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小学生、岐路に立つ。

「みんなと一緒」がなんとなく嫌だった。「みんな」が誰のことを差すのか、なぜ「一緒」が嫌なのか、明確にわかっちゃいなかった、小学校6年生。私はある人生の岐路に立っていた。中学校をA中学・B中学のどちらにするかの選択を迫られていたのだ。小6にとっては大きな大きな選択であった。

私が小学生の時は、中学受験をする小学生なんてクラスに2、3人いるかどうかだった。だから、ほとんどの同級生たちは学区内の中学、つまりA中学に進学することになっていた。

普通に過ごしていれば、A中学に行く。小学生は日々の暮らしに精一杯で、長すぎると感じる1年を過ごし、毎年4月のクラス替え発表の日にドキドキしている。苦手な運動会が近づくと、早く終わって欲しいと願っている。他の中学校に行く選択肢なんて頭にも浮かばないはずだった。

ある日のこと、母が「中学校、選べるみたいだよ」と私に何気なく言った。どうやら、本来通うはずであるA中よりも、学区外のB中の方が自宅から近いみたいなのだ。B中の方が通いやすい位置にあり、開けた作りの校舎だった。しかも、私の父親はB中学に昔通っていた。私の通っている小学校が父親の時代には無く、父親はB中の学区内の小学校に通っていたからである。父親の通っていた中学の方も選べるのか。私はすぐ母に返事をした。「なにそれ面白そう」。

大人の決めた道から逸れてやろう!とまでは考えていなかったものの、「面白いことをしてやろう」という気持ちが私の根っこにはあった。例えば、習い事のワークショップで花束を作った時、4人の同級生のうち3人がオレンジ色の花束を作っていた。それを見て、1人だけピンクで作ってやろう、というマインドで作った。ほら、私は少数派なんだぞ。みんなと同じにはしないんだぞ。少数派万歳。その方が面白いじゃん。みんなと同じなんてつまらない。母親も「独自路線でゆけ」といつもいつも言っていた。気がつくと、自分がA中に通うビジョンが全く見えなくなっていた。

幸運なことに、特に今の小学校でいじめに遭っているわけではなかった。仲良くしている友人も、ほとんどがA中に行く。制服もA中の方が正直言って可愛かった。B中は、ナイロン素材の紺色のベストで、チャックが脇についていて、超ダサい。B中に行くということは、わざわざダサい制服の学校を選ぶということなのだ。しかも、小学校の時から習っているテニス部が、A中にはあるがB中にはない。習っていた分のアドバンテージを活かす舞台が、B中にはないのである。普通に考えたら、部活動のことまで考えると、A中の方が優位だっただろう。さらに治安面でいうと、B中の方が当時は荒れていた。全校集会なんてしょっちゅうだし、先輩に挨拶しないとやばいらしいぜ。少年院に行った奴もいるらしい。そんな噂を、なぜだか、なんとなく知っていた。おそらく父親の時代から荒れていたからだろう。話を聞く限り、治安面は30年くらい経っても変わっていないようであった。A中の方が平和だ、という噂もあった。

自分の小学校の友達が嫌になったわけじゃ決してない。驚くことに、A中に進学した同じ小学校の友達の中で、社会人になった今でも会っている友達がいるくらいだ。しかし小学校では、「ポジション」がなんとなく決まってしまっていた。6年間も通えば、そりゃそうである。派手で、体操着を振り回して、砲丸投げのように天井の蛍光灯を割っちゃうような女子とは、今さら仲良くなれそうもないし。つるんでいる子が週ごとに変わる子たちの中にはいたくないし。絵がうまくておとなしい子は受験をしてしまうし。いっつもくっついている女子、にはなりたくないし。よし、A中に未練はない!

こうして、思い切ってB中を選択したのであった。実は、習い事の水泳を通じて友達になった子が、B中の学区内の小学校に通っていた。その子もB中に進むので、全く知り合いがいないというわけでもない。ということで、背中を押される要因にもなった。それに、体育が苦手でできれば参加したくないが、それを知る同級生がいない。それはどんなに楽なことか。何も誰も知らないところで一からやってやろう!

というわけで、小学校卒業後、たった1人の友達を頼りに、B中へと進学したのである。自分のことを知らない同級生の中で羽を伸ばして3年間を過ごすことができたのだ。(部活は結局帰宅部だったし、廊下をすれ違った先輩に挨拶をしなかったら「挨拶しろよ」とガン飛ばされたこともあったが・・・。)いわゆる「中学デビュー」ってやつ?小学校6年間で決まってしまっていたなんとなくのキャラ、とかポジション、を意識しないで過ごすことができたのは、その後の人生にも大きく大きく影響したと思う。何より勉強するようになった。あのまま同じ小学校へ行っていたら自意識から、勉強をちゃんとやる子、に変われたかというと怪しい。(体育祭は相変わらず苦手で、夏の水泳だけ成績が良かった・・・)。

あの選択のおかげで、今の自分がある。あの選択をしたおかげで、みんなと一緒の方がいいと流されることなく、今までやってこられたという自信にもなっていった。

この経験をしてから、たびたび「今、自分は自分のために選択している。選び取った人生を、流されることなく生きている」と実感する局面がある。自分の力で決めているので、人生の満足度が圧倒的に高い。私の場合、家が近いという理由でたまたま選択することができた。それは幸運だし、その選択肢があることに気が付かせてくれた母に感謝している。

自分の進むことのできる道は、本当に一つしかないのか。何も考えず、流されて道の選択を見過ごすことのないように、アンテナを張ってみてほしい。自分で選択したことは、必ず幸福をもたらしてくれる。小学生の自分でもできたのだから、今後の人生も選択肢に気が付くことができるだろう。大多数の選ぶ道に、いったん疑問を持ってみたいと思う。そのうえで、自分で選択していくぞ、と思って今日も生きている。

#あの選択をしたから

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