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【日記】SNSから少し距離を。「正しさ」が一夜にして別物になる怖さ

 
 最近ちょっと、SNSというか、ネットの世界から離れるようにしていた。ずーっと眺めているとだんだん、世間の人々が思う「正しさ」に、自分の中が侵食されていくような感覚があったからだ。怖い、と思った。純粋に。自分のこころが布巾で包まれた豆腐みたいなものだとしたら、その布巾の大きな網目から、じゅわりじゅわりと、醤油が染み込んでくるような。
 これ、気づかないうちに私の心臓は醤油まみれになって、内部にまで染み込んで真っ黒な豆腐になっちゃって、最終的には自分のこころがただの素朴な豆腐だったことも忘れてしまうんじゃないかという気がして、SNSのアプリをスマホから消して、ログアウトもした。どうしてもチェックしたいときだけ、ログインしてアカウントを見る。というやり方に変えた。
 
 それで、怖いな、と思うのは、「そのとき成功している人」が言うことが「正解」になる、という場面を見かけることが、たびたびあったからだった。たとえば、企業なんかで考えるとわかりやすいけれど、勢いよく成長している企業の経営者や、活躍している社員のインタビュー、ツイートなどが流れていくると、やっぱり、耳を傾けたくなってしまう。あるいは、フォロワー数が多く、バズを連発しているインフルエンサーでもいい。その人の人生哲学なんかを聞くと「なるほど」と思うし、それこそが普遍的な正しさであるかのように思えてくる。その経営者に批判的な目を向ける人がいると、ともすれば、「嫉妬してるのか」と言われることも、あったり、する。
 でも、それから時間が過ぎ、脚光を浴びたその会社の業績が落ちたり、炎上したりすると、事態は急変する。「こうしたからうまくいきました」という彼/彼女の言葉は、一気に色褪せて、「正しくなかった」ことになってしまう。あんなにも「正しい」とみんなが信じ込んでいたものが、がらがらと崩壊していく。その人自身の「人柄」と「理屈」は、切り離して考えてもいいはずなのに。
 たとえばその企業を辞めた人がいるとして、成長しているときは「辞めなきゃよかったのに」と言われるのに、うまくいかなくなった途端に「あのとき辞めて正解だったね」と言われる。

 そういう、今まで信じていた「正しさ」が、一夜にして別物になってしまうような危うさが、私には、すごく怖いのだ。
 SNSの中では、その「正しさ」を追いかける大波みたいなものが、あっちへ行ったり、こっちへ行ったりとざぶざぶ動き回っていて、今この瞬間の「正しさ」から逸脱しないようにしなくちゃと気を張り続けるのも、それについていきたくなる私の心の弱さを(だって、やっぱり爪弾きにされるのはいやだ)自覚するのも、その大波としての「正しさ」に抗おうとする、個々の小さな「正しさ」を受けとめるのも、ぜんぶぜんぶ、ちょっと、きつかった。胸がいっぱいになった。うん。ちょっと疲れた。
 そういうものたちを見続けながら自分の「正しさ」を守る自信もないし……というか、私自身、まだまだあやふやな状態で、何を信条として生きていきたいのかもわからないし。
 これから先、自分がどうなるのかも不明だ。価値観は変わる。変わり続ける。「これが正しい」と思うものも、好き嫌いも、きっと時期によって、経験によって変わるのだろうと思う。けれどどうせゆらゆらするなら、自分の波にだけ揺られていたい。知らない誰かの——誰かたちのつくりだした大波に乗り遅れないように、あるいはそれに抗うために、必死で揺れるのではなく。ゆっくりでも、自分だけのリズムで揺れていたい。難しいとはわかっていても。





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