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マラソン大会のちょっと良かったこと

暑すぎるので冬の思い出。

私もこどももめちゃくちゃ足が遅いので、その他の運動行事と同じくマラソン大会も苦手だったけど、ちょっとだけいいこともあった。

私の小1のマラソン大会。
1年生は運動場のトラックを一周するだけ。たぶんあれは800mだった。学年全員170人くらいが朝礼台前のラインに集まり、一斉にスタート。足の速い子が飛び抜けていき半周したころ、一番うしろの方に並んでいた私はスタートラインをちょっと過ぎたばかり。私が半周したころ、その他全員がゴール。私は後半を1人ボテボテと走っていた。
私は必死でハアハアいって走っていたけど大人が歩くより遅かったと思う。向こうから校長先生がやってきた。それまで校長先生と直接話したことなんてなかった。朝礼で遠くに見るだけの存在だった。
何事かと思っていると、校長先生は私の右側をがんばってできる限り遅く“並走”しながら、かがんで私の顔を覗き込み、目いっぱい優しい声で、
「苦しかったらやめてもいいんだよ」
と言った。
ええ!?やめてもいいって?がんばって!と言われると思った。みんながやる事にやめてもいいなんてあるの?苦しかったら、か。やめてもいい苦しさってどのくらいなんだろう?足の速いあの子達はあんまり苦しくなさそうに見えるけど、代わってみることができないから、この苦しさと比べられない。いま私は苦しい。でもやめなきゃいけないほど苦しいでもないかも。走ればいつもこのくらい苦しいし。私そんなにヨレヨレに見えてるのかなあ、あと4分の1周くらいだけど。もしかして遅すぎてみんなを待たせてるのが迷惑だから?何か返事をしたいけど、言葉も浮かばないししゃべる余裕もないし。みんなこっち見てるなあ。
そう考えてるうちにゴールした。校長先生はゴールの少し前でそっと離れて戻っていった。優しいと人気の校長先生だった。

こどもが小学校に行ってた頃のマラソン大会。
保護者もぜひ応援に来てとお便りが来た。こどもは運動会よりはマラソン大会のほうがまだマシだと言って、そんなに嫌がってなかった。「走れば終わるから」と。出来ないと明らかに分かってしまう鉄棒や跳び箱よりは良かったんだろう。
こどもの好きな行事ではなくても、参加するのならその姿は記録しておきたい。私は開始時刻とコースを頭に入れ、カメラを持って学校へ行った。
子どもたちが走り始めると、私は校外の道路も含むコースの、あっちへ行きこっちへ行き写真を撮った。こどもは私の小学生時代と同じくビリの方だったけど私ほどの断トツビリではなかったので、私の子にしてはすごい、と感心。最後尾には若い先生が付いて走っていて、時々こどもを励ましてくれているようだった。先生が何か話しかけたあと、少しだけこどもの膝が高く上がったように見えたので、膝を上げて走って、というような声かけだったのかもしれない。
学年一くらい足の速い子のお母さんが「負けるなー!がんばれ!行っけ〜!!」と叫んでいた。校長先生は「がんばれがんばれ!まだいけるまだいける!」と中学生運動部にかけるような声援を送っていた。私はそういうのと対極にいるので、苦しくないか?転ばないように、無理しないで、と思って見ていた。
こどもが最後の直線に入ったのでしっかり撮ろうとカメラを構えていたとき、斜め前にいた誰かのお母さんがた二人が、
「あの子かわいいよね〜。クマさんみたい。ゴールしたらぎゅ~ってしてあげたい。✕✕とか言うやつがおったらぶっ飛ばす!」
「ね〜」
と右手でパンチを繰り出す身振りをつけて話しているのが聞こえた。
ひょっとして、うちの子のこと?もうほとんどみんなゴールしてるし。うちの子ぽっちゃりしてるし(当時)。かわいいって!全然知らない人に好感持たれてる!
完走しただけでも十分なのに、なんだかうれしくて泣きそうになった。あの子私の子です〜ありがとうございます〜って言いたくなったけど、それ絶対ギョッとされるよね、と飲み込んで、何も言わずに一人でそっと帰った。
その夜、夫やこどもに言おうかなと思ったけど、聞き間違いや勘違いじゃない自信がなくて、言えなかった。何年も経って、実はあの時こんなことがあって、と話したら、こどもは「ん?👀」てちょっと照れたような顔をしていた。