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『玄弥』鬼を食う者は

 人が刀で鬼を倒し、「鬼が人を食う」世界において「人でありながら鬼を食う」玄弥は異端であるように見える。しかし実は「鬼を食う」というフォークロアが身近な昔話の中で語り継がれているのをご存知だろうか。
 今回は昔話を通じて「鬼食い」について考えてみる。

もくじ
1.鬼の子小綱
2.三つの玉
3.鬼から逃げた少年
4.鬼を食う者は
5.毘沙門天と大黒天【2021/2/11 追記】
6.まとめ

1.鬼の子小綱

 昔話「鬼の子小綱」は、鬼に攫われた娘が鬼ヶ島で鬼との子を産み、連れ戻しにきたおじいさんと3人で鬼の追手から逃れて家に帰るお話だ。「小綱」と名付けられた鬼子は、無事に人里で暮らすうち食人欲求が抑えられず、類話によっては自ら死を願って家族の手で殺される。そして切り刻んだ小綱の死体を戸口に吊るしておくと、彼らを連れ戻しに来た鬼はそれを見て恐れをなし、二度と来ることがなかったという。
 東北地方に伝わる節分のヤキカガシという風習はこの昔話が起源とされている。節分の際焼いたイワシの頭を柊の枝に串刺しにしたものを戸口に下げておくという風習だが、これは殺した鬼をバラバラにして食べる伝承からきているとされている。鬼を殺して食うことがモチーフになっている年中行事は多い。(注1)

2.三つの玉

 もう一つ昔話をしよう。「三枚のお札」「三つの玉」、あるいは「鬼を一口」と呼ばれるお話だ。
 むかし、山寺に和尚と小僧がいた。小僧が山姥のいる山へ栗拾いに行きたいと言うが、山姥がいるのを理由に和尚は引き留める。小僧がどうしてもとせがむので、和尚は三枚のお札を渡し、山姥に遭ったら使うよう言って送り出した。
 小僧が栗拾いをしていると、おばあさんに化けた山姥が言葉巧みに小僧を家に誘いこむ。彼女の正体に気づいた小僧は逃げ出し、三枚のお札の法力を借りて洪水や大火を起こして足止めをし、寺まで逃げ帰る。山姥が寺に入り込むと和尚は機転を利かせて術比べをもちかけた。和尚が「山ほどに大きくなれるか」と問うと山姥は大きくなり、「豆になれるか」と問うと山姥は豆に化けたので、和尚は焼いた餅に豆を挟み一口で食べてしまった。(注2)

 さて、公式ファンブック『鬼殺隊見聞録(1)』には鬼滅の刃の前身とされる「鬼殺の流」が掲載されており、第3話では鬼滅本編でも戦った沼鬼の原型が登場する。毎晩少女が消える街で情報収集をしている流は藤の家紋の家の少年と仲良くなる。すると少年が

「鬼狩り様 鬼狩り様
おれが鬼狩り様に三つの石を授けるから
悪い鬼を倒すときに使ってくれ」

と言い、流に3つの石を授ける。
 残念ながら鬼殺の流はこの後鬼の消息を辿るところで終わっており、鬼滅の刃での沼鬼戦でもこの少年のエピソードはなくなっている。

3.鬼から逃げた少年

 しかし、鬼滅の刃には「鬼から逃げた少年」が誘い込んだ「鬼を倒した和尚」と、「鬼を食う人間」が登場する。もうおわかりかと思うが、獪岳、悲鳴嶼さん、玄弥の3人だ。

 寺の金を盗んだことを咎められ、悲鳴嶼さんの制止を聞かず寺を飛び出して鬼に遭遇する獪岳は、和尚の制止を聞かずに栗拾いに出かけて山姥に遭遇する小僧の境遇と一致している。
 またファンブック2で彼の名前が「稲玉」獪岳であることが判明した。獪岳は「玉」に縁がある。常に身につけている勾玉の首飾りも、もしかしたら和尚である悲鳴嶼さんに授けられた「玉」を表しているのかもしれない。
 三つの玉は仏教説話でもあるが、獪岳は寺や悲鳴嶼さんが持つ法力を信じることなく、保身のために仲間を売り渡してしまう。仏教説話では信心深く仏教の教えを守っていれば霊験あらたかなお守りや僧侶の法力で救われるのがセオリーだが、自己中心的で仏法をないがしろにした者の末路は語るまでもない。仏教説話は仏の教えを説くための物語だが、人間としてあるべき生き方の規範を人々に示す役割も担っているのだ。

4.鬼を食う者は

 鬼を倒す力を持っていた悲鳴嶼さんは鬼を食った和尚にあたる。彼は素手で鬼を殴り倒した強者だが、昔話の和尚も鬼を一口で飲み込むあたりただ者ではない。
 古川のり子氏によれば、この和尚と山姥の駆け引きは古事記の黄泉比良坂でのイザナギとイザナミの呪的逃走譚がモデルになっているという。
 火の神カグツチを出産した際の火傷で亡くなり黄泉の国に行った妻のイザナミを恋しく思った夫のイザナギが黄泉の国を訪れると、イザナミの身体は朽ち果て恐ろしい姿の化け物となっていた。本当の姿を見られたことに怒ったイザナミに追いかけられて、イザナギは黄泉比良坂まで走って逃げる。そこで黄泉の国の入り口を大きな岩穴で塞いでしまうと、イザナミは追いかけてくることは出来なくなり、この世とあの世が分たれたという話だ。
 後ろ手でお札や玉を投げつけて時間稼ぎをする小僧は、イザナミの追手から逃れるために後ろ手で桃、筍、葡萄を投げつけて時間稼ぎをするイザナギがモチーフになっているだろう。(注3)
 また和尚のモデルであるイザナギは、黄泉の国から追ってきたイザナミを、「岩」で出入り口を塞ぐことで追い払っている。悲鳴嶼さんが「岩の呼吸」の使い手なのはこれが由来だろう。

 「三枚のお札」では鬼を倒す力を持ち鬼を食うのは和尚だが、鬼滅の刃で鬼を食うのは玄弥だ。
 「三枚のお札」は、後日談でその後件の小僧が寺を継いで立派な和尚となる類話がある。この話は、聞かん坊で幼い小僧が、師とともに鬼を倒す通過儀礼を通じて一人前になる成長物語としての側面を持っているのだ。
 鬼滅では玄弥は癇癪持ちで自制のきかない幼さがことさら強調されて描かれているように思われる。鬼を倒す力を持たなかった「癇癪玉」で「鉄砲玉」の少年が、悲鳴嶼さんのもとで念仏を唱えながら修行に励み、やがて鬼を討つ力を手に入れる。これは、和尚である悲鳴嶼さんの鬼を屠る力を受け継いだのを「鬼を食う」ことを通じて表しているのではないだろうか。
 鬼殺隊にいれば必ず鬼と戦うことになる。かの山に行けば必ず山姥に追われることになる。悲鳴嶼さんも和尚も、それは重々わかっていたのだ。呼吸の才能がない玄弥に一時は鬼殺隊を辞めるよう勧めた悲鳴嶼さんが結局彼を手元に残したのも、小僧が困難を乗り越えて成長することを信じて山に送り出した和尚の姿と重なって見える。

【2021/2/11 追記】
5.毘沙門天と大黒天

 上記で節分について触れたが、もと神道行事であった追儺も仏教の伝来とともに仏教儀礼と習合した地域もある。神道では方相氏と呼ばれる4つ目の鬼のお面を被った者が鬼を追うことがある行事だが、仏教行事では鬼追いの役割は毘沙門天と大黒天が担う。この2尊が2人のモデルのひとつではないかと考えた。

 玄弥の名前は【玄】…赤または黄を帯びた黒色。深い。遠い。【弥】…あまねく(同義は普く、遍く。普遍…すみずみまで行き渡ること)

 大黒天は原語のサンスクリット語でMahākāla(マハーカーラ)はmahā〈大いなる、立派な〉とkāla〈黒い、時〉という言葉の合成語

であることから、玄弥は追儺の大黒天がモデルなのではないだろうか。

6.まとめ

悲鳴嶼さんと玄弥と獪岳は、それぞれ昔話の「三つの玉」の和尚と小僧がモチーフだろう。

 仏門で熱心に修行に取り組み鬼を討つ力を手に入れた玄弥と、仏を裏切り鬼を討つ力を手に入れられなかった獪岳。
 2人が対峙した鬼は、同じ上弦の壱黒死牟だった。玄弥は黒死牟に一矢報いることで仲間を勝利に導き、かたや獪岳は頭を垂れて命乞いをし自らも鬼となった。
 1人では鬼を討つことが出来なかった未熟な2人の少年は、お互いの「もしも」の運命を体現した存在に思えてならない。

(注1:例えば全国の正月のどんど焼き(地域によりどんと焼き、とんど焼きとも)は鏡開きの日に餅を焼いて食べる風習だ。餅は、季節の節目にやってくるまれびと(毎年同じ時期にやってくる人ならざる存在。前記事『王権説話としての鬼滅の刃』を参照)としての鬼を聖なる火で焼き殺した死体であり、桃の節句は鬼の眼を抜き酒に入れて飲む行事である。端午の節句の草餅は鬼の皮、ちまきは鬼の頭を表し、重陽の節句に菊の花や栗を食べるのは、鬼の身体を食うことを表しているという。
 また、鬼の死体をバラバラに刻むのは単なる残虐性の表現ではなく死者の復活を阻止する呪術的な意味を持つ。)

(注2:鬼は変幻自在に化けることができる。身体の大きさを変えることができる。禰󠄀豆子が大人の体になったり子どもの身体になったりするのはこの性質がモチーフになっているだろう。)

(注3:これらはただ単に物を放ったのではなく、後ろ手で物を放るのは呪術的な意味を持つ。法力を発動させるためには不可欠な行為であった。)

7.あとがき

 獪岳をボロクソに貶しているように思われるかもしれませんが、私は鬼滅の鬼たちをもれなくみんな推しています。何度でも言いますがイチ推しは兄上!
 彼らが鬼になった原因は全て人の営みの中にあり、その傷を癒すのもまた人の営みの中でしかあり得ない。彼らの人としての弱さに触れるたび、自分の心の中にある弱さが呼び起こされるようで、たまらない親近感と愛おしさを覚えるのです。

文/イラスト: かわせみ86
Twitter🐦: @kawasemi868686

無断転載はご遠慮下さい。

参考文献
「昔ばなしの謎」古川のり子著(2016年)角川文庫
「口語訳古事記[完全版]」三浦祐之著(2002年)文藝春秋社
「鬼と日本人」小松和彦著(2018年)角川文庫

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