月曜日のたわわに学ぶ、見たくないものを見ない権利

ひどいタイトルですが真面目に書きます。タイトルと全く関係ない内容ですが騙されたと思って読んでください。

私はどうしても苦手な広告が2つある。1つはコロナ対策の広告🦠💉もう一つはウクライナ頑張れの広告🇺🇦👨‍💼

もちろん、私は人々の健康が守られることを望んでいる。コロナなんて気にしなくていい世の中に早くなって欲しい。
そして世界平和を祈っていて戦争には反対だ。ウクライナ国民には早く日常を取り戻して復興して欲しいと願っている。

しかしこの手の広告を見ると広告を作らせた人間に対して無性に憎悪が湧いて、無性に吐き気がしてくる。そういう時は深呼吸して心を落ち着かせるのだが、やっぱりその日は一日中気分が悪い。だからと言って広告会社にクレームを入れたりはしない。1人で怒り、悲しみ落ち込み、1人で気分転換して回復する。

気分が悪くなる理由は簡単だ。その手の広告は人の健康を守らないし、平和を維持したりはしない。「良い目的のために」でも実際は悪いことを広めている、そういう役割を果たしている広告だと私は思っているからだ。

こんなことを言うと、「天邪鬼」「何か勘違いしてない?」「陰謀論?」などと聞かれる。世の中みんなで普通だと信じていることをなんで素直に受け取れないの?と。

普通の人間は自分が間違っているかも知れない、あるいは騙されているかも知れないとは考えない。だから、自分が考えているのと違う意見を聞くと、自分自身を普通という基準に当てはめ、そこから相手を判断しようとする。意識して客観的であろうとしても、そうなる。私自身がそうなのだから、あなたもおそらくそうだと思う。

結論から言うと、私は陰謀論者ではない。少なくとも、セオリーや思想を基準に物事を判断することは極力避けるようにしている。〇〇主義という概念が嫌いだ。

代わりに常に、相手の意図していることを気にする。世の中に溢れている情報には皆、誰かの意図が隠れている。それは些末なたわいもない物事がほとんどであろう。広告だって、建物だって、車だって、皆人が作ったものだ。

人が作ったものに意図が含まれていないものは一つもない。

情報もそうだ。情報の受け取り方について、それがエビデンス、一次情報が確認できるものかどうかと同時に、その人や媒体が、それを発信した意図を分析する。その情報を出したタイミング、含まれる主観と客観、視点について。いくら正しそうな内容でも、良いことを言っていても意図がはっきりしない情報を、「そうなんだ」と素直に受け取ったりはできない。

詐欺や人を騙す手口は世の中に溢れている。それが国家的な事業だろうが、一個人の発言だろうが同じことだ。常に相手の意図することを読み取ろうとする姿勢は崩さない。

なんだかそう聞くとただの疑り深い人、疑心暗鬼になる人みたいに思えるかも知れないが、逆に良いこともある。

自分本位制、と私は呼んでいるが、人が誰かのことで一喜一憂して消耗してしまう状態がある。原因として、過剰な期待を寄せたり、逆に不安になったりするのは自分の状態ばかりが気になってしまうからだ。それは根拠が無い。

相手の行動1つで自分の気分が左右されてしまうかも知れず、なおかつ相手が自分にとって望ましい行動を取るように祈っている「だけ」の状況というのは不健全だ。一方的な恋愛にありがちなことだが、相手の都合や意図を考えていない。自分の状況にしか関心を持つ余裕がないから、常に不安なのである。理不尽を理不尽として受け入れることができない。だから不安にフタをするために「こうあるべきだ、だからこうに違いない」という思い込みで世の中や人を見てしまう。

これは自分勝手や自己中とは少し違う。思いやりもあって優しい人はたくさんいる。しかし、思考をする際に、事実への認識が自分の感情ばかりに偏ってしまいがちだ。

詐欺師にとって、こういう人は都合が良い。他人の意図を気にしないから言葉1つで気分を操作できる。褒めれば良い気分になるし、怖がらせれば不安になってくれる。「相手が怖がれせようとしているのではないか」「おだてて利用しようとしているのではないか」とは考えない。

相手の意図を考えるクセをつけることは、悪い人にも騙されにくくなる。対人関係において、俯瞰した視点を持てる上に心の余裕を持つことにもつながる。人の気持ちにも敏感になれる。一石二鳥以上なのだ。

意図を考えましょう!
その情報はあなたを怒らせようとしていますか?
その情報はあなたを悲しませようとしていますか?
その情報はあなたを無気力にしていませんか?
その情報はあなたにどんな思想を伝えてますか?
その情報はあなたを勇気づけるものですか?
その情報はあなたをどんな人間にすると思いますか?
などなど、考えてみることはあると思います。

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