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友情も、私にとっては愛なのだ

 また私の友人の一人について書きたい。

 話はまず、エルトン・ジョンの曲「Your Song」から。
 エルトンとバーニー、作詞作曲の役割分担を続けた二人の間に恋愛感情は起きない。あくまでも親友としてバーニーが書いた歌詞。それをエルトンがメロディをつけて歌う。

I know it’s not much, but it’s the best I can do
My gift is my song and this one’s for you

And you can tell everybody, this is your song
(中略)
I hope you don’t mind, I hope you don’t mind
That I put down in words

How wonderful life is while you’re in the world

 「歌を贈るくらいしか大したことできないけど」「これをキミの歌だってみんなに言って良いよ」「書いちゃっても構わないよね」と遠慮しながら、「キミのいるこの世界ってなんて素晴らしいんだろうって思うんだってこと」と伝える。
 これも幼少期から聴いてきて食傷気味だった何曲かのうちの一曲。でも歌詞をきちんと読んで知ってから、聴こえ方が全然違った。

 映画「ロケットマン」を観て、この歌詞をきちんと知って、思い出した友人がいる。直接的に投影したわけではない。彼女がエルトンでもなければ私もエルトンではないし、彼女がバーニーでもなければ私もバーニーではない。ただ彼女を思い出した。

***

 以前、書いた友人Aちゃんとは別の、中学時代からの友人Zちゃん。
 Aちゃんの時もそうだったけど、Zちゃんとも私はベッタリなわけではない。ただ離れていても、割と頻繁に連絡を取り合っている。

 Aちゃんは、女の子らしい子たちに人気があったけど、Zちゃんは、活発なスポーツ系の女子に人気があり、大人しい子たちからも憧れられるような存在。教室や遠足のバスで、自分の好きな曲を熱唱したり、よく皆を笑わせてくれたりしたけど、いじられる側でもあった。

 女子校だったからか、強烈な競争はなくても、まったくなかったわけでなく、「大好きな友人は私と仲良し」アピールは存在する。そんなマウンティングの渦の中に入りたくない私は、離れるようにしていた。


 いじめもほとんどなかったけど、中学一年生の途中まではあった。
 一度、その対象の子が教科書を忘れた時。私は隣りの席で気が付いたので、机をくっつけた。
 自分からくっつけるのは、とても勇気が必要で。
 その瞬間、シンとして、明らかに妙な空気が流れる。私も孤立しちゃうのかなと頭をかすめたけれど、私の後ろに座っていたZちゃんが皆にも聞こえる大きな声で「エライ!」と私を軽くはたいて笑ってくれた。
 本当にそれがエライかどうかはともかく、人気者のZちゃんがそう言ってくれたことで、私はそれまで通りにいられたのだ。Zちゃんはそういう子だ。そしてそんなところが多くの子に好かれていた。


 Zちゃんは帰宅方面が同じだったので、お互いの部活がない時は電車で色んな話をした。私はZちゃんの感受性の強さに惹かれて、皆の前での「人気者のZちゃん」とは違う面に目が向くようになっていく。


 中学三年生の一時期、Zちゃんは、心ここにあらずの状態になり、廊下でスレ違っても上の空。明らかに何かを抱えている日常になっていて、気にかかった。
 段々と周りが、彼女の抱えている気持ちを持て余し始め、少しずつ、緩やかなマウンティングから皆が脱し始めていた。
 でもずっと彼女の内面に好奇心を持っていた私は、むしろZちゃん、深いぞ! と思えた。

 Zちゃんは心の内を明かしてくれるようになっていく。当時はスマホもケータイもない時代。だから電話で。そして手紙で。
 同じ年数を生きて、人生経験が彼女より多いわけもなく、素晴らしい一言も印象に残る素敵な言葉も伝えられない。それに、探れば色々あったのだろうけど、私は聞き出す気持ちにならなかった。ただ一緒に悲しんだり喜んだり笑ったり励ましたり怒ったり。

 高校生になってさらに悶々とし始めた時も、芯の所まではたどり着かない。それでも彼女はきっと言いたくないのだろうと、やはり探らない。
 時々、夜中に家を抜け出して、友達と会っていたようだったけれど、それも深く追及しなかった。少しずつ話すようになってくれて、どんなもので苦しんでいるかも知ったけれど、別に悪い遊びをしていたわけでもなくて。ただ彼女は自分の気持ちと闘っていて、それ自体が心配ではあった。

 それでも、やっぱり学校でZちゃんとベッタリ一緒にはいなかった。皆の前であからさまに「仲良しだから」と二人の世界を作って見せるのが好きじゃなくて。
 まだ「私はZちゃんと仲良しマウンティング」は行われていたし。「Zちゃんと、この前遊んだ」「アナタの知らないこんな話をした」と聞こえよがしに主張してくる子たち。これは高校を卒業するまで続いた。

 Zちゃんを皆がとりあっていたこの話を、卒業後30年近く経ったつい最近したら「えええ! 私そんな人気者やったん? いやあその時知りたかったわあ~」と笑っていた。「えええ! 自覚なかったん?」とこちらも驚く。でもそういうところがZちゃんらしいのだ。

 Zちゃんは受験勉強をし、別の大学に入った。
 大学は自宅から少し離れた場所にあったため、彼女は一人暮らしを始め、私は度々彼女を訪ねて、夜中まで語り合う。そんな私を心配した母に、Zちゃんとの付き合いをやめるよう促されたことがあったけど、「離れたくない」と抵抗した。

 彼女の男友達たちと一緒によく出掛けたりしたから、母も心配だったのだろう。自分が母親になったらその気持ちはわかるし、母の気持ちに無理もない気がする。でも私たちは土壇場で真面目なのだ。

 Zちゃんにとっての私は「真面目」。「だから、巻きこみたくない」と思っていたようで、直接言われてもいたし、Zちゃんが何を言わんとしているかは感じてわかっていた。
 でもZちゃんにわかってほしかったのは、私は彼女と自分とを切り離して考えられる。どんなに共感しても、私は彼女ではないから、聞くしかできないよと何度も伝え、とにかく話してと促した。

 彼女がどんな日常を送っていようと、どんな人と付き合いがあろうと、家庭背景がどうであろうと、それはそれ。何もかもを理解するつもりはないし、理解できたフリもできないので、私の知る彼女をそのまま受け入れたいと思っていた。それに、私から見たら、彼女の言うところの「真面目」とはまた違った真面目さが、Zちゃんにはある。誠実で責任感があって、純粋。
 
 彼女の感受性の強さとユーモアを素敵だなと思っていた私は、彼女に読書を勧めた。最初は私のお勧め本を。そしてあっという間に、自分で開拓して、多分私より本を読むようになっていった。

 私が結婚しても、やり取りは続いた。主に手紙だったけど、そのうちメールで。

 ある時期、彼女が辛い恋愛を経験していた頃、一緒に怒ったり励ましていたりしたら、過去のもっと辛い恋愛について打ち明けてくれた。
 久しぶりの私の実家帰省で、梅田のカフェで、危うく私は泣きそうになった。彼女とずっと関わり続けていたのに、その恋愛についても知っていたつもりだったのに、彼女は肝心な核心についてを誰にも言えなかったそうだ。

 内容に同情したのではない。そんな大きな重たい荷物を、彼女がたった一人で抱えて踏ん張っていたことに涙が出た。「私には聞くしかできないねんから、Zちゃんが気持ちを話すくらい良いやんか」重ねて伝えた。

 その後、初めてきちんと紹介してくれた彼は、社交性がありながら誠実そうな人で、相性良さそう、と安心した。彼女の支えにもなってくれそう。
 その彼と結婚し、子供は持たないでおこうという方針で、今も二人で出かけたりしているようだ。ケンカもそれなりにあるようだけど、言いたいことを言うZちゃんと続いているなら、気が合っているのだろう。基本的に仲が良さそうなので安心している。


 今も度々Zちゃんと連絡を取って、元気をもらう。
 多分、私が彼女を切り離して考えるように、彼女も私を切り離して考えてくれていると思う。お互い、特に環境は、全然違うところがたくさんある。でも話すと感情を共有できる。
  
 彼女のメールで私は彼女を感じ、一緒に笑ったり怒ったりしながら、私にとっての「how wonderful life is while you’re in the world」を実感する。今もやり取りしていて一番感じるのは、彼女の感受性の強さや豊かさ。

 そしてこれからも、ちょっと照れ屋で時々急に本音を混ぜてくる、面白い彼女と、まだまだ積み重ねていく。

 私の、「友達」との付き合い方ってこうなのだなと最近、noteで書きながらしみじみ感じ、自分がわかってきた。

 学生時代からの友人も、その後できた友人もそう。
 noteで知り合う方たちとの「距離感」もそんな感じ。
 私の解釈するその人を、周りに左右されず、私の気持ちで受け止めたい。少しずつお互いの距離をはかりながら、その人の気持ちや感情、背景がよく見える付き合いが好きみたい。みんな、大事にしたい、って思っています。

 

#エッセイ #友達 #友人 #Your Song

読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。