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百度創業者著「AI革命」解説

解説 中国からすごい本が来た

 「 新しいものは、アメリカから来る」というのが、我々の世界観だったと思う。中国の目覚ましい経済成長は知っていても、科学技術にしろ、経済理論にせよ、社会のトレンドにせよ、世界の最先端は良くも悪くもアメリカ、中国もスゴイがアメリカの二番煎じだと、なんとなく思っている。
 その意味で、この本には驚かされた。「あの中国」から、最先端の科学技術を解説し、未来を見通す本格的な、なおかつアメリカの受け売りだけでなくてオリジナルな内容を持った本が、ようやく登場したわけだ。
 とはいえ、この本の出版は2年前の2017年だ。その後のAIとその応用がどう進化を続けているのか、また世界のAIの最先端を走る中国の最新の動向を、そして中国発のAIがこれからどのように世界を変えていくのかについて、私見を交えて解説したい。 

1.本書刊行後のAIの進化 

1)「アルファ碁」のさらなる進化
 本書にあるように、AIを駆使したグーグルのアルファ碁が、人間のチャンピオンに勝ったのは、2016年のことだ。それまでは、「ありえない」とされてきた勝利を手にしたアルファ碁は、その後もさらに 進化した。
 アルファ碁は、過去人間が対戦した膨大な量の棋譜を学習し、ベストな打ち手を習得する。しかし、グー グルの同じ開発チームは、人間を介することなく機械と機械が直接対戦するほうが、より早い学習が可能ではないかと考えた。こうして作られた「アルファ碁ゼロ」は、お互いに対戦することでゼロから囲碁を覚え始めた。そして2018年、学習2ヶ月目にアルファ碁と対戦したアルファ碁ゼロは、百戦百勝という圧倒的な強さで勝利した。
 このアルファ碁ゼロのプログラム・コードは、GitHub 上に公開されているが、全部で数百行という簡単なものだ。AIという機械の知性が、このような簡単なコードを元に、人間というお手本なしで、お互い が学び知性を高めていくことに、あらためて衝撃を覚える。 

2)音声認識と機械翻訳
 アップル社の音声認識SIRIが iPhone に最初に搭載されたのは、2011年のことだ。発表当初の 「使えない」 という印象を未だに持ち続けている人も少なくない。しかし、その後に音声認識は、AIを活用し圧倒的に進化した。現在のSIRIやグーグルの音声認識の精度はかなり高いし、無料ソフトの「UDトーク」などはほぼ実用レベルに達していると言ってよい。
 また限定された状況なら、双方向の対話もかなり円滑にできる。2018年のCESでグーグルは、「グーグル・アシスタント」が実在する理容室に電話して、ヘアカットの予約を取るデモを行った。美容室の女性は、それがAIからの電話だとまったく気づくことなく、普通に会話をして美容室の予約を受けていた。
 仕事でグーグル翻訳などを使っている方も多いだろう。登場当初の品質は相当低かったが、次第に 性能が良くなって、今では相当賢くなったという印象をもたれるのではないだろうか? これもAIが継 続的に学習を続けてきた成果である。汎用翻訳は難易度が高いとはいえ、英語とスペイン語などヨーロッパ語圏の言語の間では、すでにプロの翻訳者と実用上は大差ない精度で翻訳できる。また英語と中国語は 構文が似ているので、意外と親和性が高いそうだ。
  ただし、不特定多数が同時に話す会話の音声認識や、分野を限定しない汎用翻訳で、認識精度を高めるのは相当難しい。たとえば"material"という単語は、法律用語だと「重要な」という形容詞だが、工学では 〝物質〞という名詞だ。一方で、たとえば法律・経済・工学・医学といった分野を絞った場合、すでに音声認識も機械翻訳もプロの翻訳者以上の精度を達成している。
 また私の友人の話だと、2017年の時点で、中国で開かれた国際シンポジウムで、合計5名のアメリカ 人と中国人がパネルで登場したらしいが、彼らが母国語で話す内容はリアルタイムで話者が特定され、英語と中国語に大きなスクリーン上に同時翻訳で表示され、登壇者はそれぞれ母国語でスムーズに対談を続 けていたそうだ。
 日本ではずっと英語教育の必要性が論じられている。「英語を勉強しないと...」、というプレッシャを感 じている方も多いだろう。しかし、おそらくあと5年もすると、英語と日本語、そして中国語がスムーズに リアルタイムで翻訳されるデバイスが登場する。そうなると、英語を勉強することが、ソロバンやペン習字を学習するのに似た、趣味の世界のもののようになるかもしれない。ちょっと待ち遠しい未来だと思う。 

3)入試とディベート
 現在の「弱いAI」が学べるのは、あくまでパターン的なデータ処理だ。「強いAI」と違って、厳密な 意味での知性を持つことはない。しかし、人間の情報処理の多くもパターン的なデータ処理であり、AI はあたかも知性を備えているように見えることもある。 たとえば、読者の皆さんも必死に受験勉強した過去があるだろう。人間にとって受験は相当な知力を必要とする。
 しかし、国立情報学研究所の新井紀子教授が開発したAI「東ロボくん」は、2015年には 進研模試「総合学力マーク模試」で偏差値 以上をマークし、主要な大学に合格する実力を示した。
 こうした話を聞くと、「AIは実は私より頭が良いかもしれない」と焦るかもしれない。いや、心配することはない。東ロボくんは、文章の意味を理解することはできないので、解ける問題は選択式か穴埋め式の問題であり、記述式の問題には(いまのところ)解答できない。また東ロボくんは、文章の構造を理解できないので、たとえば人間だと100個も例文を覚えればよいのに対し、東ロボくんがだと500億も の英文を記憶させる必要があったそうだ。
 もうひとつ、人間の知性の証明と思えるのが「ディベート」だ。入念に関連情報を読み込み、緻密な作戦を組み立て、相手の論理のスキを突いて勝つ、とても知的なゲームだ。しかしここでも、2019年に 環境問題に関するディベート大会で、AI(IBMのワトソン)が人間のチャンピオンを破って優勝した。 もちろんワトソンも、議論の意味を理解しているわけではない。しかし、相手に対して「ああ言えば、こう言う」という反応を繰り返すことで、結果として優勝してしまったのである。
 いくらAIには「真の知性」が備わっていないとはいえ、大学入試に合格する東ロボくんや、ディベートでは負けないワトソンは、並の人間を上回る知性を持っているように思えてしまう。
 実際に、新井教授の2018年のベストセラー『AI. 文章が読めない子どもたち』によると、日本の中学生・高校生の約3割は、AIには可能な、文章を表層理解(内容を伴わない形式的な理解)する能力がない。つまり、AIの持つ知力に達していない人が、相当数いるのである。将来的には、ある一定割合の人についてはAIから指示受けて働く、という未来が待っているかもしれない。

4)歩き、走り、跳び回るロボット
 ロボット大国・日本の技術力の象徴とも言えたのが、ホンダの開発した二足歩行ロボットのアシモ君だろう。
 2000年に誕生したアシモは、すべての動作をプログラムで制御していた。角度センサーや接触センサーからの情報をプログラムで解析し、それをサーボモーターの出力として指示することで、二足歩行を制御したわけだ。しかし、そのプログラム開発は大変で、たとえばアシモが本番前の試運転で転んだりすると、開発チームは徹夜覚悟でデバック作業をしなければならなかった。またアシモには、平坦な場所をゆっくり歩くことはできても、荒れ地を走ることなど、とても無理だった。
 その一方で、最近話題の二足歩行ロボットが、ボストン・ダイナミクス社のアトラスだろう。 アトラスに関しては、2016年に発表された、雪の上を歩き、箱を片付けるというユーチューブ画像を見たことがあるかもしれない。もしまだ見たことがないなら、ぜひご覧になってほしい。(画像URL https://youtu.be/sAmyZP-qbTE)
 アトラスは、凸凹のある滑りやすい雪の上を、それもときどきよろめきながら歩いている。このような動作は、とうてい人がプログラムを組んで制御できるものではない。AIを使って、アトラスが自分で歩き方を学習していくのだ。
 このアトラスは、最初から雪の上をうまく歩けたわけではない。数百回の練習、つまり滑って転ぶという失敗を繰り返した結果、ようやく雪の上の歩き方を覚えたそうだ。
 また同じ動画のなかで、アトラスは箱を運んでいる。それも掴んだ箱を落とされるとか、箱を動かされるという邪魔をされても、アトラスは健気に箱を運ぼうとする。まるで、幼稚園児が箱を運ぶ動作を見ているようだ。こうした動作も、AIが勝手に身に着けたものだそうだ。
 そして、アトラスは次第に運動能力を高め、2017年にはバク宙ができるまでに成長した。その動画には、失敗を何回も繰り返し、ようやく上手にバク宙ができるようになるまでの練習風景も収録されている。
 その後もアトラスは、2017年には荒れ地をランニングし、2018年には障害物を避けて走り、2019年には華麗に新体操を演じるまでなった。 このように、AIを活用することで、ロボットの身体能力を飛躍的に高めることができる。アトラスの成長は、よちよち歩きだった幼稚園児が、中学生・高校生くらいに成長する姿を見ているようで、見ていて応援したくなる。
 ちなみにこのボストン・ダイナミクス社は、最初は米軍の研究を受託していたが、2013年にグーグルの傘下に入り、2018年にはソフトバンクの完全子会社となった。アトラス以外にも、犬型ロボットや馬型ロボットなど、いろいろなロボットを開発している。ユーチューブに関連する画像がたくさんあるので、ぜひご覧になってほしい。

5)ロボットはどこまで進化するか?
 ロボットというとすぐに想起されるのが「鉄腕アトム」のような汎用の人間型ロボットだろう。しかし 彼らはロボットの中ではごく少数派だ。ほとんどのロボットは、工業用や各種サービス用の専用ロボット として使われる。
 こうした専用ロボットの進化は後ほど説明するとして、人間型ロボットはこれからどこ まで進化するのだろうか? まずはロボットを、首から上の「頭」と、胸にある(としておこう)「心」、そして「体」(四肢)と「手先」、という4つのパーツに分けて考えてみよう。
 「頭」を構成する、眼・耳・口と大脳・小脳は、急速に進化を続けている。 ロボットの「眼」となる画像認識の性能は、すでに人間を凌駕している。人間が他人を認識するときは 100人に3人くらいは見間違える可能性があるそうだが、機械は1万人に1人も間違えない。だからこそ、中国では「顔認証決済」といったシステムが実用化されているのだ。
 音声を認識して合成する「耳」と「口」も人と、さきほど説明したように、人と同等なレベルまで 進化した。 また大脳で行うパターン認識、小脳で行う運動の制御は、東ロボくんやアトラスの例にあるように、数 年前とは比較にならないほど進歩した。そしてこれからも指数関数的なスピードで進化を続けていく。
 また「体」も進化した。そもそもロボットは機械なので、人間以上のパワーを発揮できるのだが、それがアトラスのように自分で運動を学習し改善し、自律的に運動するまでに進化したわけだ。
 その一方でロボットは「心」、つまり意志や感情を持っているとは言えない。そもそも「心」に対する定 義はないのだが(だから、もしかしたら持っているかもしれない)、心を持つため必要となる「強いAI」 は、現時点では誰も開発できていない。 産業技術総合研究所の開発したアザラシ型の「パロ」に代表される、各種のコミュニケーション・ロボッ トは、たしかに介護の現場などではとても重宝するらしい。しかしこれらは、あくまで会話や動作のパター ンを身につけただけで、心を持って動作しているわけではない。 またロボットにとっては「手先」も難関だ。人の指先には1平方センチあたり、痛点が100点以上、 圧点が 点以上も存在している。また人の手は、壊れやすい卵を掴め、かつ重たい鉄のハンマーも持てる。 このような精密なセンサー、また可用性の高いアクチュエータを作る技術は、まだ開発の目処さえたって いない。
 このように、今のロボットは、頭と体は優秀で自律的に動作するが、心と手先がない機械、と言ってよい。つまり彼らロボットは、人間の形をした(していなくても)巨大な「虫」といったほうが近いかもし れない。
  「 虫」だからといって、必ずしも彼らが人間に危害を加えるわけではないが、いまのところ別種の知性体 だといえるだろう。いつの日か、彼らが人間と同じ、いや人間より優しい心を持って、登場する日が来る ことを待ち望むばかりだ。

2.産業への活躍の場を広げるAI

 AIが日常生活で人間のパートナー(友達)となる日はしばらく先になりそうだが、AIの産業利用は、 この数年で格段に広まった。その事例を、医療、素材開発・創薬、自動運転、工場や農場での利用などに ついて見てみよう。 

1)医療におけるAIの活用
 医療、とくに病気の診断は、AIがもっとも活躍できる領域だ。 臨床医学は、年に1万本以上の論文が発表されるほど進歩が早い。どんなに優秀な医師でも知識量には 限度があるが、AIならすべての論文を記憶し、それにもとづく診断ができる。
 日本でも2016年に、東京大学の医学部で試験的に導入したAI(IBMのワトソン)が、今まで思うように回復しなかった患者の正しい病名を診断し、別の処方を提案した。これにより患者は数ヶ月で回復したという事例がある。
 中国だと2017年に、科大訊飛(アイフライテック)の開発したAIが、医師国家試験の筆記試験に、 それもトップ100に入る優秀な成績で合格した。また、イギリス政府が普及を進めているバビロンヘルス社の開発したAIアプリは、患者が入力した症状にしたがって診断をするのだが、その精度は新米の医師を大きく上回り、ベテラン医師に並ぶ成績を収めている。
 X線写真などの画像診断も、AIがもっとも得意とする領域だ。
 人間の医師の場合、教科書に掲載された資料画像を参照しながらときには数時間をかけて検討する画像診断の作業が、AIならばたった数秒で人間より正確な診断をすることができる。また、X線画像以外にも、CTの画像、MRIの画像、胃カメラの画像、皮膚の病変、眼底の網膜画像など多様な画像を使って病気の診断をすることができる。
 またグーグルは、約140万人の電子カルテ情報を統合した400億点以上の治療データを分析し、患者の症例に応じてどのような治療が最適となるのかアドバイスするAIシステムを試験中だ。最適な治療をアドバイスするとともに、患者の予後(つまり患者の生死)についても確度高く予測できると聞く。
 このように、医療のありとあらゆる場面でAIが活躍できる可能性がある。大学やベンチャー企業を主体に、さまざまな領域での多様なAI活用のトライアルが行われている。日本だと、東大発ベンチャーのエルピクセル社が有名だろう。
 AIは、診断し治療方針を示すという人間の医師の仕事を置き換えるわけではない。むしろAIは、医師の最良の助言者として、今後さらに大きく発展していくことが期待される。

2)素材開発や創薬への適用
 電気自動車のバッテリーや太陽光発電、また高温超伝導ケーブルの材料となる新素材を探求するには、 今までは何万種類もの化合物について、実際に化合物を合成し、特性を確かめる実験を繰り返すしか方法 がなかった。最高速のスーパーコンピューターといえども、素材の物性を計算する時間がかかりすぎ、現 実的には使いものにならなかったのだ。
 しかし、何万通りもの実験結果をAIで分析することにより、実験結果をかなり正確に予測できること が分かった。これが、無駄な実験を省き、実験効率を100倍以上に高める「マテリアルズ・インフォル マティックス(MI)」と言われる手法である。
 アメリカはMI推進のために2011年に「マテリアルズ・ゲノミクス」計画を立ち上げ、中国や韓国も 同様なプログラムを推進している。もちろん日本の大手化学企業の多くも、MIに熱心に取り組んでいる。
 同じように創薬も、従来は1つのクスリを作るためには、数万通りの化合物候補を試験し、 個程度に 絞り込んだ化合物について3段階の治験を行う、という膨大な作業が必要であり、そのためのコストは数百億円規模に膨れ上がっていた。
 ここでもAIを活用し、試験結果を予測することによって、開発期間の大幅な短縮とコスト削減が可能 となる。大手製薬会社だけでなく、数多くのベンチャー企業が、こうしたプロセス改善に向けて取り組み をはじめている。
 また創薬では、タンパク質の立体構造の特定がカギを握る。このためには従来はタンパク質の結晶を作っ てX線回折の結果から分析する必要があったのだが、グーグルはAIを活用し、タンパク質の立体構造を 精度良く推定することに成功した。 このように、素材開発や創薬という化合物合成について、さまざまな面からAIの活用が進んでいる。

3)自動運転
 自動運転は、本書に記述されている時点から、2年で格段に進化した。
 その先頭を走るのは、なんと言ってもグーグル傘下のウェイモだろう。ウェイモは、2012年のネバダ州での公道試験を皮切りに、現在はアメリカ全土で数万台のデータ収集用の自動車を走らせ年間8億キロもの実走行データを集め、同時にシミュレーションを使った実験を繰り返している。
 このような学習の結果、2017年の時点で、自動運転システムでは判断ができずに人が介入せざるを 得ない頻度を、約1万キロに1回にまで高めた。人間でも1万キロも走れば数回は判断がつかなくなる場 面があるだろうから、実質的に人間以上の運転能力ということができるだろう。
 このような実績を元に、ウェイモは2018年にネバダ州で自動運転のタクシーの商用サービス「ウェイモ・ワン」を開始した。また2019年には、カリフォルニア州でも自動運転の許可を取得した。ただし、このウェイモ・ワン、まだ「なにかあったときのために」何もしない補助員が運転席に座っているの で、あまり自動運転には見えないかもしれない。
 同じように中国でも、百度が2019年に北京市と湖南省長沙市で自動運転の認可を取得した。アリババも、お膝元の杭州市で完全自動運転の新都市を計画中である。また北京近くに建設中の巨大な雄安新区 でも、自動運転を前提とした都市設計を進めている。これら新都市では、AIが全面的に都市交通を制御 し、渋滞のないスムーズな移動を実現する計画であると聞く。
 もちろん安全性の慎重な確認や、社会的な認知や法的な整備の必要性などの課題は残っている。しかし、 おそらく数年もすると、アメリカでも中国でも、自動運転のクルマが当たり前のように走りまわる世界が やってくるだろう。移動が変わると、生活も都市も大きく変わる。未来の都市がどうなるか、いまから楽しみだ。

4)進化する工業用ロボット
 工業用ロボットについては、いままで人間が操作必要だった工程を、どんどんロボットが置き換えよう としている。 たとえば、「コンベアに流れてくる部品を見て掴み、別の位置に置く」という単純作業でも、AIの登場 以前は人間が肉眼で見て判断せざるを得なかった。しかし、こうした単純作業を担当する人の採用はとて も難しくなっている。
 ここでアメリカのリシンク・ロボティックス社は、機械の「眼」を持ち、こうした単純作業をする「バクスター」というロボットを開発した。またバクスターは、複雑なプログラミングをする必要がなく、腕を直接持って「手とり足取り」教えることができる。簡単な訓練により、単純作業を 時間文句も言わず に正確にこなし続ける、このバクスターの値段は、たった300万円だ。工場の中にはまだまだ多いこのよ うな単純作業の工程は、どんどん人からロボットに替わっていくはずだし、替えるべきだろう。(動画UR L https://youtu.be/onBcXxnLGBc
 また、従来は機械への代替が難しかった職人芸についても、職人の動作を画像認識して「技を盗む」ことにより、ロボット化する流れが加速するはずだ。たとえば、イギリスのモリーロボティクス社は、料理人(という職人)の手の動きを画像解析し、たとえば「おばあちゃんのスパゲッティ」を再現するという構想を2015年に発表して話題となった。(動画URL https://youtu.be/KdwfoBbEbBE)
 ただし、リシンク社はその後に他社から登場した同様なロボットとの競争激化に伴い倒産し、ドイツの 会社に吸収された。またモリー社のロボットはまだ実現していない。このようなドタバタ劇はあるが、世界全体の工業用ロボットの出荷台数は毎年3割の勢いで伸び続けており、その中でAIを搭載したロボットの割合も増えていくはずだ。

5)農業やサービス業にも進出するロボット
 また農園でもロボットが使われ始めている。
 たとえば、果樹収穫ロボットを例にとろう。ブドウやイチゴといった果物を収穫するには、まずは果物の位置を特定し、熟した色の果物を選び、それを枝から一つ一つ切り取るといった、意外と複雑な作業が必要だ。この作業を行うには、AIを活用した画像認識は欠かせない。
 果樹栽培が盛んなカリフォルニア州では、従来はこうした果樹収穫の作業を担っていたのはメキシコか らの不法移民だった。彼らを安価な労働力として酷使していたわけだ。しかし、トランプ政権がこうした 不法移民を禁止したので、彼らの替わりとなる果樹収穫ロボットの開発が急速に進んだ。政治が(意図せず)ロボット開発を促した、よい例であろう。
 同じくサービス業についても、同様に「眼」を持つロボットが、いままで人が担当していた仕事を置き 換え始めている。たとえば、巡回警備ロボットが、障害物を避けて動き、異常物を発見し、不審者を特定 することができるようになった。また物流倉庫でも、ピッキングロボットが、正確に積荷を掴みだし、運 べるようになった。
 このように、「眼」を持ったロボットは、いままで人がやる他なかった仕事をどんどん置き換えている。 こうした仕事のほとんどは、辛い単調な仕事だ。そのような仕事を機械に任せられるのは、基本的にはと ても良い世界だと思う。 

6)彗星のように登場した量子コンピュータ
 量子コンピュータ(以下、QCと表記)は、概念としては1980年頃から存在したが、長い間それは あくまで「空想」でしかなかった。ところが2011年、カナダの新興企業ディーウェーブ社が突如とし て、絶対零度に近く冷却したニオブ素子を活用した量子コンピュータを発表して世界を驚かせた。ただ当 初のマシンは、量子ビット数が少なくかつ不安定で、ある意味でなにもできないオモチャだった。
 それが2019年、グーグルは自社の開発したQCが、既存のコンピュータを超える「量子超越性」を 実現したと発表した。最高速のスーパーコンピューターでも1万年かかる計算問題を3分 秒で解いたと いうのだ。この発表は、QCの発展の最初の一歩だ。QCの性能は、これからも量子ビット数の増加に伴 い(文字通り)指数関数的に向上していく。QCには、ゲート方式やアニーリングなど複数の方式があり、 世界中で開発競争が始まったところだ。日本も東大やNTTなどが光ネットワークを利用した常温で稼働するQCを開発中だ。
 QCの活用が期待される分野はいろいろあるが、一番インパクトが大きいのは、電子軌道の計算と暗号計算だろう。
 QCの得意分野の一つが、分子の電子軌道の計算だ。電子軌道が実用速度で計算できれば、素材の物性を正確に推定できる。今まで必要だったリアルな素材での実験が必要最小限で済む。先述したMIとQCの活用により、素材開発のスピードは桁違いに上がる。さらにQCの量子ビット数が増えれば、より複雑な分子である新薬の開発なども可能になるかもしれない。
 また現在の通信で使われる暗号は、大きな数の素因数分解は計算時間がかかる、という事実に依拠して安全性を担保している。しかし、QCでショアのアルゴリズムを使えば、実用時間内で素因数分解が可能となる。現在の暗号システムの安全性の根底を揺るがしかねない。
 まだQCの開発は始まったばかりだ。今あるコンピュータが社会を大きく変えたたように、QCも今後社会を大きく変えていくかもしれない。

3.中国が創る「未来の文明」


1)「世界の工場」から登場しはじめたハイテク企業
 中国は、改革開放後に「世界の工場」として成長したものの、2010年頃までは安価な労働力に支えられた「安かろう悪かろう」という国だった。それがこの10年たらずで、世界をリードする科学技術企業が、続々と中国に生まれている。
 この本で紹介した百度は、現代中国を象徴する科学技術企業だ。この他にも時価総額で世界のトップに入る阿里巴巴(アリババ)と騰訊(テンセント)が有名だ。他にも、ドローンで世界トップの大疆創新 (DJI)や通信機器の華為(ファーウェイ)など、一介のベンチャー企業から出発した会社が、世界を代 表するハイテク企業に成長している。これはちょうど、1970年代に「世界の工場」だった日本から、ソニーやホンダといった世界的なハイテク企業が生まれたのと同じ状況だろう。
 そして中国には、多くのユニコーン企業(時価総額で1億ドル以上の未上場企業)が次に控えている。そ の数は、184社(2019年5月時点)。アメリカの178社を抜き、プリファード・ネットワークス、 リキッドグループ、スマートニュースの3社(2019年8月時点)しかない日本を圧倒する。
 「深圳の1週間は、シリコンバレーの1ヶ月」と言われ、深圳では新しいアイデアから「3ヶ月後には新しい業界」が生まれる、とさえ言われる。実際にシリコンバレーに行くと、みなが深圳の動きに注目していた。またシリコンバレーでアイデアを出し、それを深圳で製品にする、というアメリカと中国が 連携する生態系も生まれている。

2)科学技術立国へと転換する中国
 こうした中国企業の躍進は、政府の科学技術振興政策によるところが大きい。 理系学部に進学する大学生や大学院生の数、そして研究論文の発行数は、2000年にはアメリカの 分の1程度だったが、20 年後の現在はほぼ同じ。日本の4倍にも達している。
 もちろんその重点分野の一つが、本書で紹介するAIだ。AIで勝つための要因として、膨大なデータへのアクセス、優秀な人材、豊富な計算資源が挙げられるが、このいずれにおいても、中国はアメリカと互 角、もしくは凌駕する。研究内容についても、本書で解説されているとおり、世界の最先端を走っている。
 中国政府は、AI以外にも、エネルギー、次世代半導体、量子技術、生命科学といった、21世紀の主要産業を担うと目されるものに、大規模な研究開発投資をしている。
 たとえばエネルギーに関しては、 世紀の主役を担うのは太陽光と次世代電池だ。 太陽電池は、もともと主に日本企業が開発したものであり、 年前にはシャープが世界トップの座にい た。しかし、2018年現在、トップ を占めるのは、晶科能源(JINCO)や晶澳太陽能(JAソー ラー)といった中国企業ばかりだ。
 同じくリチウムイオン電池も、元々は日本企業が開発した技術であり、 年前は日本企業が独占してい た。しかし現在では、パナソニックが2位にいるものの、あとは寧徳時代新能源科技(CATL)や比亜 迪汽車(BYD)といった中国企業が中心だ。
 半導体に関しては、清華大学が経営する紫光集団などが、メモリー工場などに数兆円規模の投資をして いる。さらに次世代の半導体の主力となるAIチップについても、華為などが積極的に開発投資をかけて いる。
 量子技術についても、絶対破られないという量子暗号を活用した人工衛星「墨子号」を2016年に打 ち上げ、その翌年には北京とオーストラリア間での通信実験に成功して、世界を驚かせた。 生命科学に関しても、中国は北京と上海に大規模な研究機構を設置し、遺伝子解析・遺伝子編集・創薬、 また脳とコンピュータの結合(BMI)といった幅広い分野で、精力的に研究開発を進めている。
 こうしたエネルギー関係の素材開発や生命科学の探求を進めるには、先ほど述べたようにAIの活用が必須となる。中国政府は、AI活用を基盤に据えつつ、未来の主要産業を自国で育てようとしているわけだ。

3)AIが動かすリアルな市民生活
 すでに中国の大都市での生活は、AIなしでは成り立たない。
 旅行をしたくなったら、スマートフォンのアプリに目的地を入れて、飛行機や高速鉄道などの時刻表や空席情報をリアルタイムで検索し、そのまま予約を入れる。電子チケットは身分証に紐づけられているので、 そのまま空港や駅でチェックインできる。短距離の移動も、徒歩や地下鉄、またモバイクなどのシェア自 転車や、滴滴などのライドシェアなどから、アプリが最適な移動手段を提案してくれ、手配もしてくれる。 お腹が空いたら、近所のレストランを検索し、メニューを見て注文し、そのまま配達してくれる「外売」 を頼めばよい。生鮮食料品もアプリから選ぶと、近くの「盒馬鮮生(フーマー)」のリアルな店舗から5分 以内に電動バイクで届けてくれる。もちろん食事や食材だけでなく、アリババでの買い物や宅配便の受取り依頼も、全部アプリで完結する。
 体調が悪くなったら、アプリで初期診断してもらう。もし病気だと分かると画面が人間の医師に切り替わり、必要な薬を処方してもらい、その場で自宅まで薬の配送を手配できる。症状が重い場合には、その 場で即座に病院の診療予約が取れる。患者が病院に来たら、問診はアプリで済んでいるので、すぐに治療 をスタートできる。
 このようにリアルな生活が、オンラインのアプリの上で動いていく。最近の言葉だとOMO(Online Merges with Offline)が実現しているのだ。こうしたアプリはAIを活用し、個人の行動履歴や趣味嗜 好というビッグデータの分析に基づいて、ひとりひとりに最適化した提案をしてくる。このように中国の 大都市には、AIがリアルな生活を采配しはじめている。 「スマートフォンに願いを入れれば、すべてAIが叶えてくれる生活」だと、私の友人は表現していた。 すでに中国の大都会は、我々より一足先に、AIの時代に到達しているのだ。 

4)AIによる安心安全な「監視社会」
 最近だと中国関連では、「天網」という監視カメラシステムや、「芝麻信用」に代表される個人の信用評 価システムが話題になることも多い。
 中国全土に2億台近く設置された「天網」システムの監視カメラは、顔認証機能で映った人物を特定し、 個人の位置情報や行動を監視する。有名歌手のコンサートに押し寄せた数4万人から複数の指名手配犯を探し出したニュースや、信号無視などの交通違反を発見すると実名を表示して警告をする深圳や上海の電光 掲示板のニュースを聞いたことがある方も多いだろう。またクルマも常時監視されているので、駐車違反 やスピード違反をすると、即座に持ち主のスマートフォンに警告と罰金の支払い命令が飛んでくる。
 「芝麻信用」は、ひとりひとりがどれだけ「信用」に値するかを数値化するアプリだ。借りたものを返す、 支払いをキチンとするというような「善行」を積み重ねることで、信用評価の点数があがる。信用評価が上 がると、宿泊やレンタカーの保証金が免除されたり、お見合いサービスで紹介される相手のグレードが上 がったり、住宅ローンに金利が下がったり、ビザの条件が緩和されたりといった、大きなメリットがある。
 逆に、税金や借金を滞納するとか、泥棒や万引きをするとか、ゴミを道端に捨てるといった軽犯罪をすると、点数は一気にさがる。先にあげたメリットを失い、下手をすると飛行機や新幹線の切符が買えなく なり、自由な移動もできなくなる。
 この2つのシステムは、生活上のメリットに繋がる善行を奨励し、大損をする悪事を抑制するシステムだといえる。実際に、最近の中国の街はとてもキレイに安全になった。違法駐車はなくなり、路上にゴミを捨てる人や喧嘩をする人はいなくなった。落とし物や忘れ物をしても、持ち主に返ってくるという。以前では到底考えられない「安心安全」な社会に変化したわけだ。
 当初はスコアをあげるために無理にしていた善行も、繰り返すことで日常の動作として善行が定着し、 市民の意識まで変わってきたという話もよく聞く。
 こうした社会システムの構築は、2016年の中国政府の第 次五カ年改革の中に「社会信用体系」の 構築として明記されている。今まで「信義」の不足していた中国社会に「円滑な信用創造」を行う信用情 報インフラを構築し、社会経済をスムーズかつ拡大再生産的に運用することを図る、とある。まさに中国は、国家の基本政策としてこうした社会システムを計画し、実現に向けて歩んでいるのだ。

5)AIによる新たな文明を模索する中国
 しばらく前に話題になった「サピエンス全史」という本がある。 人類は「認知革命、農業革命、科学革命」という3つ段階を経て、地球を支配するに至ったという内容だ。
 最初の認知革命で得た力とは、抽象的な思考力だ。人類や、国家や貨幣や宗教といった共同主観を持ったことが、続く農業革命と科学革命の原動力ともなり、現在の文明社会を形作ったというのだ。
 そして現在、こうした人間のみが持つと考えられてきた知性を、AIという形で機械が持ち始めようとしている。 もちろん、現在のAIは「弱いAI」であり、新たな創造をし、真理を発見するといった純粋な思考力 や創造性は持ち合わせていないし、持てる見込みも今のところない。
 しかし、将棋や囲碁というゲームで人間に勝ち、言葉を文字として認識し、異なる言語に翻訳し、病気を診断し、クルマを運転し、工場や農園で作業するAIの姿は、十分に知的な存在といえるだろう。こうした特定の領域については、すでにAIの能力は人間を凌駕している。
 現代文明は今まで、蒸気機関や製鉄、自動車や飛行機といった、人間より優れた「機械の動力」を使って発展してきた。 同じように、次の文明は、特定領域では人間より優れた「機械の知力」を使って発展していくことにな るだろう。
 単純な計算力の比較をすると、2045年には、人類すべての情報処理能力より機械の情報処理能力の 総和が上回る「シンギュラリティ」がやってくる。だから機械が人間を支配する、というほど単純ではな いにせよ、人類と機械の関係は、今までとは違った次元になるはずだ。
 我々は、認知革命、農業革命、科学革命に続く、「第二の認知革命」(AI革命と言って良い)の入り口 にいる。 

 そして、そうした未来を見据えて大きく舵を切っているように見えるのが、現在の中国である。 西洋の自由主義から見ると、中国の監視社会は人間の自由を侵害する、ディストピアに見える。また実 際にウイグルでは、天網システムを活用した弾圧も行われている。
 しかし、中国国民のほとんどは、お互いを信用できない、安心できない、かつ不便な以前の社会よりも、 信用情報をベースとした、お互いを信用できる、安心できる便利な社会のほうを歓迎している。 それに、AIと人間と、どちらがまともな判断ができるのだろう?  個々の仕事においては、今の仕事のほとんどを機械のほうが正しく、かつ再現性をもって正確に実行で きる。また同じデータがあれば、機械のほうが人間より正しい判断を下せる。
 もしも人間の不合理な感情 や競争心や名誉欲が、資源の浪費や戦争を引き起こしているとするならば、人間に下手に思考や判断をさ せないほうが良いのではないのか?  データに基づきAIが出した判断に基づく行動をするほうが、よほど幸せな世界が到来するのではないか? 
 「天網」の元となった「天網恢恢疎にして漏らさず」という言葉は、道教の古典の「老子」にある。天網は 目が粗いようだが、悪人を漏らさず捕らえる。 天道は厳正で悪事をはたらいた者には必ずその報いがある、という意味だ。
 また、犯罪に対して果断に処罰を下すべしというのは、韓非子の「法家」の教えそのものだ。 その一方で道教は、市民が国家権力を直接意識せずに、安心安全に生活できる「鼓腹撃壌」を理想社会としている。
 また、中国の統治の基本となった儒教は「修身斉家治国平天下」と、個人の道徳や善行が国家 統治の根本だと説いている。実際に儒教の開祖である孔子は、古典の「論語」で「七十にして、心の欲す る所に従えども、矩(のり)を超えず」つまり、「七十歳になると自分の欲求にしたがったことをしても、人の道を踏みはずすことがなくなったと」いう境地に達したと述べている。
 このように、善行や道徳が市民の生活や考えの基本として定着し、他人を信頼し安心して生活できる社 会をつくることが、社会信用体系が目標とする理想だろう。 つまり中国の目指すAIとは、道教・法家・儒教といった中国古代からの国家運営の理想形を体現する ものなのかもしれない。

 我々は現在、人類の次の文明の入口に立ちつつあるが、その文明がどのような形になるかは、まだ誰もわからない。文明は単調に進化するわけではない。2019年に起きている香港市民の抗議行動は、中国政府に明確にNOを突きつけたものだ。現在の中国の統治スタイルが広く世界に受け入れられることはないだろう。

 それでも中国は、新たな文明の構築に向けて、全速力で走っているように見える。
 おそらく全人類の未来を左右することになる中国のAIの進化からは、しばらく目が離せない。


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