それでもゲームには感謝しかない【自分とゲーム】

 定期購読マガジン、ラストのお題は【自分とゲーム】。



 マガジンのメンバーからは重すぎると不評です。まぁ、好きが高じてゲームライターをしている人たちが軽々しく語れるテーマではなかったですね(苦笑)。

 自分もゲームライターをやっているぐらいだから、ゲームは好きなのですが、仕事にしなければよかったと挫けそうなことがありました。とくに雑誌が無くなったときは強く思いましたね。雑誌なら特集ページを担当すればまとまったお金が入りますが、Web記事はどうしても1記事のお金になってしまうので、なかなか厳しいです。連載形式で相談させてもらえるなど、ありがたいこともありますが、やはり雑誌のときのような稼ぎ方はできません。


 ゲームライターというのは、それ1本で食べていくにはあまりにも過酷な職業です。某フリーのゲームクリエイターさんに「フリーになってから、いろいろな仕事をやってきたけど、ゲームライターの仕事が圧倒的にいちばん安かったです。カワチさんはどうやってゲームライターで暮らしているんですか?」と本気で質問されました(苦笑)。

 「基本的に仕事しかしていないのと、食事も1日1食で、白米とたまごぐらいしか食べないから」と素で答えましたが、でも、こういう生き方は後進のためにはよくないのかなとも思っています。

 もしも自分がゲームではなくアニメのほうにドハマリしていたら、アニメを軸にしたライターになっていて、もうちょっと人生をラクに生きていたかもしれません。(もちろん、アニメはゲームよりも長い歴史があり、作品数も圧倒的に多い。より専門知識が求められます。結局、隣の芝生が青くみえるだけでしょう)

 でも、自分を救ってくれたのはアニメではなくゲームでした。そういった感情を思い起こさせてくれたのはゲーム番組『勇者ああああ』の最終回と、その出演者である芸人・ノブオさんの放送後のツイートでした。



 ゲームに出会ったから不幸になったのではなく、ゲームが自分の人生を幸福にしてくれた。そんな単純なことを忘れていた気がします。

 同じように、ライターの片岡龍一さんがかつて書いた『ドラゴンクエストIII』のコラムも印象深くて、今でもときどき思い出します。


 ゲームというのは楽しいものです。それは変わらない。

 かつて、PS Blogの『ライフ イズ ストレンジ』のコラムにも書いたのですが、人生は何を選んだとしても痛みとともに歩んでいくことになります。


 このコラムで家業を継いでいたらどうなったのか? と書いていますが、父親のベビー用品の会社は倒産しましたし、その後にコネではじめた個人の用品店も経営がうまくいかずに閉めることになりました。きっと、そっちを選んでいても大変なことはたくさんあったでしょう。

 ただ、そちらを選んだとしても自分はゲームを遊んでいるし、ゲームに救われていたと、それだけは断言できます。ゲームは人生に寄り添うパートナーです。

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 また、最近変わった意識につまらなかったものや合わなかったものを発信するのは止めようと思ったことがあります。

 ダメなものをダメと言わないと本当に良かったものの良さが伝わらない、なんでも褒める世の中は雑な世の中になるだけ。

 わかります。

 ただ、本当に良かったものが世の中に届いているのか? という疑問がここ何年かで自分のなかでとても増えました。自分がまだ若くて時間がたくさんあるなら、業界全体を良くするためにダメな作品のダメな部分をしっかり届けようと思うのですが、残念ながら自分も年をとってきて使える時間も限られてきました。

それならば、自分は残された時間を自分がいいと思ったものをしっかり伝える時間にしたい。それがゲームへの恩返しになるんじゃないかと思っています。

……すいません、やはり真面目な記事になってしまいました。ふざけた記事はほかのメンバーに任せます! なお、ゲームライターマガジンは4月以降も基本無料マガジンとして続いていきますので、そちらではくだらない話しかしないようにします(笑)。ぜひフォローよろしくです!


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