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 考えていることが多すぎた!

 なんでかわかったぞ。
 今回の疲れは、確かにおっしゃる通り「考え過ぎ」だったけど、その種類がいつもとちがったから戸惑いもあったんだ。

 いつもの私は心身ともに疲れているなあと思っても、何が原因かわかっていたし、自分の心の中だけでおさめておくことも、出しちゃえーってことも判断できた。
 今回は原因がハッキリとはわかっていなかった。あのこともこのことも頭にあって、どのことについてどんな風に表に出せばいいのやら。
 とりあえずささいな内容から頭にあるものをだいぶ書き出してから気づいた。

 すごい既視感。


 大学生の頃、中高と付き合いのあった友人たちと集まると、それまでと違って、私は無口になった。
 5人くらいのグループで、確かに中学高校の頃は楽しくしゃべっていたはずなのに。
 大学生になってみんなそれぞれ向いている方がちがってきて、それぞれの考えを主張し始めた。それは、ようやく個人個人のちがいが表れる大切で必要な作業。
 一人ひとりと考えがちがって、それで当たり前でもあるのだけど、ちょっと受けいれられない考えもたくさんあった。そのたびに私は「えっ」とびっくりしてしまう。

 あの子もちがうはずだけど黙っている。この子もちがうけど我慢しているなあ。
 こっちの子は声高に言っているけど、私と二人の時はちがう考え方もできるように言っていた。そっちの時のこの子に賛成はできるけど今の意見はどうかなあ。
 どうしてあの子はそんな風に言い切れるんだろう。私の考えは似ているけど、そういう時ばかりでもないでしょう。
 あの子は理論武装に必死で、違う意見を言うこの子に論破したくてたまらないみたいだよなあ。


 もうあれもこれもたくさんの考えが頭を一度にめぐってきて、どこからどんな風に自分の考えを言えばいいのかわからない。

 そんな時「かせみちゃん、静かやね」と言われた。

 言われた私は肯定も否定も、そしてオドオドもしない。とにかく言葉にならない。ぽかんとしているように見えたかも。

 心に浮かんだことを厳密に言う必要がない気がした。彼女たちに無理に合わせてきたのだとその度に気が付き、その細かな部分を話し合うほどに親しいわけではないのだと思い知った。ただつるんで仲間だと思いたかっただけだ。

 今の私もちょっと似ている。
 noteに身を置いて、皆さんと心の内を分かち合っているけど、急にすごく親しい友達になれるわけではないし、たくさんの人が見に来る。読みに行く。この延長上で親しくなる方もいるだろうけど、全部がすべて合うわけじゃあないよね。それが目的で書いているわけでもないのだし。(でもスキやコメントやり取りしている方たちが私は好き!)
 
 今回、頭にある思いを書き始めて自分を知った。
 全然まとまらないけど、なにか一つのことがテーマではあるらしい。それを軸に上手に書けたら良いけど、あっちにもこっちにも枝葉が分かれて、書きたいことが多すぎる。自分の中でそれがまったく整理できない。
 書きながら整理しようと思ったけど、そこにも至っていないみたい。

 頭の中がパンパンなのねきっと。考えすぎっていうのは一つのテーマについて考えを深めてもう袋小路に追い詰められた感じもあるけれど、たくさんの種類が押し寄せるケースもあるのね。

 いやあでもやっぱり書いて気持ちが救われた。
 私は書きたいんだ。
 整理するために書いていると思っていたけど、そうばかりでもない。気持ちが落ち着くから書くんだな。
 少し気持ちが回復してきて良かった。



読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。