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洗脳は自分で解くしかない!2

こんにちは。かわたんです(o^―^o)

前回のブログを読んでくださった方はもうご存知かと思います。私は大学時代の親友が私の洗脳を解こうと、懸命に説得してくれたのにもかかわらず、その機会を無下にしてしまいました。人生のめぐりあわせとは本当に面白いものです。その後、私は彼女と同じ無念を経験することとなりました。

エホバの証人である幼馴染の洗脳を解くために話し合いました。もちろん、結果は散々でした。彼女は私の言葉を一部は受け止めてくれたものの、教えに背くことはできないと告げ、私たちは永遠に別れました。

組織の中での幼馴染

彼女と付き合いはじめたのは小学校に上がる前からでした。最初のことは私も幼すぎてよく覚えていません。

私たちは性格も得意なことも考え方も全く正反対でした。彼女は運動が得意で細かいことをあまり気にしないおおらかなタイプ。小柄な体系でした。私は運動は大の苦手で絵を描くのが好きなインドア。繊細で細かいことが気になるタイプでした。周りより身長が大きくぽっちゃりしていました。

小学校と中学校は同じでしたが、クラスは3回ほどしか一緒になっていません。それでも、放課後は毎日一緒に帰って遊んでいました。彼女はあまり自分の気持ちを話さないので、私にことをどう思っていたかはわかりませんが、私は彼女に憧れていました。

マラソン大会は6年間ずっと1位。運動会のリレーでも重要なポジションで走り、小さなことで悩んだりせず、友人も沢山いました。私は幼い時からぜんそくでマラソン大会は2回しか出たことがなく、順位は後ろから3番目くらいでした。足が遅いので、リレーでは私をカバーするために前後で足の早い子が頑張ってくれる始末。小さいことで悩んでいつも泣いていました。そんな私といつも一緒にいて、励まして親友でいてくれたこと。それが本当に嬉しかったです。

中学に上がると彼女は部活で忙しく、あまり一緒に遊べなくなりました。でも、集会や奉仕(集会はエホバの証人が行う週2回ほどの聖書の勉強会、奉仕は布教活動)で会えるので寂しさはそんなに感じませんでした。

高校生になった時彼女とゆっくり話す機会がありました。私は思春期真っ只中で、進路や将来のことなど色々と悩んでいました。「エホバの証人は続けるけど、もっと勉強したいから大学に行きたい。だけど、実家にあまりお金がないから進学が難しいかも。バプテスマもそろそろ受けるべきだけど、まだ決心ができない。」等々でした。(バプテスマはエホバの証人が行う洗礼に当たるもの。これを受けた後は、聖書の教えに背くと処分が下ることがある)

一方彼女の方は、特段進路のことで悩んだりしていないようでした。会衆で私と同い年の子は、すでにみなバプテスマを受けていました。彼女もそうでした。バプテスマを受けると一人前の信者として扱われ、聖書の勉強途中の研究生の模範となるようにしなければなりません。私は本当にエホバの証人としてやっていけるのか真剣に考えていました。でも、周りは特に何も考えずに受けていたように見えて、「?」と思っていました。ここがある意味でのちの分かれ道になったのかもしれません。

ちょっと失礼かもしれませんが、私は彼女にこう聞きました。

「Aちゃんはいつもどんなことを考えてるの?幼馴染だけど、よくわからないんだよね。」

「え?特に何も考えてないって言うか、自分の気持ちそんなにわからないかも。」

これは私にとって衝撃的な答えでした。私はいつも自分の気持ちややりたいことについて考えていたのに、彼女にはそれが全くないようだったからです。これなら私よりはエホバの証人としてやっていきやすいのかなとも思いました。

彼女は信仰から一時迷い出たが

私が大学に進学して少しした頃、彼女は集会に来なくなりました。向こうは就職してお金もあったので、世の中で自由に遊ぶことの素晴らしさに気づいてしまったのかもしれません。当時は熱心なバリバリの信者だった私はそのことを不安に思いましたが、私も外の世界で自由に遊んでみたいと思ったこともありました。だから、彼女が戻ってこないなら仕方がないのかもと考えていました。それでも、私が食事に誘うと来てくれたので、それとなくどうして組織を離れているのか聞きましたが明確な答えはありませんでした。

周りの信者たちも彼女をすぐ排斥扱いにすることはなく、時々会いに行って気遣っていました。半年ほど経ったころでしょうか、彼女がまた集会に来るようになりました。私はどうしてまた来ようと思ったのか聞きました。

彼女は「エホバと離れている間、辛かった。ここが私の居場所だと思った」と答えました。

具体的な話は聞けなかったので、どう辛かったのかわかりませんが、とりあえず戻ってきてくれて良かったと思いました。


それから5年ほど経ちました。彼女は開拓者になっていて、私はバプテスマは受けましたが、普通の信者でした。(開拓者とは布教活動に月70時間を費やす信者のこと。仕事はパートタイムのことが多い)

私は大学生活や組織外の友人との関わりで、組織のやり方や教義に大きな疑問を抱いていました。そして、自分なりに調べやはりエホバの証人は間違っていたと気づいたのです。私は間違っているとわかっていることに従って、ごまかしながら人生を生きられる人間ではありません。指導者の兄弟たちと話して断絶してもらうことが決まった後に、私は彼女に最後の別れを言うために食事に誘いました。


洗脳を解くことの難しさ

私はお別れを言うつもりでしたが、どこかで彼女が、私の話で組織の間違いに気づいてくれればと期待していました。

どうして私が組織を疑問に思ったのか、わかりやすく簡潔に説明しました。もし私の話で少しでも疑問に感じたなら、禁止されていることでも自分の人生のためによく調べた方がいいと勧めました。それでも、正しいと彼女が思うなら続ければいいと。その上で私が一緒に学んでいる仲間たちは良い人が多く、みんなと離れること、彼女と離れることは本当に辛いと話しました。可能なら、私が組織を離れても友人でいたいとも。

ですが、やはり不可能でした。私は聖書を引用してこの部分が矛盾していると、聖書に精通しているはずの彼女に気づかせようとしました。素直にその聖句を読めば矛盾点には気づくはずなのですが、組織が教えている解釈以外を受け入れない彼女には無駄でした。エホバの証人は毎日聖書を読んでいるのにも関わらず、聖書に全く精通していません。

わかっていました。でも、やらずにはいられませんでした。

この話し合いの後、私は彼女と一言も話していません。しばらくして彼女が働いているお店に行ったのですが、お客さんなのに苦笑いされて何も話してくれませんでした。組織の決まりで抜けた人とは挨拶も交わしてはいけないことになっているので、覚悟はしていたのですが、正直堪えました。

「誰も見てないのにバカ正直過ぎるでしょ。20年以上も一緒だったのに。こんなに愛がない神や組織なら捨てちまえよ!」

と本気で思っちゃいました。(꒪ཀ꒪)

私自身が大学時代に、エホバの証人をやめさせようとしてくれた友人の言葉を聞くことが出来なかったので、この問題の難しさはよくわかってました。やめてからはもう情報が入って来ないのでわかりませんが、同じ会衆で年が近かった子たちはまだ全員組織にとどまっているはずです。誰かが抜けて不思議に思っても、みんなその理由は考えません。考えたら気づくきっかけになるかもしれないのに、それすら許さない組織の見えない圧力が存在するのでしょうね。


前の状態より悪くなる

ルカ11章24節から26節にかけてこんな言葉があります。

24「汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。それで、『出て来たわが家に戻ろう』と言う。 25そして、戻ってみると、家は掃除をして、整えられていた。 26そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を連れて来て、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。」       ルカによる福音書 新共同訳

キリストは人を家に例えて、聖書の教えに従わない人は悪霊が入りこみやすい、たとえ悪霊が一時的に出ていったとしても、また多くの悪霊が住み着くことになってしまうと説明しています。そのため、教えを守りイエスを家の主人とすることで、悪霊から身を守ることができると解釈されています。

元JW二世の私は当時この聖句の意味がよくわからなかったのですが、やめてすぐにある別の解釈が頭に浮かんできました。

汚れた霊がいる状態とはなんらかの宗教に昏倒し、自分で物事を判断できないような状態で、エホバの証人として活動している間は悪霊に取りつかれていたのではないかということです。エホバの証人は神を崇拝していると豪語していますが、神は目に見えない存在なので実際に崇拝しているのが神か悪魔なんて誰にもわかりません。

カルトや宗教から離れた時に本来の自分を取り戻し、自分の家の真の主人になれるということです。しかし、ずっとカルトの教えや習慣に縛られていた人は自分で物事を判断し、結果の責任を取ることに不安を覚えます。

私もやめてからしばらくはそうでした。何しろ生まれてから25年間も縛られていたので、無理はありません。「やってみたいことはあるけど大丈夫かな」とか、もう教えは関係ないのに過度に道徳的に厳しい自分がいて、慣れるまでは本当に大変でした。

友人は一度組織を離れて、その快適さや自由を体験したのにもかかわらず、戻ってきてしまい、私がやめる時の話し合いでは信仰に対してとても強固な態度を示しました。カルトの支配下でない状態を体験したのに、不安やその他の個人的な要素からまたカルトに戻ると、悪霊が何倍にも増えて居座る。という状態になるのだと思います。そして、もうやめることは大変難しくなり、一生をカルトと言う悪魔に捧げることになるのです。

このような例は組織にいた時に沢山見聞きしました。

ある開拓者の姉妹はとても熱心な信者でしたが、ある時未信者と結婚して組織を離れました。子供が生まれて子育てが始まると、「この邪悪な時代で神の助けなしで子育てができるだろうか」と不安になり、再び組織に戻ってしまいました。今も子育てしながら、さらに熱心に活動しているはずです。組織を離れた後ろめたさがあるからです。幼馴染のAちゃんも戻ってきた後は開拓者になり、以前よりも熱心で模範的な信者になりました。

こういうケースは未信者の配偶者がとても気の毒です。恐らく宗教はやめたと言って結婚しているはずなのでこれでは詐欺です。よく離婚されなかったなと思います。私だったら絶対離婚です( `_´  )

主体的に生きることの大切さ

おわかりいただけたでしょうか。カルトをやめる時は絶対に一発でやめなければなりません。そうしなければ、非常に高い確率でもうやめることはできません。バプテスマを受けるか受けないかで何年もフラフラしている研究生がいましたが、迷っているならスッパリやめてください!決めかねているのはあなたの心が、この道は違うと教えてくれている証拠です。

自分に自信がなく主体的に生きられなくなると、心の隙にカルトが忍び寄ってきます。家族を亡くしたり、リストラや受験の失敗、あなたが弱っている時にあなたを気に掛けるふりをして巧みに信者にしようとします。誰しも一時的に弱くなってしまうことはあります。それでも、あなたには自分で人生を切り開く力があるのです。自分を信じてください!

カルトは主体性を失った、臆病で卑怯者の集まりです。自分で判断して行動するのが怖いから、神のせい、悪魔のせいにするのです。そんなやつらがどの面下げて世の人は罪深いなどというのでしょうか?卑怯で罪深いのはどちらですか?

私は自分でなんでも決められて好きに行動できることを誇りに思ってますし、この状態が幸せです。

人生には様々な局面があるので、知らずに実の親に、カルトに、政府に、洗脳されていたなんてことも生じるかもしれません。その時違和感に気づいて洗脳を解けるのはあなただけです。その集団の中では間違ってるとされていることでも、自分が正しいと思ったことをしてください。大丈夫です。絶対にうまくいきます!かけがえのない一度きりのあなたの人生をあなたの望むように生きてください。あなたがそうできるよう私は応援しています!


最後まで読んでくださったみなさん、本当にありがとうございました。思いの他長くなってしまい、最後までお付き合いいただき感激です(*´▽`人)

かけがえのないみなさんの毎日が、いい事尽くしで幸せであることを願ってます✨

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