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心がずっと泣いている


心がずっと泣いている。叫んでいる。子どもみたいに大声で、ずっと泣き叫んでいる。口を大きく限界まで開けて、喉が枯れるまでずっと。ずっと叫んでいる。あああ、あああ、あああ。そうやって泣けば泣くほど、声がかすれていく。自分の声が届かなくなる。呼吸がうまくできなくなる。あれ、どうやって息を吸っていたっけ。悔しい。誰かきいて。私の声を聞いて。そう思うのに、とうてい届かない。どうしたらいいのかわからなくなって結局、私はその場にうずくまる。膝を抱えて小さくなる。そうしてこの心の暗闇が過ぎ去るのをそっと待つ。

私のなかには、広い原っぱがある。ものすごく広い原っぱだ。遠くまで眺めようとしても、その先が見えない。どんな建物もなく、そこにあるのは空と、背の高い草だけだ。地平線が見える。その先には空と太陽がある。空の色は青くない。グレーとオレンジが曖昧に混ざり合ったような色だ。そう、美術の授業の終わりに、たくさんの絵筆をぐちゃぐちゃにかき混ぜて水に溶かしたときのような……水道に流す直前の、鈍色。

その原っぱの真ん中に私はいる。その場で叫んでいる。空に向かって、周りに向かって、とにかく叫ぶ。でも誰からも反応はない。どうしよう、と思いながらも、誰かを探して地平線へ向かう。走る。草が絡みつく。足元はじめじめとしていて歩きにくい。うまく歩けない。足がもつれて疲れる。息が荒くなる。でも助けを呼ばなければ。声を出さなければ。そうして何度も何度も声を出しているうちに、声はいつのまにか出なくなる。周りには誰もいない。

そういう原っぱがあるのを自覚したのはいつだったろう。うまく思い出せない。ほんとうはそんな場所に行きたくなんかないのに、ふっと顔を出すのだ。予告なく。目を閉じた瞬間、私は気がつけば原っぱに立っている。とても怖いことだ。でもその恐怖を顔に出してはならない。原っぱを持っていることを隠しながら生きるのが社会のルールだからだ。

そう、みんな持っているのだ。みんなが持っている。「こんな孤独を抱えているのは私だけなんだろうな」という想いを抱えながら、それでもほんとうはみんなが原っぱを持っている。みんなそれぞれ、ひとりで喉を枯らしている。声をあげて泣き叫んでいる。そんな想像をすると、私は安心する。私だけじゃない。きっとどの人にも原っぱがあって、みんな同じ想いをかかえている。この人はどんな場所に立っているんだろう、と私は想像する。なるべくリアルにイメージを広げる。それが事実であってもなくても、想像することが私にとっての救いなのだ。

人の痛みが好きだ。人の傷が好きだ。人の持つどうしようもない葛藤や空洞をもっともっと覗きたいと思う。知りたいと思う。たぶんそれが、私がうまく呼吸するための唯一の方法なのだ。



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