37年経ってもまだ意外なところが見つかる友人

 ずっと前に記事で書いた友人Zちゃん。中学一年生から仲が良い。
 仲が良いと言っても、ずっとベッタリだったわけじゃなくて、それぞれに仲間の輪があったので、互いに気を使っていた。
 Zちゃんは、教室で大好きな俳優の歌真似をしたり、みんなの前で笑いをとったり注目されやすい。スポーツもできたから目立っていて、みんなの人気者。みんながいる時に近づき過ぎると取り合いの渦に巻き込まれてしまう。

***

 昨年からみんなが思うように会えなくなった。
 帰省も、息子の受験もあったとはいえ、その後も遠慮するようになり、関西の友人たちと会えずにいる。
 どんなスケジュールでも無理やり時間を作って会う友人は二人。
 そのうちの一人がZちゃん。

 会って何となく喋るだけ。だけど、どこで何で笑うかお互いツボがわかっているので、ちょっと毒を吐きつつ笑いを忘れない。失言しても、その話の本質だとかお互いの性格がわかっているので、気にしないで済む。

 noteにいるとうっかり忘れてしまいそうになるけれど、私たちの世代は、SNSに疎い人がまだまだいる。私だってnoteで文を書き、Twitterで趣味を追うくらいで、あとはメールやリモートで個人的なやり取りのみ。他のだって使っていれば楽しいのだろうし全然否定する気持ちはなくって、ただただ「これで充分満足」。
 何度か誘ってみたけど、Zちゃんは「リモートとか恥ずかしくてとてもできない」と言っていた。プレッシャーに思ってほしくなかったけど、当分まだ関西に行く予定もないので、「いつかできると良いね」と話してはいた。

 それが、この夏できるようになった。
 アルバイトをしたくて面接を受けようと思ったら、リモートだったと言う。
 「やってみると、リモートも大丈夫やった。かせみちゃんと喋りたい」と連絡があった。

 表情を見ながら彼女と喋るのは、2年ぶりくらいだろうか。
 20代前半で地元を離れていてこの歳であれば、何度も「〇年ぶり」はある。
 画面を通すと、互いのシミもシワもよく見えなくて「変わってないね~」と笑い合う。(本当は、自分のは見えていたりするのだけど)
 笑っている彼女を見ながら、高校生時代を思い出していた。

***

 私たちは互いの仲間に遠慮しながら、周りの関係性を壊さないように気を付けながら、私は彼女の周辺の、マウント取り合いに巻き込まれないよう気を付けながら、そっと接していた。電話やルーズリーフに書いた手紙を交わして互いの悩みを相談したり、考えを伝え合ったり。

 ある日、彼女が「ボクシングを習ってみたいねん」と言う。
 なかなか踏み出せないようだった。「女子高生がくんなや(来るなよ)」「甘い世界ちゃうねんで」みたいに思われたらどうしよう。が一番の理由だったかな。
 いやむしろ、新鮮で重宝されると思うけどな。女子高生だからこそ、わからないことがあっても知らない世界であっても、教えてもらいやすいんじゃないだろうか。コーチがウエルカムじゃなかったら、そんなジムだと思ってやめとけば良いよ、まずは行ってみないとわからないよ!
 めっちゃ推した。背中も押した。
 そうやって彼女はスポーツ系の部活をやっていたのに、ボクシングも始めた。
 結局シャドウボクシングの大会まで出てその後、辞めた。実際に打ち合うまではいかなかったけど、なかなかサマになっていたし、彼女も気が済んだようだった。

 もっと後になってから今度は、「スカートはいてみたいねん」と言う。
 やっぱりなかなか踏み出せないようだった。それまで制服以外でほぼジーンズしかはいていなかったそうで。
 「Zちゃんがスカート?」なんて思われへん? が一番の理由だったかな。女子校で、人気者のイメージを自分で作り上げていたのか、同じ学校の子たちと学校外で会う時にスカートだったらどう思われるかと気にしていた。
 だからこそ驚かれるのも面白いと思うなあ。どんな格好したって良いやんか。きっと今後の服装も広がりが出てくるよ。
 まためっちゃ推した。

 人気者で元気で明るい彼女は、誰とも分け隔てなく屈託なく喋った。自分の考えや自分の中にある正義感を、ちょっと控えめながらも伝える彼女にはもっと強い葛藤が内側に常にあった。繊細で悩みがちな彼女に読書を勧めてみた。「私が本なんて読めるかなあ?」と言う。
 これ一冊で良いから読んでみて。と伝えると次々と本を読んで、あっという間に私の読書量を上回っていった。

 どの時も意外な一面を見るよう。

 イジメられっ子にちょっと寄り添った態度を私が見せて教室がシンとした時、Zちゃんが「エライ!」とみんなの前で背中をドンとたたいてくれた。女子校だったのでイジメはほとんどなかったけど、入学当初、中学一年の一学期は何人かに対して少しあった。
 Zちゃんのおかげで、クラスのムードはガラッと変わりイジメはなくなっていった。

 ボーイッシュで皆の前でも堂々としている人気者の彼女が、何かを始める時に、毎回不安になってしまって一歩踏み出せないのは意外だった。私は割とサッと始めて「合わないなあ」と思ったら無責任なのだ。それはきっと私にとって、動き出すエネルギーの方がラクだからなのだろう。興味を持ったままずっと「やりたいなあ」と思い続けるエネルギーの方がないのだと思う。あと「合わない」と思ってから粘り強く続けるエネルギーも。


 「スカートはくのが勇気要る!」と言っていたZちゃんの、今の服装にはセンスを感じる。私は好きな色合い、色の組み合わせがあるのでそれを楽しむけど、彼女は基本的にシックな色使い。地味な色だけどラインもカッコいい物を選び、ベルトとかカバンとかの小物が少し凝っている。
 「Zちゃんの選ぶ物にはセンスを感じるよねえ。私は真似できないカッコ良さやわあ」と伝えると喜んでくれる。本当にそうだよ~と思うのだけど、Zちゃんは「これで良いんかな、っていっつも自信ないねん」と言う。

 リモートが恥ずかしいと言った時、まだZちゃんにも知らない意外な部分があるのだなあと思った。
 つい最近も「かせみちゃんが、お母さんの話してくれたでしょ。歳取ると、好奇心は努力してでも持ち続けた方が良いって。だから頑張って始めてみてん」と新しい習い事について話してくれた。それもまた意外な習い事だったのだけど、彼女の気持ちを大事にしたくて、ちょっと内緒。

 思い返せばボクシングを始める時も、スカートをはく時も、なかなか一歩目を踏み出せない彼女だった。そんな時に、あと一押ししてほしいと、人に言えない思いを私に伝えてくれたんだ。


 私がZちゃんにかばってもらい、楽しませてもらった思い出はいったいいくつあるだろう。
 自転車の後ろに乗せてもらった。学校帰りのファストフード店で「先生に見つかっても、かせみちゃんは怒られたらあかん」と私を奥の席に座らせた。一緒に映画をいくつも観に行った。なんでも話せたし、彼女のおかげで私の学生時代は、うまくいかない友人たちがいても楽しくなった。大学受験をした彼女と、そのまま同じ女子校の大学に上がった私とで違う道を進んだけど、ずっと連絡を取り合った。一緒に何度か旅行に行った。互いの愚痴や恋愛話に大笑いしたり泣いたり。私が傷心の時には一緒に砂浜に座って海を眺めるのに黙って付き合ってくれた。彼女の寮の4畳半の部屋に、何度か遊びに行って泊まり、互いの考えていることや将来について語り合った。


 彼女の表情が見える。パソコンの向こうで笑っている。

 Zちゃんの誕生日がついこの前あった。私の誕生日も近い。彼女が50歳なんて、自分のことを棚に上げて信じられない。13歳になる頃から友達だったのだ。

 ところでこの前、計算間違えて「うわあもう27年も経つのかあ」って思っちゃった。37年だよ。すごいよなんだか。もうよくわからないよ。

 けっきょくもうしばらく、関西から動かないと決めた両親の話を今度はしよう。今より自由に、気兼ねなく旅行ができるようになったら、遊びに行くよと話そう。きっと喜んでくれるとわかる友達がいるのは、すごく幸せなんだろう。

#エッセイ #友達 #中学時代 #喜怒哀楽  

読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。