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宣伝広告の類が多くて疲れる

「あんた、赤ちゃんのとき、テレビコマーシャルで画面がパッパッと変わるの
好きだったわ」
と母から聞いたことがあって、それはコマーシャルなら何でもよかったのか、
お気に入りのコマーシャルがあったのか知らないけど、喜んで見ていたらしい。

小学生のころ(昭和)を思い出しても、学校ではみんなが、
ことわざ慣用句のようにコマーシャルのセリフを言ったり、
替え歌にして歌ったりしていた気がする。

いつからかコマーシャルは邪魔なものになっていった。
録画機器が入ってからかもしれない。
その頃は、とばせたら便利、くらいだった。
ビデオテープの時期はまだ大事なものしか録画しなかったし、
とばすといっても早送りだから見えていたけど、
デジタルでなんでも録って消せるようになって、
チャプターが自動で切れるようになったらCMは全く目に触れないことも増え、
最近ではとばせないと不便、と思ってしまう。
CMのないNHKは快適で、NHKばっかり見ている。
民放はどうしても見たいのだけ録画してCMをとばしながら見る。

夫とこどもはそんなに気にしてないけど、
私はとくに地上波のCMの短時間で強烈に売り込んでくる感じが苦手で、
それが嫌いな商品だったりすると見た後しばらく精神的に低迷してしまう。
民放のテレビCMでも、BSのは長いけどそれほど苦痛ではない。
私が民放のBSで見るのは昔のドラマなので、わりと高齢世代向けの、
健康食品などのCMが多く、私にとっては無害で聞き流せるからかもしれない。

私はYouTubeはほとんど見ないけど、
よく見ているこどもは、コマーシャルがとばせるタイミングになると、
手際よくピッととばしている。
CMの入らない有料のにしたいか聞いたら、別にいいって言っていた。

twitterにもコマーシャルのツイートが流れてくる。
どうにかしたくて調べたら、広告を消すアプリを入れれば消えるらしい。
そこまでする気もないなあと思って、地道につぶしている。
見たくない度合いによって、興味がない、ミュート、ブロック、をしていく。
苦にならないのを残してたら、パソコンと本のが多く流れるようになってきた。

セールス訪問は迷惑でしかない。
こどもが赤ちゃんの時、日中ワンオペで毎日ろくに寝る間もなかった頃、
やっと昼寝した時にピンポンて来たハウスメーカー、
どんなにいい家だとしても絶対買わないと心に決めたのを今も覚えている。
当時は古い集合住宅に住んでいたのでピンポンと鳴っても誰かわからず、
出るか、のぞき窓から見るしかなかった。
しかもそののぞき窓が小さい丸いのじゃなく、
なぜかゴーグルくらいのサイズの窓だったため、
家の中が見えないように布切れで塞いでいたので使えなかった。
布をめくったら居るのがばれるし、出るか無視するしかなかった。

今の家はカメラ付きのインターホンで誰だか見えるので本当に助かる。
でも引っ越してきた頃、近所の人かと思って出たら宗教勧誘だったことがあり、
適当にお帰りいただいたけど、ああいう人たち、人の時間を奪って回るより、
せっかくならゴミ拾いでもして歩いたら徳が積めるのに、と思った。
もう今は知り合いと配達の人以外だったら応答しないことにしている。

郵便受けのチラシはゴミでしかない。
郵便物が電子化で減るにつれて相対的に気になりだし、
手紙より要らないチラシばっかり入ってるのが嫌になってきたころ、
あるとき、くしゃくしゃのチラシが入っていて、
これは配ってた人のカバンの底でしわになってたのを配っちゃったのか、
それにしても全面的にしわしわだから、もしかしてこれ、
風で飛んできたゴミが転がってたの、落ちてると思って、
配るチラシと一緒に入れたんじゃないか?
などと推測しているうちに潔癖症が発動し、
もうやだー、と郵便受けをアルコールで拭き拭きしながら、
チラシをなんとかしようと決意した。
うちに来るチラシは、企画、デザイン、印刷、輸送、配布、廃棄、処理、
の全てが無駄なんだから、全然SDGsじゃない。

ネット検索で暮らしの知恵みたいのがいっぱい見つかるのは便利だ。
郵便受けにチラシが入らないようにするには、やはり貼り紙、
それも市販のステッカーより手書きが効くとの説を見て、
いちばんお金がかからなくていちばん効くなら、と作ってみた。
郵便屋さんやご近所さんにギョッとされないよう控えめな文言で。
夫にも、これ貼っていい?と見てもらって。

貼ってしばらくは、若干減ったかな、くらいだった。
でも、いちばんかさのある、折り込み広告の束が隔週くらいで入る。
新聞屋さんだろうか?この辺なら二社思い当たるけど、
どっちなのかわからないし、どうしようもない。
まあ費用もかかってないしいいか、と思って一か月二か月したころ、
気づけばなにもチラシ入ってない日々が続いていた。
ポスティングの人が、何回目かで貼り紙に気づいたのかもしれない。
あの、手書きがいいというネットの記事の人ありがとう。
その記事の人、貼り紙後も隣町のクリーニング店のだけは入る、と書いていた。
うちも地元の塗装店のだけは、まだたまに入っている。
そのくらいはしょうがないけど、決して塗装は頼まないと思っている。

郵便受けに入るものは、週に手紙が一通来たり来なかったり、
あとは水道などの検針票だけ入り、ほとんどの日は空っぽ。すっきり。

郵便受けでいうと、広報と回覧板も電子版になったらいいのにと思う。
高齢者世帯が多いから電子化はまだ無理、ということらしい。
たまに、回覧板回すのがおっくうで、というより、
回覧板をうちで止めてはいけないと思って、いつ来るか気にするのに疲れて、
町内会やめたいなあと思う時がある。

電話も困る。電話は滅多に鳴らないけど、
夕方、一刻も早く晩ごはんを作ろうと野菜を洗ったりしている時に、
電話が鳴って、びっくりしてあわてて手を洗って出たら、
保険を新しくしませんか、とか、電力の、とかいう怪しげな話だと、
出るんじゃなかった!ってなり、腹が立つしごはんが遅れる。
基本的に電話も出ないことにした。

私にとっては、宣伝されるほどその会社のイメージは下がることが多い。
宣伝を見たいような会社(出版社とか)は自分から検索にいくからいい。
なんで嫌がられるのに宣伝するんだろう、とぶつぶつ言っていると、
夫「知ってもらわないと売れないから」
私「知らなきゃ買わないものなんて要らないんだよ」

騒音やタバコの煙に規制がかかるようになったように、
宣伝の類にも規制が入ったら世の中静かで快適になるだろうか、
と想像してみる。

昔読んだ星新一のショートショート、
どの本のなんていう作品か思い出せないのだけど、
テレビコマーシャルを見なくて済む装置か何かを売りに来た人に、
おばあさんが、浮いた時間でまたコマーシャルを見せられるのだから要らない、
と断る話だったと思う。
それを読んだ時、私ならそれ欲しいなあと思ったけど、今は少しわかる。
もういいよ、っていうおばあさんの気持ちに近づいてきたのかも。

「あんたは神経質だ」と母に言われた子ども時代を思い出す。
あいかわらず私は神経質でその上に疲れているんだと思う。
宣伝物が押し寄せてくる生活は疲れる。
みんなが声の大きさで意見を通そうとわあわあ言ってる教室みたいで。