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HSPは宝物~TEDのスピーチを観て~

 年明けて早々、素敵な動画が回ってきたので、是非紹介したい。
 TEDをご存知の方は多いと思います。様々な分野で活躍している人がスピーチしてくれる場ですね。

 今回は、HSP(Highly Sensitive Person)の方が、HSPについて語ってくれたものだった。これを観て心を動かされないHSPの人はおそらくいないと思う。3年ほど前の動画ですが、初めて観て興奮しています。


https://t.co/cRVR4HyWLn


 (これ、載せて良いんでしょうか。マズかったらすぐ消去します。)

 動画を観ながら、必死でメモを取り、衝撃を受けた。もう自分がHSPであることを引け目に感じたり、「こういう部分を主張してはいけない」なんて思わなくて良いんだと、強く勇気づけられた。HSPについて、あまり語りたくなかった自分を反省するほどだ。

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 数年前に、HSPの存在を知って、「当てはまるかも」「そんなの誰でもある」「時と場合による」なんてもんじゃない、「何これ?! 私のことを知っている人がイヤミで書いたの?!」と自分がさらされているような恥ずかしさを感じたくらい、バシッと当てはまった。
 でも周りに少し話しただけで、自分を必死で擁護しているような気がして、深くしつこく話すものではないと思ってそのままにしていた。

 だけど、noteで『HSC子育てラボ』代表であるkokokakuさんとの出会いがあった。そして、ああそうか。子供の頃のあの気持ちを、今この時点で抱えている子たちがたくさんいるんだと気が付いた。それを心配する親たちがいることも。私がそういう子たちの親だとしたらやっぱり心配してしまうだろう。そこを皆さん向き合って、尊重したいと奮闘している。すごいなあ、応援したいなあ、みんなが知ってくれると良いなあと思った。
 そしてHSPのことについて公言した初めてのコメントと、その後のnoteでの文章。でも恐縮の気持ちが強くていたたまれなかった。自分の個人的な弱点さらすことが良いことではないとか、こういうことは親しい人としか話したくないとか、いや親しい人とさえ話さないとか、自己憐憫だと思われるとか、こんなこと主張してはいけないのではとか、そこから逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。

 その後、私自身の心が揺れ始めた。周りの反応は、良い感情を抱いていないのはすぐわかるので遠ざけるとしても、主に温かいものだった。

 でもHSCたちに関しては、親の葛藤がありつつ、今後を共に考えていける。そんな簡単なものではないと想像はするけれど、親御さんたちの奮闘ぶりには未来を感じる。だけど否定し続けたまま、もう大人の立場になっている私自身のことは、これからどう考えていこう。今まで通りで良いのかもしれないけど、自分の大きな部分と一旦強く認めてしまうと、段々と今までより大きく占めるようになった。大きく占めるようになると、否定し続けるのはしんどくなってくる。やはりこんなでは、自分の思い描いていたようには暮らしていけないのでは、と不安ばかりが膨らむ。やっぱりHSPは自分で受け入れつつ、人にはわからないように暮らしている方が良いのだろうか。こんなこと明かしたって、うっとうしいと思われるし、引かれるし、余計な気を遣わせる。
 受け入れたい気持ちと否定する気持ちでグルグルと堂々巡りを続けていた時に、この動画と出会った。

 HSPの特徴を「DOES」という風に表現されていた。Dは、depthで、深く分析する能力。Oはoverstimulationで、過剰な刺激により、周りにすぐ圧倒される。Eはempathyで他者の気持ちを感じ取る。Sはsubtletiesで、ささいなことへの気づき。これらが、「特徴としてまとめたもの」。何かや誰かと比べて優れているとか劣っているとかいうことではない。私たちは「自意識過剰な、構ってちゃん同盟の一員ではない」「感情的反応の域をはるかに越えるということが他の人と違うだけであとは他の人と一緒」と訴える。ご自身エレナ・ ハーデッカーホフもHSPである。

 そして嬉しかったことが「他の人とすぐに深い人間関係を結べる」と言っていたことだ。これも自覚がある。ただその分、傷つくことも多々ある。この傷つきは当然しばらく落ち込むのだが、私自身は深い傷から浅い傷に修復するのは早い方だと思う。その代わり、かさぶたからはなかなか治らないけど。それでもかさぶたになるまで早い方なのは、自分が「他の人と深い人間関係を結べる」ことを経験上、知っているからだ。今回はその人じゃなかったと思うしかない。

 そして今回のことを機会に、皆が平気でも自分が苦手なことを、おおっぴらに言っても良いじゃないかと、ようやく思えてきた。

 初めてHSPについて書いた時は、「HSPに当てはまらないこと」を書いて、「‘あとは全部’当てはまる」と省いた。当てはまる項目が多すぎるからでもあるし、それぞれの紹介されているチェック項目が少しずつ違う部分もあってキリがない、と思ったのもあるけど、その時やっぱり良くないこと、恥ずかしいことだと思っていたから書けなかったという気持ちもあるのではないだろうか。苦手なこと、少しは書いてきたけど、本当に苦手なことをあまり突っ込んでしっかりとは書かないようにしてきてしまった。

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 私が最近、一番自分がコンプレックスだと思っていることが、「大人数での飲み会が苦手」「みんなで何かを一緒にする場に行くことが苦手」なのを、強く自覚していることだ。


 大学生の頃、ボランティアで、キャンプのリーダーを一時期やっていたことがある。その雰囲気がものすごく苦手だった。キャンプ地でのリーダー同士の高揚感もそうだったけど、その後の皆での飲み会はもっといやだった。特に、話が上手い、皆に話をふるような人たちと話すことが私には苦痛でしかなかった。私も加わらなくてはいけない。ツッコミの一つも入れて笑わせなくてはいけない。雰囲気を盛り下げてはいけないという雰囲気。そして何よりも人が何を言いたいのか、何を感じているのか、本当は表面的なものか、その場の他の人を意識したものなのか、感じ取ってしまうから。私にも話を振っている時の気持ちが何となくわかるから。女性も男性もである。それでいて、男女間の恋愛沙汰になるかどうかという駆け引きみたいなものには疎くて、そこは自分に対して何を考えているのかわからない。もう疲労困憊、ウンザリだった。それでも私はウンザリ感を出してはいけないと、懸命に対応した。そういった場面をうまくやっていける人がやはり評価されていたし、そうでなくちゃという雰囲気。私は間もなくそこを脱退した。

 でも大勢でも平気な場合もある。まず、夫にくっついている時だ。夫の、特に学生時代からの先輩後輩たちの飲み会は、大勢でも一緒に行くのが好きな方だった。
 まだ子供がいない頃、夫は私を時々皆との飲み会に誘ってくれた。きっと周りの人たちには迷惑だったと思うけど、札幌に初めて住んで、知り合いがいなかった私が寂しい思いをしていると思ったのだろう。最初の頃だけだけど、先輩後輩たちの飲み会に連れて行ってくれたことが何度かあった。夫の先輩後輩たちというのは、専門的な話が多くて、私の知らなかった世界に好奇心をかきたてられ、聞いているだけで充分面白かった。彼らは夢中で話して、時々思い出したように私の方に「わからない話だね、ごめんね」と言っていた。私にはその程度が居心地良いのだ。でもそうやって気を遣わせるのも申し訳なくなって、さすがに行かなくなったけれど。
 今でも、夫の学生時代の友人たちの場は大勢でも楽しい。静かに座っていても許される雰囲気だ。

 それと自分の親しい人たちとは、少人数なら楽しみだ。母親という立場で仕事もしていないから、そんな機会も滅多にないけれど。


 「みんなで何かを一緒にすることが苦手」も、子供の保護者同士で何かをするということが苦手である。そこにいる皆の思惑を感じてしまうからだ。でも自分が表に出なければ、そしてわいわいする雰囲気でなければ、同じ目的に向かって一緒にできることは喜びである。kokokakuさんのクラウドファンディング(HSCの)に参加させてもらったことは嬉しかったし、例えば今の時期だと思い起こされる阪神大震災。あの頃、軽く被災しつつひっそりまぎれてボランティアしたり、東日本大震災でも被災者側の立場ではあったけど何かの一端を担うことはむしろ喜びであった。

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 他にHSPについて考える時、よく思い出す話がある。
 札幌に住んでいて、まだ子供ができなかった頃。ワールドトレードセンターのテロ事件が起きた。ニュージャージーに住んでいた時、当たり前に毎日のように見ていた景色が一変したこと。そして、ニュージャージーから日本に来るときに使っていたニューアーク空港から出発する飛行機がハイジャックに遭ったこと(正確には一本違うと思うけど。多分)。当時、夫の遅い夏休みをアメリカ行きにしようとしていたのを、祖父が亡くなったところというだけでなく、色々事情があって偶然やめたところで、そういったことで自律神経のバランスを崩していた。かかり付けの大好きな女医さんがいて、そこに通ってお薬をもらった。
 これを何年も後に、「あの頃のアナタは、遠い地で起きたテロ事件に、我が事のように随分心を痛めていて、それを見ているのが辛いくらいでした」というようなことを手紙で書かれたことがある。それを読んだ時は「えっそうだっけ」って忘れていた当時の自分の感情。そういうどこか間の抜けたところが、私の気持ちを救っているのかもしれないけど、その先生の手紙により、人からはそう見えるのかと、ちょっとした驚きと発見だった。でも当時のことを思い出すのはやっぱりイヤです。映画「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」を観たことがあるけど、数週間、ちょっと情緒がおかしくなりそうでした。今もあの事件のことを調べようとすると耳鳴りがしてくる。負担なのだと思う。続けられない。

 「人からはそう見えるのか」で言えば、息子の小学生時代、息子の特性と担任の先生の対応のまずさによって、何度も学校に足を運び、大変しんどい思いをした。スクールカウンセラーに話した時に「あなた、自分を何度も傷つけ直しているように見える」と、帰国子女の辛さと重ね合わせて話されたことがある。

 そうやって、自分を大事にしなければと思う場面は、今までに何度もあったし、最近HSPとわかってからもそこを大切にしなければと思っていた。でもどのようしたら良いのかわからなかった。幼少期のちょっとしたことがトラウマになっていて大きかったことは、数年前にようやく克服できたけど。でもnoteで書いてからは、その部分に関して迷走すら始めていた。

 今回のスピーチに、どれほど励まされただろう。
 HSPには、「関係性や意味を作り出そうとする真摯な思いがある」という言葉。「他者の痛みに触れては自分の痛みとして感じ、忘れ去られた者の存在を高めたい、不運な人々を救いたいと思う」そんな心があるという言葉。そして、「無理に強くなろうとしたり、隠れたりしないで、そのままで素晴らしい」という言葉。

 エレナさんは、感受性や共感力の強い起業家たちの指導をしている。

 彼女には、心からHSPを誇らしく思い、世に送り出したいという気持ちがあるのだ。「苦境から逃れているだけでなく、温室にとどまらず、一歩を踏み出し、自らの感受性という才能を皆と分かち合おう」とダメ押しの言葉は、私の心を強く動かした。

 HSPがこんなに注目されるなんて。TEDで語られるなんて。

 私の人生、もしかしたら変わったかもしれないと胸の高鳴りを抑えられない。急に表立って何を始める、何が変わった、と主張できるようなことはない。ただ内側から湧いてくるエネルギーみたいなものを感じる。それは勇気とか誇りとかいった力強いものだ。HSPであることに、気後れと引け目と遠慮ばかりを感じていたからだと思う。社会全体でHSC、子供たちへの理解は深まってほしい。HSPの仲間たちもできてきている。大切にしたい。

 HSPは誇らしいことなのだ。自分の持っている宝だ。自分に対してそのように思わせてくれたエレナさんにどのように感謝の言葉を伝えたら良いのかと思うくらいに、私の心は震えている。


#エッセイ #HSP #HSC  


読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。