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僕の絵が誰かの記憶のスイッチになること

絵を見て、何かを感じたり、忘れていた記憶が蘇ることがある。
「ああそう言えば、子供の頃に遊んだ空き地があったなあ」とか、その後で当時の友達やその時の季節や天気、街の匂いなんかも思い出したりする。
そのスイッチみたいな役割が、絵に限らず音楽や詩などの作品にはある。

僕の絵を見て、だれかが「懐かしい」と感想をくれることがある。
そういうのって、理屈抜きに「いいな」ってなる。嬉しい。
その人の中にある「懐かしい風景なり情景」を復元するスイッチに自分の絵がなることの不思議。
全く違う場所で、違う時間、世代が違うなら育った時代も違う僕達の間を、絵はいとも簡単にヒョイっと飛び越えてしまう。

“On the road”

僕の絵は「シンプル」と人によく言われる。
自分でもそう思うし、描いているモチーフはいつも断片的だったりする。なんていうかこう、「チラ見せ」くらいの塩梅。ぎりぎり乳首見えてませんみたいな塩梅。

というのも、全体を描こうとすると「なんかつまんないな」となってしまうし、描く要素が増えると「めんどくさ」となってしまうから、シンプルで簡単に描ける構図にすることで、楽しく続けられる。
ということで、「描きすぎない絵を描いている」。そんな感じ。

おもしろいなあ、と思うのは僕の絵に反応や感想をくれる人たちって、感性や想像力が豊かなんだと思う。
絵をスイッチにして、その人の中にある思い出の場所や人といった形あるものから、匂いや温度や気持ちといった形ないもの、さまざまなものをその人自身が、自分の内側のスクリーンに映し出しているみたい。

絵を見ることで、その人が自分の内側でクリエイトしてるイメージ。
これって、言葉を完全に超えたコミュニケーションで、僕のインナー紳助も「ステキやん」と言っている。

また、ある人が僕の絵を「静かでいいですね」と評してくれたことがある。
もしかしたら、言葉にしないまでも同じように感じてくれている人、少なくないかもしれない。

現代はなんでもかんでも明るみに出しすぎるし、作品にしたって説明が多すぎて、一言で言うと「うるせえな」と、思ってしまうものが多い。そういうのは僕の好みじゃない。
だから多分、自然と静かな表現が僕からポロリしちゃうんだと思う。

とにかく、ぎりぎり乳首見えてません、みたいな絵、、、
じゃなくて、あまり描きすぎないくらいの自分の絵が、誰かの記憶や情景を呼び起こすスイッチになれていること、それってステキやんって、話をしたかったので、ここらへんで今日はどろん。

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