや孫の訪問があり、笑いの絶えないご家庭だった。

「お父さんやお母さんは元気なの?大事にしてあげてね」
いつも私の家族の事まで気にかけてくれる温かい人たち。

ご主人には、訪問診療と訪問看護、訪問入浴に福祉用具と、沢山の人たちが入れ替わり立ち替わり訪問していたが、その人達が一つの家族みたいに、結束が強かった。
それもこれも、このご家庭の人柄だった。

好きな畑仕事はできなくなってしまったけれど、この5年間はお身体の状態も維持し、ご主人の介護も順調だった。

思いもよらない変化が訪れたのは、台風も近づく悪天候の日。
娘さんから一本の電話。

その電話を受けた時、窓を打つ雨音が音を失くすくらい私はショックを受けた。

奥様の病気が発覚したのは、ちょっと体調が悪いからと軽いつもりで行った受診の後だった。
定期的に健診も受けていたし、今まで絵に書いた様な健康体の代表のようなお元気な奥さまだった。しかし、病院から呼ばれて家族が目の当たりにしたのは、もう余命いくばくもない、という宣告だった。
誰もが、何かの間違いかと思った。
そのくらい奥様はお元気だったのだ。

奥様に伝えるべきか。
介護状態のご主人に伝えるべきか。
毎晩毎晩家族は話し合いをしていたと思う。
そして、2人に伝えた。
皆んなで支えるからね。
そう言われたと後から奥様に聞いた。

入院はしない。延命治療もしない。
家族は総力戦でいっそう人の出入りは増えていた。でも、笑いはやっぱり絶えなかった。心の中まではわからない。
でも、あの時あの家の中にいた誰もが
この一瞬一瞬の時間を大切にしていたと思う。

ある日、訪問入浴のスタッフから私に電話が入った。
あまりお話のしないご主人がお風呂に入っている時に、妻と旅館に行きたいと言ってきたと言う。
側にいた娘さんのお話では、倒れるまで住んでいた地元の旅館に毎年夏休み家族で行き泊まっていたとのこと。
「行きたいけど、お父さん車椅子だし、温泉入れないし」と、娘さんは言っていたそうだが、普段話さないご主人の訴えがどうしても気になって。。と。


翌日訪問の予定のあった私は、ご主人に聞いてみた。じっと見て、しばらくの沈黙。そして

「行きたい」と。

5年間で見た事ない顔だった。
色々大きな課題はある。駄目かもしれない。でも、調べもしない前から、この想いを簡単に断る事は到底できない。

できるかわからないが、娘さんにご主人の思いを代弁した。

それからは、あまり普段仕事では利用した事のない民間の旅行会社や、バリアフリーの温泉宿を探したり、自分の仕事の休日に近場の温泉宿をリサーチした。
意外な発見は、車椅子でも対応できる温泉宿があったり、お食事も介護食のリクエストなどに応えてくれる旅館が多かった事だ。この情報がもっと早くあれば、今まで関わってきた多くの方にも諦めないで楽しんでもらえたかもし知れない。悔やんでも仕方ないが。

ここなら、家族で泊まれる。そんな宿が見つかったものの、ご主人から一言。
「あの宿でないと」
そう。大切なのは、あの毎年行っていた宿なのだ。他の宿なら行かない。

振り出しに戻った。。

一度電話で断られたものの、何とかあの宿に行けないかと考えていた。
幸い奥様の身体は動けていたが、
ネックになっていたのは、その宿にはご主人が入れるお風呂がない事と、ベッドがない事だった。
また玄関や部屋の入り口には段差がある。
車椅子で重介護状態のご主人をどうやって介護しようか。
宿ではお風呂に入らなくても良いのでは。とも思ったが、これには娘さんと、お孫さんが反発し、必ず皆んな入らなければ駄目だと言う。
旅行のお手伝いをしてくれるヘルパーを派遣してくれる民間の業者もあるが、家族水入らずで過ごす中に初対面の人が行ってお風呂に入れてもらうのは、何か抵抗があった。
この計画はやはり駄目なのか。
諦めかけたとき、たまたまいた訪問診療の先生が言った。
「いつものお風呂屋さんに入れてもらえないの?」
目から鱗だった。
訪問入浴に、宿に行ってもらう。
訪問入浴=介護保険という頭ばかりあった私には無い発想だった。

はやる気持ちで訪問入浴に電話する。
保険外になるが、宿に行ってもらう事は可能だろうか。。

今思うと、凄い依頼だと思うが、
訪問入浴の方は会社の上方とかけ合ってくれて、宿まで行ってくれる事が可能になったのだ。

それからはとんとん拍子で、ベッドを自費で福祉用具業者が運び入れ、段差もスロープを使用した。

全て、介護保険外のことだ。
そして、実際動いてくれた人たちは、恐らく皆んな休日を利用してのボランティアの様な仕事であったと思う。
その時は夢中で皆んな動いていた。
この様なことを叶える事ができたのは、
素晴らしいチームの皆さんと、その皆さんの所属する会社のおかげだ。

ご主人の想いが、皆んなを動かしたと思う。

だったの一泊だったけど、
この1日はかけがえのない1日になった。
お風呂に入れるにも宿の下見、打ち合わせ、ベッドの搬入、早めに行きエアーマットを膨らませる。
「何かあればすぐに連絡を」そんな主治医の心強い言葉もあり、安心してその日を迎える事ができた。

後から思うと、やっぱりあの時がギリギリのタイミングで、少し遅かったら、奥様の体力的に難しくなっていた。
良かった。本当に良かった。間に合って。

行く事は奥様には秘密にしていた。
駄目になった時にガッカリさせたくは無かった。
段取りがついた時に娘さんが奥様にお伝えした。奥様は泣いていた。

「死ぬ前に思い出の場所に行きたい」
とおっしゃったそうだ。
そして、深々と家族に頭を下げたそうだ。

その日。

私は宿には行かなかったけれど、終日、祈る様な気持ちで、でも、家族があの少し古ぼけた、懐かしい匂いがするあの宿で笑っているのを想像していた。


どうしても介護保険だけで何かを成し遂げようとすると限界がある。
私達の専門的な言葉でいう
インフォーマルなサービス。
例えば、近所の人だったり、コンビニの店員さんだったり、毎朝新聞を届けてくれるカブに乗ったおじさんだったり。
そんな方達に助けられながら、仕事をしている。
ひとりでできない事も知恵を出し合って
協力しあえば、不可能が可能になる事もある。

あれから、もう10年が経つ。
きっと今頃空の上で2人は温泉につかって娘さんやお孫さんの幸せを願っている事だろう。

今でもあの頃の様に熱い想いで突っ走る事はできるかな。
私にとっても温かい家族の姿を教えていただいた忘れられない出会いでした。

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