いいね、という名の感情の揺らぎを覆い隠す蓋のようなもの

私もやってしまいがちなのですが、知り合いのInstagramの投稿にいいね!をして、相手も私の投稿にお礼のいいね!をしてくれる。私たちは一体何をしているのだろう、とふと思いました。

もちろん、良いと思ったからいいねをしたのですが、その良さを言語化すると長い評論文になってしまいます。風呂入って寝る前の束の間の時間では到底言語化できないわけです。早く寝たい、だけどインスタを見るぐらいしないとなんかもの足りない、寂しい。そういう曖昧な時間。誰かの投稿がツボにハマったり、感心したり、気に入ったり、様々な感情を抱きます。言語化できない、言語化が難しい、その歯痒さを感じそうになるその瞬間です。いや、その一歩手前ぐらいにその可愛いハート型のそれが目にとまるわけです。目にとまってしまう。

というか正真正銘のハートなのですが、押してしまうんですよね。それで何かが済んでしまったような気がしてしまう。モヤモヤがどこかへ消えてしまう。困ったものです。

前置きが長くなってしまいました。結論から言いましょう。いいね!はクリエイターの敵です。

クリエイター側からすると、デジタル化以前の世界では拍手や直接、感想を伝えてくれる状況が当たり前でしたから、相手の顔や態度を直接見ることができました。

また、観客側から見ても変化は顕著です。近年コロナで中止になりがちな演劇鑑賞なんかは良い例でしょう。開演三十分前から会場に入り、グッズやパンフレットを買い、始まるまで待ち、始まると演劇を楽しみ、さらに終わったあと余韻にひたる、というような始まる前と本編と終わりの3段階、感情の動きがあるのです。タップ1つで動く端末や動画配信サービスと比べると無駄な時間に思えるかもしれませんが、これがあるからこその感動もあったわけです。しかし現代のインターネット上での作品発表は違う。デジタル化以前と以後では、感情の燃焼の仕方がやっぱり違うのです。

お前は何を言っているのかと言われるかもしれないですけど、そうかもしれません。私がインターネット社会に適応し切れていないだけかもしれません。私が生まれた頃はまだコンピューターは一部屋を占領するぐらい巨大なものでしたし、スマホなんて存在せず、ダイヤを回すタイプの黒電話を使っていました。小学生になって初めてパソコン(もちろんデスクトップです)を触りましたが、フロッピーディスクを使っていて、動きも今のパソコンよりずっと鈍かったのは覚えています。

デジタル社会へのハードルや敷居が少し高かったのです。それがあれよあれよと言う間に周りの人達が携帯を持ち始め、スマホを持ち始め、今ではサクサク動く小型の端末を時間や場所、環境に関わらず誰でも使うようになってしまいました。このような劇的な変化は何世代にもわたって徐々に起こったのではありません。私が生まれてから二十数年間の間に起こったことなのです。

そして、スマホが普及し始めた頃を境に、生まれた時からスマホをいじってきた世代が小学生になり、中学生になって、大人になっていくのです。

近年のIT化社会のキーワードはこれです。

•いつでも

•どこでも

•だれでも

そして簡単に、ワールドワイド(世界規模)に。

私の記事で恐縮ですが、以前、インターネットについて書きました。wwwはワールドワイド•ウェブの略です。世界規模の網の目。
https://note.com/kawara14/n/n8e0b066d799c

何かに似ていませんか?例えばSDGsのスローガンの中に、「誰一人取り残さない(leave no one behind)」があります。直訳すれば、「誰も後ろに残さない」つまり時代の変化を進歩とみなして進歩から遅れさせないということです。ちょっと独善的な気がします。

誰も後ろに残さない、の良い例としてはスマホ社会です。スマホが無いと社会生活を送ることが難しいため、お金に困ってても持たざるをえません。あと、コロナのPCR検査も、いつでもどこでも誰でもできますね。ハードルが低く、低く、もれなく世界中へ。話がそれました。

さて、私たちは、いつでも、どこでも、誰でも、クリエイターの作品を鑑賞していいねをできる状況にあります。このことが及ぼす感情の燃焼の仕方への影響は計り知れません。ライブや演劇鑑賞、映画鑑賞が下火となり、動画配信やインターネット上での作品発表だけが娯楽のような顔をしている社会は健全と言えるでしょうか?数値では表せないので本当に永遠に未知数です。あとの時代になって誰かが調べてくれるのでしょうか?

私の生活実感の中では「影響は大きい、計り知れない、」と出ております。何をすればいいか、どんな対策をとったらいいか、まだわかりません。ですが、わかろうとしている最中です。映画鑑賞、演劇鑑賞のようなライブ感のある、そして環境と人を限定するような芸術体験が生活から失われることで私たちの情緒にどのぐらい影響を及ぼしているのか、何かわかったこと、わかりそうなこと、なんでもいいのでコメント欄にお寄せ下さい。

今の世の中、このままじゃいけない感じが濃厚です。手を打つなり、手遅れなら最悪の事態を想定して手を回すなり、最悪の事態を遅らせるなり、です。

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