想い出と罪悪感
はじめまして。
「かわねの生きモノ」9匹目のイズミヤです。
川根本町に生まれて数十年。途中町外に出ていた時期もありましたが、人生の2/3は川根本町で生活しております。
生態についてはいずれ‥
今回のテーマはお茶という事で‥
生家は兼業ではありましたが自園自製のお茶農家。(自園自製‥自分の茶園のお茶を自分の家の茶工場で製品にまで仕上げる。)
子供の頃から当たり前のようにソコにあったのがお茶でした。
もちろん日々の食卓に必ずお茶を淹れて飲んでいたのはもちろん、新茶の時期にはお茶の新芽の天ぷらなども並びました。
毎朝一杯のお茶はご飯が食べられなくても必ず飲みなさいと言われたものです。
物心ついた頃には当たり前のように茶畑でお茶摘みの手伝いをしておりました。
品評会に出すお茶は〝一芯ニ葉〟それ以外はまだみるい(硬くない)葉を無駄にしないように〝コキ抜き〟と、茶農家の英才教育(笑)を受けて育ちました。
あ、コキ抜きとは茎の部分は一芯ニ葉と同じ、中心の芽と2枚の葉の部分まで、葉っぱだけそのさらに下の3枚目4枚目まで採る方法ですが、指をうまく滑らせて一度にそのように採る、ちょっとテクニックのいる採りかたです。
そして、少し大きくなってからはお茶刈り機の袋もちと、刈り取ったお茶でいっぱいのお茶袋を運ぶのが私の仕事でした。
さらに小学校高学年になると二人刈り機の刈り手もするように。
記憶違いでなければ、点在している茶畑を合わせると200メートルトラック5つ分でも足りないくらいの広さがあったので、お茶のシーズンはもう家族総出でフル稼働。
ゴールデンウィークなんて、遊びに行くものではなく、朝から晩までお茶畑で過ごすのが当たり前でした。
お茶農家は大変と良く聞きますが、そんな生活が普通でしたので、子供の頃は特に苦痛に思った事はありませんでしたね。
楽しかった思い出の方が多いです。
ただ、父は日中刈り取ったお茶を夕方から早朝まで茶工場で加工していたので、子ども心にいつ寝ているのか心配に思った記憶があります。
さて、ここまでは子供の頃のお茶農家生活を書いてきましたが、ここからは題名の罪悪感について書きたいと思います。
お茶で何故罪悪感?
それは、現在我が家の茶畑を全て放棄してしまっているからです💦
父母が亡くなり、茶畑の手入れが出来なくなりお茶家業から撤退しました‥💧
恥ずかしながら私も弟も、勤め先を辞めてまでお茶に専念する気概がなかったのです。
お茶は大好きだけど、ただの手伝いではなく全てをやらなければならないとなった時に、その大変さをみに沁みて知りました。
だからこそ、父の代まで続けてきたお茶農家を辞めてしまった事、ただ伸び続けている茶畑を眺めるたびに罪悪感が湧いてくるのです‥
そして、町内のお茶の担い手不足の話を聞くたびに、胸がチクリチクリと痛むのです😣
そんな罪悪感があるから、茶茗舘のボランティアスタッフをやっているのかもしれません。
茶茗舘で色々なお茶農家さんと交流する機会が増え知る事が出来たのですが、嬉しいことに今、町内のお茶農家さんは少しずつ若い世代に世代交代していっているようです✨
お茶農家を継ぐと決めた若者たちに、尊敬の念が絶えません。
自分ができなかったからこそ、応援する気持ちが人一倍強い気がします。
お茶の町、川根本町が存続していけるように、自分にできる範囲で、微力ながらでも出来ることをと思い日々過ごすのでした。
(そして、めちゃくちゃ他力本願ですが、うちの放棄してしまった茶畑を誰か何かに活かしてくれないかなぁ、などと思ったりもしています。)
お茶テーマの最後を飾るのにはふさわしくないかもしれないですが、これが素直なお茶と私。
拙い文章でお恥ずかしい限りですが、最後まで読んでいただきありがとうございました😊
さて、次のテーマは
「おにぎり」
一番手の方にバトンをお渡ししまーす。