神戸ルミナリエ~その光と闇~ 第2回 漆黒の異界
川瀬流水です。神戸都心のJR三ノ宮駅から北東に歩いて数分の場所に「東門筋」(ひがしもんすじ、東門街とも)が南北に走っています。「神戸」という地名の語源となった生田神社(式内社・明神大)の東門に面する通りであることに由来します。
東門筋とその周辺エリアは、神戸港の発展とともに長い歴史を辿ってきましたが、第二次大戦後は、神戸随一の繁華街として市民に愛されてきました。女優浅野ゆう子さんのお母様がやっておられるスナックがあることでも知られています。なお、その範囲は捉え方によって様々に変わってくると思いますが、私にとってなじみ深いエリアという意味合いで、下図の赤い円域で大まかに示しておきたいと思います。
このエリアは、サラリーマン時代から毎晩のように飲みに行かせてもらった大変なじみ深い場所です。人生の楽しい思い出、恥ずかしい思い出などの多くは、この場所と結びついています。コロナで客足が遠のいた時期もありましたが、徐々に賑わいを取り戻しつつあるのではないかと思われます。
1995(平成7)年1月17日の阪神淡路大震災では、神戸都心部も甚大な被害を受けました。当時私は、神戸市営地下鉄で、裏六甲からトンネルを抜けて新神戸駅に至り、三宮駅(ちなみに駅名は、JR「三ノ宮」、地下鉄「三宮」)を経由して隣の駅で降りるルートで通勤していました。ところが、三宮駅が大破し使用不能となったため、数ヶ月の間、新神戸駅で降りて、フラワーロードから中山手通を通って、徒歩で職場まで通うことを余儀なくされることになりました。
業務は毎晩遅くまで続いたため、仕事が終わると、懐中電灯を手に、街灯が消えた通りに散乱したフロックを避けつつ、新神戸発の最終便に間に合うよう足早に帰途についていました。その道すがら、必ず目にする場所が東門筋でした。東門筋とその周辺エリアもまた震災で大破し、多くが立入禁止となって、規制線が張られた先は漆黒の暗闇が広がっていました。
中山手通に面する東門筋の北の入口(エリア図 北口)は、その暗闇の中心に位置していました。そこは、私が通勤する中山手通と、破壊され立ち入りが禁止された東門筋の境目であり、生と死の境目であるように感じられて、思わず立ち止まり見入ってしまうことが、よくありました。
当時、たまたま『古事記』を読み返していたこともあって、東門筋は「この世」から見た「黄泉比良坂」(よもつひらさか)であり、異界に通じる漆黒のトンネルであって、入口に立ち止まっていると、思わず引き込まれそうになる思いがしたことを覚えています。
当時の写真があればよかったのですが、残念ながら残すことができませんでした。写真に撮っておきたいと思い、カメラを向けて、ファインダーをじっと見つめていると、漆黒のトンネルから、異界の住人となった「伊邪那美」(いざなみ)が姿を現し、じりじりと迫ってくるような恐怖を感じて、恐ろしさにシャッターを押すことができなかったことを覚えています。もとより震災による犠牲者を冒涜する気持ちは全くありませんが、あのとき感じた強い恐怖心は、生身の人間のもつ生理的な感情であったように思います。
神戸ルミナリエの光と、被災直後の東門筋の闇を思い起こすとき、無念の死を遂げた人々の魂は、生き残った者によって鎮められなければならないと強く感じています。
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