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選択して、残したい記憶

2021年になって最初のnoto。毎日ゆるゆるアップしてたのに、急に2週間ほど書けなくなったのは、年末締め切りの仕事が集まってきてしまったことと、空気のようにいつも近くにいた友人が海外へ引っ越してしまったり。

身体もメンタルも、一気に消耗すると、人間、睡眠に走るのだなぁとしみじみ思う日々を過ごしていたから。

そのまま年始を迎え、義実家で20時には布団の中にいるような生活を数日過し、やっとわたしの睡眠欲がおさまったと思ったら、今度は全く寝れなくなってしまって、さぁ大変。な。今。

現在深夜2時3分でございます。


寝れないことをいいことに

2020の振り返りを少し。


普段一番使っているSNSはインスタグラムそこで去年投稿したのを数えてみたら73個だった。


この数が多いのか少ないのかは分からないが、1年の中の約2ヶ月分の日のことを投稿している計算になる。毎日何かしらしていたり、何かしら感じていたりするのに、こんなに少ないのか。と思った。

2020年は今までとは別の生き方を選択する年だった。どこへいくにも、自粛という言葉がついて回ったし、どこへ行くか、行かないか。誰と会うか、会わないか。何をするか、しないか。どこまでするか、しないか。

常に選択を迫られ、選択をしてきた1年だった。

その選択は自分という中心がなければ、きっと振り回された1年だったという印象にしかならないだろう。でも選択することに慣れると、自分を中心に考え、そこから新しい生き方にもつながる、そんな忘れられない1年だったように思う。



2020年がわたしに与えてくれた一番の出来事は、学校や保育園の休校。子供たちと3ヶ月ゆっくりした時間を過ごせたことで、赤ちゃんの時以来の、母子の時間だった。普段の休日では味わえない、毎日続く、こどもたちとの日常は何だかとても贅沢な時間だったように思う。正直にいうと、もう一度休校になってもいい。こどもが子供でいられる限られた時間を、一緒にいることを世の中が許してくれているという気にもなるから。

この時間があったから、こどもが子供として生きている時間を大切にしてあげたい。という選択ができるようになった気がする。



思い出は少ないけど、でも確実にあった思い出もある。その形跡がこの73枚の写真と文章なのかもしれない。そう思ったら、もっと残しておけばよかったなぁと心から残念に思った。

このnotoもそうだ。

こうやって振り返ってアウトプットしなかったら、きっと何にも起こらなかった2020年だったなぁという記憶と印象を残すところだった。

そして、最終的には「大変な1年だった。」という言葉に纏められてしまうのだろう。そうならないためにも、やっぱり書くことは続けなきゃな。と。

…そんなことばっかり言って、毎回続けられないけれど、さも当然顔であまりできないことに意識をおかずに、毎回できそうな気がすると思いながら同じことでも言っていこうと思う。笑


2時43分。

まだ眠くない。でも今日はこれで終わり。


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