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お気に入りの友人関係は幼稚園のころから

 前回、イジメられていたところから助けてくれた子の話を書いたけど、その後の幼稚園時代は楽しく過ごせた。
 これから書くのは、生まれて初めて「友達」と認識した子で、「大好きな友達」でもあった子との話。彼女を大好き過ぎて、今も私はそういう関係を求めているけど、それは彼女を追っているのではなく、私がそのような子が好きなのだと思う。
 リライトになるけど、今読まれている方は、ほぼご存知ないと思うので書いてみたい。

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 そばに知っている子がいる方が心強いのは確かだけど、私は友達がいようといまいと気にしていなかった。たぶん親も「友達を作りなさい」ってタイプじゃないのもあるのだだろう。

 外国に住むって家族全員の結束力がどうしても必要。
 父も仕事は全部英語だし、でも元々ペラペラ話せるわけではなかった。母だって受験で勉強した程度。大人たちだって生活するのに必死だ。
 都市部に近い場所で日本人もまあまあいたから差別は少なめだったけれど、母は子供たちを守るのに必死にならなければならない。ちゃんと自己主張しないと、「言ってこないから」で終わり。目を配る細やかな先生もいるけど、基本的に自分で言わないといけない。学校で先生にそう思われたら子供たちに影響が出るから、お母さんホントよくがんばったよね。私もその立ち場なら、息子のために必死になるだろう。

 当時の私は「日本人」の認識はあったけど、「だから」の意識はなかった。「英語が話せないから」も、劣等感と言うよりはわかってもらえない意識。少しずつ「言葉にする」意識は強くなっていくけど、それまで母は「子供たちはそのうち必ず話せるようになる」と信じていてくれたのかもしれない。私にとって、そういう場に行くのは休みたいとか思ったこともなく、単純に楽しみだった。絵を描いたり字を書いたり遊んだり歌を歌ったり、新しい発見はたくさんあった。

 ようこちゃんはその朝、先生の横でずっと泣いていた。
 先生がクラスの皆に紹介しても泣き止めずにいた。
 顔がオリエンタルなので、それだけで親近感がわき、「日本人」と聞かされた時は、励ましてあげたい、泣かなくても良いよと言ってあげたいと幼心に思った。
 そわそわしていたらクラスメイトが「カセミも日本人だから、カセミのとなりに座らせてあげたら?」と提案した。
 となりに座ったようこちゃんは、泣きながら「日本人なの?」と聞いてきた。「うん。……だいじょうぶ?」とモジモジしながら聞く。
 ようこちゃんは初めてだから戸惑っていただけのようで、私より英語ができた。ニュージャージーより前は日本ではなく、アメリカのどこかから来たようだった。

 お姉さんぽい雰囲気で、見た目も幼稚園生なりに少しませていたけど、すごくサッパリした子だった。
 「かせみちゃん」と慕ってきても、私を頼る感じではなかった。私が頼りがいあるタイプじゃないのはすぐ見抜かれていたのかも。

 その後、日本人が少し増えても、彼女は私への態度が変わらず、「かせみちゃん」と慕ってくれた。
 誰が加わろうと加わるまいと態度の変わらないようこちゃんが、私も大好きで、休み時間になると二人でシロツメ草の花冠を作ったり、からかってくる男の子たちを追いかけたりした。
 日本人同士4~5人で歩いている時も、必ずようこちゃんと私はとなりにいた。二人で他の子の悪口では盛り上がらない。「あの子、あんなこと言うんだよ」と言うと「いやだね~!」くらいは互いに言う。でもそれ以上盛り上がらない。
 今思えば、互いにイヤだねって感情を認めつつ、それ以上自分の情報じゃないものをまき散らさない絶妙なラインを渡っていたんだよなあ。
 いやだね~って思いをした子とも、互いにどう関わろうが放っていた。

 自由度が高いと、束縛し合ったり、取り合ったりなど女の子特有の執着した感じがなく、快適なのだ。
 それでいて信頼感はあって、何かあると「ようこちゃん」「かせみちゃん」と並んで歩く。

 園から帰っても、ようこちゃんとの家は遠くて、互いの行き来はなかった。私は近所の子たちともよく遊んだし、多くは一人で遊ぶのが好きだった。外の公園でも一人で遊び、時々兄や兄の友人たちに交じった。

 ようこちゃんを誕生日に招待した時も、近所の子たちがいるから特別にようこちゃんとベッタリいるわけではなく、ようこちゃんはようこちゃんの雰囲気に近い子と一緒にいた。私も私にくっついてくる子と楽しく過ごした。
 心の中で信頼していれば私には充分なのだった。

 今も私の友人関係ってそんな子が多い。
 互いの友人関係の自由も尊重してそれぞれに平等に接するけど、いざという時にはSOSを出して頼り合う。続くのはそんな子ばっかりだ。
 互いに信頼し合っていれば良い。互いを見ていれば友人関係として成り立つかどうかわかる。仲が良いのよとアピールしなきゃならないのは、私にとっては偽物なのだ。そんな私も高校生のころ、ある友人のことをそんな風に他の子にアピールしてしまったずいぶんな黒歴史があるけど、その友人とは続いていない。

 その後ようこちゃんは、また転園していったんじゃなかったかな。
 小学校に上がるころにはもういなかった。
 もっと長くいたら、関係性はちがったかもしれない。
 少なくとも私はちゃんと名字を覚えているはずだ。なんなら「ゆうこちゃん」か「ようこちゃん」かもしっかり覚えておらず、母に確認した。本当にあってるのだろうか。
 かなり短い間のニュージャージー滞在だったのだろう。その後どこに行ったかもわからない。

 妄想では彼女は、外国でバリバリ働いていて住む世界が違うんじゃないかな。私のことだって覚えていないかもしれない。

 それでももし人探しができるとしたら、もっとも会いたい子だなあ。いや、会わなくても幸せに暮らしているか知れたらそれだけで良いな。




読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。