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noteで発揮されてしまう老婆心

 フォロワーも増えると嬉しいけど、私の場合、フォローする人がなかなか増えない。正確に言えば「増やせない」。増やしたいから積極的に頑張ろう! とかいう妙な焦燥感にかられることがある。
 私だってフォロワーを増やしたい、スキが多いと嬉しい、という気持ちは起きるから、自分からもフォローして増やしていきたい。のに、特性なのか、増やしかけては「ああやっぱり私、ダメか」と落ち込む。

 フォローしてから外すという行為は、相手を傷つけることもあるから、大変申し訳なく思っている。でも次々とフォローできたらなあという気持ちはあるのです。特にコメントし合ったりすると、フォローしよう、フォローして良かったと意欲が出る。なのに人数が増えてくると、疲弊してくる。自分では何とも分析しがたい心理的な圧迫感を覚えたり、読むだけでどこかから勝手に自分で傷つけるものを探し出してしまったり、文章は素敵なのに、その方の選ぶ写真や画面に圧倒されたり、怖くなったりして息苦しくなってきてしまうのだ。その人自身がどうこうというより、私の問題なのだろう。

 周りに聞くと、もっと気軽にフォローしたり外したりしている、という意見もあれば、自分からのコメントは慎重にしているという意見もある。夫は「そんなに気を遣わないといけない、自分の快適に過ごすことを選べない環境のインターネットだったら、僕はイヤだ。自分の世界なんだから好きにさせろ」と言っている。人それぞれなんだな。単に私の特性上、積極的に増やせないだけなのかもしれない。

 さらに申し訳なく感じているのは、若い方たちへのエールが止まらない。人はおそらく、これを「老婆心」と呼ぶ。老婆……もっと他に言い方はないのか。「老婆心」を検索してみると、

「年とった女性が、度を越してあれこれと気を遣うこと。転じて、必要以上に世話をやこうとする自分の気持ちを、へりくだっていう語。」

と、goo国語辞書に書いてある。

 年とった女性……。老婆……。どうも言葉がネガティブだ。そんなおばさんが「度を越して」あれこれと世話を「必要以上に」やいている。へりくだっているわけではなくて、noteのやり取りで、本当に度を越しているのではないか、申し訳ない。と思うことが増えた。

 あえて「まだ」という言葉を使いたいが、私は「まだ」47だ。だけど、30代の頃がとても若く思い返される。もはやアラフォーでさえ若く感じる。私が経てきたような精神体験は、おそらく皆さんが通る道で、特別なことではなかったという思いが、皆さんを応援したい、という気持ちにつながってしまう。若ければ若いほどそうで、20代の方たちの葛藤を読んでいると、もう老婆心が激しく沸き起こる。わかるう~という思い。迷いがあるよね、しんどいよねという思い。大丈夫だよという思い。そりゃ絶対はないけど、なんとかなるんだよ、だって自分でなんとかしなくちゎいけないわけだから、と思う。それに対して全力で応援したくなる。

 ※ 
 そして「度を越して」しまい、出しゃばりました、ごめんなさいと思う。年上の暑苦しいコメントは、返事を返さなくてはいけないし、うっとうしいのではないかと。若い方たちには若い方たちの世界がある。申し訳ないと思って反省するのだけど、また次のnoteを読むと、ああコメント書きたいという老婆心がむくむくと立ち上がってくる。気がつけば立ち上がった老婆は仁王立ちし、歩き始めている。抗えない。
 ※繰り返し

 老婆心が書かせるコメントに対し、返事を書いてくださる方たちに、大変感謝いたしております。もう少し控えめにしなくちゃなーと思うのですが、つい気軽に書きこんでしまいます。
 書いている方に「返事書かなくちゃ」と、負担にならないと良いなと心配しながら、コメントをやっぱり書いちゃったり、我慢したりしている。

#エッセイ #note #フォロー #老婆心 #若い方

読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。