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なぜカール・ツァイスのレンズが良いのか?-歴史編その1-

CARL ZEISS(カール・ツァイスと読みます)聞き慣れない名前だなって方が多いと思います。あまり一般受けする商品は作っていないメーカーなのですが、なんと170年以上の歴史を持つ、世界的な光学機器メーカーなんです。

170年前だと日本はペリー来航前の江戸時代。もちろん長ければ良いわけではないのですが、2度の世界大戦も経験したこの世界的メーカーの長い激動の歴史。ぜひ読んでみてください。

創業1846年

30歳の機械技術者(マイスター)であるカール・フリードリヒ・ツァイス。彼がドイツのイエナという都市で顕微鏡工房を構えたのが始まりです。
同時に小さな販売店を設けて眼鏡なども販売していたそうです。当時販売していた眼鏡はラーテノウ製のものだったそうですが、後にツァイスに吸収されるそうです。これもすごいご縁ですね。

エルンスト・アッベとの出会い

1866年、顕微鏡の品質では広く一般に認められていたツァイスは、当時イエナ大学の講師で物理学者・数学者であったエルンスト・アッベと知り合います。彼らは共同で光学機器の性能向上に向けた研究開発を始めるのですが、これがカール・ツァイスの名を更に大きくします。
1872年、アッベの顕微鏡内における光学結像理論が顕微鏡に大きな進歩をもたらし、高性能顕微鏡の基礎となります。

その後1876年、アッベはツァイスの共同経営者となります。

ちなみにアッベは、レンズ素材の光学的性能を決める三要素のひとつ「アッベ数」を生み出した人でもあります。
つまり、凄い偉人とコラボしたってことです。

カール・ツァイス財団の誕生

1888年にカール・フリードリヒ・ツァイスは死去。
その翌年1889年にアッベは私財のすべてを共有化し、カール・ツァイス財団を設立します。アッべはツァイスの遺産の全額を受けたのですが、家族の受けるべき最低限度額を除くすべてを棄権し、自らは一個の被使用人となり「財団」の奉仕者となっています。
そして更に1891年には全ての株を財団所有としています。これによってカール・ツァイス社にはひとりの株主もいなくなり、財団によって運営される希有な企業形態となります。

さらにすごいことに、当時は14時間、12時間労働が当たり前だった時代に、8時間労働制、年次有給休暇、年金制度などの概念を導入、労働者の待遇改善にも努めています。

この労働政策や企業理念が労働者の労働意欲を向上し、生産性を高め、結果として最高の性能を備えた製品を誕生させたんだと思います。

Punkta®︎誕生

そしてついに、1912年ツァイス初の精密眼鏡レンズが誕生します。
当時このPunktal(プンクタール)は革新的なレンズでした。このレンズは装用者がまっすぐに前方を向いていない時でも、優れた視覚を保つことができたんです。
…当たり前の話のようですが、当時のレンズは周辺部の視界がボヤけることが当たり前だったため、装用者はものを見る時、顔の向きを変えて対象物がレンズの中心に来るようにする必要があったんです。Punktalは後の眼鏡レンズの重要な基盤を作ったと言えます。

ふたつのカール・ツァイス

そんな世界の最先端を走る光学機器会社として君臨していたカール・ツァイスですが、1945年の第二次世界大戦におけるドイツの敗戦により、多大な影響を受けます。なんと、ドイツの東西分断により、カール・ツァイス社も2つに分断することになります。

…やはり170年の歴史は長いですね。続きは次回とさせてください。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。


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