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【短編小説】花 2000字のホラー

 クラシックギターに触れたのは小学5年の頃だったろうか。今は曖昧な記憶でしかない。高校に上がる頃に周りはバンドブームが盛り上がり、僕はクラシックギターをやってる事が気恥ずかしくなって、エレキギターに転向した。その事を両親に伝えると少し残念そうな顔をこちらに向けた。

 月日が過ぎて僕は社会人になった。同期の彼女が出来た。名前はゆかりと言った。どちらかと言うと積極的な性格で、弱気な僕とは対照的だった。営業部の飲み会で最初に話しかけてきたのはゆかりの方だった。
「田島君ってお酒強いよね。私下戸だから羨ましい。営業だったらお酒強い方がなにかと可愛がられるでしょ」彼女の笑うとエクボの出来る子供のような笑顔にすぐに惹かれた。仕事で一緒に同行したり、悩みを語りあったり、僕らが仲良くなるにはそんなに時間はかからなかった。
 ある飲み会の帰り道、ゆかりは意図してか意図せずか終電を逃した。そのあたりの事情は僕も良く分からなかった。「今日悪いんだけど泊めて欲しいの」ベッドはゆかりに譲り、僕はその下の床で寝た。「そんなところで寝てちゃ痛いよ」ゆかりが言った。ふたりは同じベッドで寝た。僕が彼女を抱くと彼女の華奢な髪が顔に触れた。ぴったりと触れ合った彼女の肌は滑らかで、暖かかった。

 僕らの交際は2年にもなった。
ある日ゆかりが僕の家に来た。もう2年も付き合っていることだし一緒に同棲しようということになって、押し入れから持っていく物を取り出していると、奥の方から埃の被ったギターケースが出てきた。「へえ~、クラシックギター弾けるなんて意外」ゆかりが言って、弾いてよ、とねだった。ゆかりのお気に入りは「花は咲く」だった。「花は咲く」を演奏しているときのゆかりの顔を見るのが好きだった。目をつむり集中して聞いている。その可憐な姿に僕は彼女への思いをさらに強くした。僕たちは互いを必要とし、未来を夢見た。夜明けのベッドの上で「ずっと一緒にいて」と、ゆかりが耳元で囁やいた。

 その1週間後、ゆかりが青信号の歩道を歩いていると、左手から赤信号を無視したトラックが猛スピードでゆかりを轢いた。即死だった。病院へすぐに向かい面会をしようと思ったが、医者から見るのはやめたほうがいいと止められた。以前の姿は形跡をとどめていないようだった。

 それから僕は生きる気力も、生きる意味すら分からずにただ世界を彷徨った。バラバラになった心はもう二度と取り戻せない気がした。
仕事も以前の熱意は失い、ミスが多くなり上司から叱責されることが多くなった。結局その仕事は辞めた。
 コンビニで深夜アルバイトをした。無意味な日々。機械的にレジを動かした。
そこで知り合った年下の女の子と付き合った。虚しさを埋める為に利用したといっても過言ではなかった。彼女はなつみという名前で、ちょっと世間ずれしたところのある子だったが、そんな能天気な性格が僕の暗い気持ちを少し楽にさせてくれた。

 なつみが部屋に来ると僕はクラシックギターを弾いた。なぜだろう、とくに弾きたいわけじゃないのに、何かを思い出したかったのかもしれない。
なつみが好きな曲はポップソングで、彼女は僕の伴奏に合わせて熱唱した。あまり音楽を聞くこと自体好きじゃないようで、すぐに飽きてテレビをつけてゴロゴロした。僕はあまりテレビは見なかった。

 クリスマスの夜、なつみはサンタのコスプレをしてきた。それはあまりにも滑稽で笑うことも出来ないくらい似合っていなかった。なつみは鞄からクリスマスの飾りを取り出すと、部屋を飾りだした。「ちょっとひとりでやらせる気かな?」しかたないので僕も手伝った。なつみは蝋燭を立てたクリスマスケーキをテーブルに置くと電気を消した。ふたりの顔が蝋燭の灯りで浮かんだ。「いつもの曲で盛り上がろう」なつみの好きなポップソングだった。僕はギターでイントロを弾いた。それに合わせてなつみが高音で歌った。「苦しい、声が出ない」となつみは自分の首を押さえた。僕は演奏を続けていたが、曲はいつのまにか「花は咲く」に変わっている。僕は指を止めようとするが、何かの意志が指を勝手に動かして演奏が止まらない。だんだん演奏のスピードが速くなっていく。音程もだんだんズレて、「花は咲く」は不気味な曲になっていく。その間も僕の指は高速に動いている。「何これ気持ち悪い」なつみが自分の首を絞めながら言った。「おい止まれよ!」僕は言った。指から血が滲じみ出している。突如、部屋のイルミネーションがチカチカ光り出すと、すぐに消え、部屋は暗くなりギターは止んだ。なつみは気を失ってその場に倒れた。
静まり返った部屋のソファに何かが座っている気がした。

 次の日、僕はゆかりの墓参りに行った。きれいな花を飾り、墓前で「花は咲く」を演奏した。目の前にゆかりが演奏を聞いているときの目をつむる癖を思い出して僕はいつのまにか涙が溢れた。


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