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猗窩座と義勇の因縁とは

 最近、「節分の際、渡辺姓の家庭では豆まきをしない。なぜなら昔渡辺綱が鬼退治をしたため、渡辺家には鬼が寄りつかないからだ。」という伝承が話題になった。
 実は、鬼滅の刃にも渡辺綱がモデルとなっているであろうキャラクターが存在する。今回は彼が活躍した茨木童子説話について考えていく。

もくじ
羅生門にて
茨木童子について
渡辺綱について
まとめ

羅生門にて

 渡辺綱といえば能の「羅生門」と後日譚の「茨木」で知られている。これは羅生門で片腕を斬られた鬼と、後日因縁の再会を果たし退治する物語だ。内容を確認してみよう。

 綱は夜更けの戻橋で美女と出会う。女に頼まれ五条の渡しまで馬に同乗させると、女は鬼に変貌し「いざ我が行く処は愛宕山ぞ」と綱につかみかかり空中へ舞う。綱が鬼の片腕を斬り落とすと、鬼は愛宕山に逃げていった。
 その後鬼は綱の義母に化けて物忌中の綱の家に入り込み、綱が持ち帰っていた腕を取り返す。そして後日源頼光と四天王一行が鬼の首魁酒呑童子と手下の茨木童子らを退治する。

 さて、鬼滅の刃にも腕を残して根城に逃げた鬼がいる。そう、猗窩座である。
 猗窩座は煉獄と競り合ったのち自ら腕を引きちぎって逃走した。これは、源頼光の鬼退治伝説の「羅生門」から「酒呑童子」の流れと同じである。

茨木童子について

 茨木童子についてもっと掘り下げてみよう。茨木童子は、酒呑童子と同じく生まれつき歯が生えている異常児であり、並外れた力持ちだったために山に捨てられたという。また茨木童子とは、地名の「茨木」と、成人しても童髪童形のままで生きた中世の被差別階級の人々の姿からきているとされる。彼らは"鬼の子孫"を名乗る家系であり、男女問わず"童髪童形"であった。
 小松和彦氏によれば、伝説上の茨木童子も酒呑童子も、人間社会から逸脱し捨てられ、そして人間社会に反抗する存在だとし、ときには「童盗賊」と表現される悪行を働いたのだという。
 茨木童子は、生まれつき歯が生えている「鬼子」として生まれ、病弱な父を持つ貧しい家で育ったためにやむなく「童盗賊」となり、父の自殺もあいまって社会から逸脱した存在となった狛治の生い立ちと一致する。

 しかし狛治は慶蔵と出会うことでまっとうな人間社会の中に戻り、恋雪と結ばれることで人間らしい生活を営み始めたところで2人を惨殺される。生まれついての鬼が手に入れることが叶わなかった人としての幸せを失い、ようやく手に入れたところで再び失うこととなる。これにより再び狛治は道を踏み外し、ついには鬼となる。狛治は無惨に血を与えられて鬼になったが、人間社会から完全に逸脱する殺人を決意した時点ですでに鬼だったと言えるだろう。

渡辺綱について

 茨木童子と競り合った渡辺綱の人物像についても考えてみる。
 渡辺綱は頼光四天王の筆頭として源頼光ら坂田金時、碓氷貞光、卜部季武と共に鬼退治に向かう。彼は、難波の渡辺の地を本拠とする渡辺党の惣領であり、河川漁港の仕事も取りまとめていた。近藤喜博によれば、茨木童子説話は、「川の民」とその支配者、荒ぶる水霊とそれを鎮める司祭者という対比が描かれている伝説だという。
 猗窩座のモデルが茨木童子であるならば、彼は川の民に倒されるはずである。猗窩座はかつて水の呼吸の隊士を破ったと言っていた。それは、水の呼吸の使い手によって倒されるべきである運命の暗示だろう。杏寿郎が倒されたのは水の呼吸の使い手ではなかったからと言うと言い過ぎかもしれない。しかし猗窩座と因縁のない義勇が対決したのは、猗窩座は水の呼吸によって倒されなければならなかったからだろう。   

 またヒノカミ神楽を体得してからしばらく水の呼吸を使っていなかった炭治郎が義勇と合流して久しぶりに水の呼吸を披露したのはこのためだろう。

まとめ

猗窩座と水の呼吸兄弟の対決は、社会を逸脱した茨木童子を破った川の民渡辺綱の鬼退治がモデルになっていると言える。

文/イラスト: かわせみ86
Twitter🐦: @kawasemi868686
無断転載はご遠慮下さい。

参考文献:「鬼と日本人」小松和彦著(2018年)角川文庫

おまけ

ここではしれっと源頼光が炭治郎ということになっていますが、源頼光と酒呑童子が炭治郎と無惨のモデルのひとつになっている話もそのうちまとめたいと思います。

これを書いているのは2021年2月3日、ファンブック2の発売直前です。0時の電子書籍配信を目前に兄上推しの私が震えながら書き上げました。

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