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過去と未来との対話

『歴史とは何か』著者 E.H.カー、第五章-進歩としての歴史-の中で気になった部分をまとめました。

E.H.カーは第五章の中で客観的な歴史家について論じています。

私たちがある歴史家のことを客観的であるといって誉めたり、甲という歴史家の方が乙という歴史家より客観的だと言ったりするのは、どういう意味でしょうか? p182-183

学問としての性質上、歴史学においても客観性は求められます。E.H.カーはその答えを二つ述べいます。

第一に、その歴史家が、社会と歴史とのうちに置かれた自分自身の状況から来る狭い見方を乗り越える能力ー中略ー半ばは、いかに自分がこの状況に巻き込まれているかを認識する能力ーを持っているかということ。

第二に、その歴史家が、自分の見方を未来に投げ入れてみて、そこから、過去に対してー深さも永続性も優っている洞察を獲得するという能力を意味します。 p183

第一の狭い見方を乗り越える能力とは、型にはまった考えや見方ではなく、自由な考えをする能力と言い換えることができるのではないでしょうか。
リベラルアーツの本質的な部分ですね。

第二の未来から過去に対して、というのは未来から現在の自分の状況、環境や考えを照らし合わせて考えるということなのでしょうか。
過去においては常識、当たり前だと考えられていたことも現在から見るとナンセンスであるということも往々にしてあることです。
つまり、それを現在と未来におきかえて洞察する、本質的考察をするということでしょう。

『歴史とは何か』は歴史学について書かれた本ですが、その中でも上記ような考え方や考察は、学問全般、もっといえば日常生活、ビジネスにおいて応用できる射程範囲をもっているように思えます。
このような内容を1961年で論じていることは注目すべきことです。




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