ちゃらっちゃっ、ちゃっちゃっちゃっちゃ、ちゃらちゃちゃ|ジョギングのススメ

世の中は、新型感染症の影響で、不安定だ。
何が不安定か?
先行きが見通せない生活の不安定さ。状況の変化に慣れない精神的な不安定さ。

僕も精神的に不安定だった時期がある。
2013年。その時、僕は走った。

ちょうど昼休みの時間帯で、2kmくらい走ったところで流れてくる音楽があった。その音楽に気付いてから、昼に走るのが楽しみになる。
設定したコースをひと回り。必要にせがまれて走り始めた、たった5kmの道のりだったが、平日は毎日のように走ったので、走るスピードが上がりタイムが縮まった。

帰ってくると、僕の中で、
ひーふーぴーぶー
と音楽が鳴る。
2km地点のBGMが頭のどこかで鳴り続いている。

車道脇の木造の平家からその曲は流れてきた。かなりの確率で遭遇できた。ここの住人は毎日楽しみにその再放送を見ているのだろう。僕も昼休みになって軽く食事をして着替えて走り出すのだから、タイミングが合うのである。

頭の中で、朝見たドラマの内容を反芻する。荒巻のあの振り付けは笑えたとか、スナック梨明日のカウンターのキョンキョンはかわいかっただの。
それは一瞬だったが、後半の走りに入るスイッチのような役割になった。

2013年。この年僕は年間で1,336km走破した。

最近になってようやく好みのヘッドセットを手に入れたが、2013年当時は音楽を聴きながら走るという環境を持ち合わせていなかった。
そんな中、朝ドラ「あまちゃん」のオープニング曲は実に快適なBGMだったのだ。
ちゃらっちゃっ、ちゃっちゃっちゃっちゃ、ちゃらちゃちゃ♪
で走って、ゴールすると、
ひーふーぴーぶー♪
なのだ。

イヤホンに耳の内部が圧迫されるのが性に合わないので、音楽を聴きながら心地よく走ったことがなかった。音楽を聴きながら走るのは気持ちよさそうだ。でも耳の違和感を拒絶する気持ちが勝っていた。

そんな僕にご褒美のように聞こえてきたのが、ちゃらっちゃっ、ちゃっちゃっちゃっちゃ、ちゃらちゃちゃ♪なのである。
これ以上の応援歌はない。そのリズムとラッパに励まされて玄関に飛び込む僕は、ひーふーぴーぶー、ひーふーぴーぶー。するのだった。

あまちゃんの放送終了は、僕からジョギングの習慣を奪った。というのはおおげさだが、走り始めにテンポを刻むとき、走る途中でなんだか飽きたとき、苦しくなって歩きたくなったとき、僕は音楽を必要としていた。
弱気な心、辛いとばかり思ってしまう気持ち、特に走りはじめは体が重く感じられ、僕の脳は勝手に体調悪しと足を止めそうになる。
その気持ちを他に外らせてくれるのが音楽なのだ。

パソコンを開いた僕は、まず耳にかけるタイプのイヤホンを探した。ジョギング熱の高まりとともに、自堕落な自分の心に対処すべく行動を開始したのだ。そうして手に入れたコード付きイヤホンを装着して走り出す。
さて、何を聞こう。
僕は、ジョギングコース沿いのあの家から流れてきたあの心地よい音量を音源を探す。
シドニー五輪の高橋尚子にとってのLOVE2000をさがすのか? いやいや歩道がない住宅街の車道脇を走る僕にとって、音楽に没頭しながら走ることほど不安なものはない。それでもイヤホンを新調した僕は、iPhoneで初めてダウンロード購入したセカオワのDragon Nightを聴きながら走ってみる。
却下!
この音楽への没入感は、走りながら交差点を通過する時、車や自転車との出会い頭の衝突事故を想起させる。特に、赤い郵便ポストの影の路地から飛び出してくる暴走自転車女子高生が頭をよぎる。彼女には二度轢かれた。いや、そう記憶するほど驚かされた。

あの遠くで心地よく鳴っている、知らないうちに安全に家まで運んでくれるBGMを探すのだ。
Podcastはどうだろう。
毎朝聞くFMラジオのビジネスコーナーのPodcast、そのアーカイブを大量にダウンロードする。
僕のジョギングコースは、セントラルパークと摩天楼の背景に一瞬塗り替えられた。
調子に乗った僕はこのころハーフマラソンに出場し始め、それとともに走る距離が延びた。Podcastの過去データもどんどん消費されていった。

今日は荒川沿いの競走会場まで走って行こう。
Podcastというパートナーを得た僕の気持ちはひたすら前向きだ。
iPhoneで地図を検索しながら走る。新しい挑戦にワクワクが止まらない。住宅街の中の小道をGoogleMapsはドット線で示す。徒歩だと2時間の道のりを小走りで辿るのだ。
ふと気づくと画面左上が赤い。フル充電してこなかったのか? 2014年当時、Podcastの再生とGoogleMapsの経路検索を長時間続けることで、僕のiPhoneはかなりのバッテリーを消費した。
Podcastの再生を諦め、GoogleMapsの地図を記憶して走る僕は焦った。そして迷った。コンビニで地図を開こうにも地図を置いていない。競走会場のグラウンドの方向を聞いても、店員は自分が働くコンビニの住所さえ知らない。
こんな僕を、時間ギリギリにスタート地点に運んでくれたのはタクシーとその運転手だった。

僕のジョギング習慣はBGMの存在を忘れさせた。

生活スタイルの変化とともに、平日昼休みの短距離ジョギングは、週末の中距離へと変化し、ジョギングは習慣になっていた。
ジョギング中にかつてのようなBGMはないが、ハーフマラソンへの定期的なエントリーが、走るモチベーションになったのである。
それでも変わらなかったことがある。

走り始めにテンポを刻むとき毎回自分の調子と向き合わねばならず、走る途中でなんだか飽きてしまう。苦しくなって歩きたくなることはしょっちゅうで、そんな時、今日の目標は歩かないこと。と自分に言い聞かせるのだ。
弱気な心、辛いとばかり思ってしまう気持ち、特に走りはじめは体が重く感じられ、僕の脳は勝手に体調悪しと足を止めそうになる。

あれ? こういうとき、どうしてたんだっけ?

ハーフマラソンへの出場が年中行事化しながらも、仕事を優先しつつ週末にまとめて走行距離を稼ぐことを続けてきたが、トレーニング不足もあって、心が脳が弱音を吐くことに僕自身が悩み始めた。
走る距離が長くなればその分悩みも深くなる。走行距離を記録していたウェブサービス(runnet.jp)のコース設定機能で、5km、8km、10km、15kmにマイルストーンを置いて走る目標を短く設定してみる。だが次第に僕自身の飽き性がその効力を奪う。
さらにいつものコースを反対に走ってみたりした。景色が変わり走る楽しみが増える一方で、5年以上続けてきた走行距離記録も滞りがちになる。

そんなとき、宇野常寛氏に共感して入ったPLANETS CLUBのランニング部に入部する。そしてその勧めでアプリSTRAVAを利用しはじめた。
走る仲間の登場とアプリについての考察は別の機会に紹介したいと思うが、近年のこの変化がもう一度BGMに向き合うきっかけになった。

僕の頭の中にふたたび、あのフレーズが鳴り響いた。

ちゃらっちゃっ、ちゃっちゃっちゃっちゃ、ちゃらちゃちゃ♪

ちゃらっちゃっ、ちゃっちゃっちゃっちゃ、ちゃらちゃちゃ♪

僕はパソコンを開き、ノイズキャンセリング機能付きではない、外の音も聞こえるBluetoothタイプのヘッドセットを手に入れた。両耳に掛ける左右のイヤホンが一体型で耳の中の圧迫感も少ない。いいぞ、これで爆走自転車女子高生(今は社会人に成長したのか鉢合わせなくなった)に怯えることなく、不安なく走ることができる。

かつて僕のお気に入りのPodcastは、番組内のトーク部分だけを切り取ったもので、構成の変化が乏しく、続けて聴くとどうしても飽きてしまう。時代は移りradikoではオンエアそのままに音楽も聴くこととができる。
それに気づいた僕は、タイムフリーの取っておきの番組を聴きながら走るようになった。週に一度二度、radikoの再生制限で再生不可になる前に聞き逃さないように走るのだ。
一方アプリのおかげで、設定したコースを気にすることなく自由に走り走行距離を記録することができるようになった。iPhoneのバッテリーもRadikoの再生と位置情報の記録に長時間耐えられるように進化した。

僕たちが生きる世界は不安定だ。昔からそうだ。これからもそうだ。
考えてみれば、安定した生活を継続して過ごせていた期間は、各世代10年にも満たないのではないだろうか。不安定があるから安定に感じ、安定があるから不安定が目立つのだ。その繰り返しなのだ。

ちゃらっちゃっ、ちゃっちゃっちゃっちゃ、ちゃらちゃちゃ♪

車道脇の木造の平家の前を通るとき、僕の頭の中でこのメロディーが鳴るときがある。そのとき僕の耳元では、ナイツのふたりが少し風刺を効かせただじゃれを話している。
それでも僕の頭の中で流れるあのメロディーは、かつて不安定だった自分に対してのエールかもしれないし、あの時と変わりなくつまらないことにくよくよしている自分に対する嘲笑かも知れない。

求める心と、出会う幸運。
ランニングクラブの仲間や、アプリなどのランニングギアと出会い、新しい環境が僕の背中を押す。

ちゃらっちゃっ、ちゃっちゃっちゃっちゃ、ちゃらちゃちゃ♪

かつての僕がそうしたように、不安定な時こそ走ろう!
走ることに理由はいらないと言う人もいるけれど、軽快に。

ちゃらっちゃっ、ちゃっちゃっちゃっちゃ、ちゃらちゃちゃ♪

そして、ひーふー、ぴーぶー♪ すると、澱(おり)が取れたようになる。
ジョギングは裏切らない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?