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蟹カニバリズム

あるところに蟹が大好きな青年がいました。

彼の日々は蟹で溢れていました。朝ご飯にはスライスした蟹肉と新鮮なレタスを挟んだサンドイッチ、お昼ご飯には特上の蟹のお寿司を、夜ご飯には蟹まるまる一匹を生きたまま煮詰めた蟹エキスたっぷりの特製蟹鍋を食べました。

ごはんの時以外も蟹でいっぱいです。画用紙の隅まであますところなく蟹の絵を描き、サングラスをかけた蟹が主人公の古いアクションゲームをプレイし、眠るときはタカアシガニのクッションを抱いて眠りました。ここだけの話、彼はもういい大人でしたので飼っている蟹に性を放つこともあったそうです。

彼は毎日大好きな蟹と触れあえてとても幸せでした。そんな彼を周りのみんなは親しみを込めて蟹君と呼んでいました。

しかしそんな幸せな日々は唐突に終わってしまいます。蟹君のお母さんが病気で死んでしまったのです。蟹君が今まで蟹に溢れる生活を送れていたのは、お母さんが一生懸命働いてくれていたおかげでした。

お母さんが死んだ後も蟹君は蟹生活を辞めることが出来ませんでした。しばらくはお母さんが残してくれたお金を使っていましたがそれもすぐに底を尽きました。蟹君はこの国では蟹はとても高価なものだということをこのときはじめて知りました。

港の漁師さんは蟹君に言いました。

「蟹君、もうお金がなくなってしまったんだろう?それじゃあ君に蟹は売れないよ。もうお母さんもいなくなってしまったんだから君が代わりに働かなくちゃあならないんだ」

「漁師さん。でも僕は働いた事なんて無いんだ。それに毎日蟹と触れあっていたいから働いている時間なんて無いんだ」

「蟹君、いつまで甘えたことを言ってるんだ。いいかい、好きなことをして生きていくためには好きじゃないこともしなきゃならないんだ。みんなそうしてる。君ももう大人だろう。すぐに街に戻って仕事を探すんだ。わかったら帰りなさい」

「漁師さん、言ってることがわからないよ。僕が世界で一番蟹が好きなんだ。さっさと僕に蟹をくれよ。僕腹がたってきたよ」

蟹君は全身を真っ赤にして怒りを露わにしました。漁師さんは蟹君の顔を力一杯殴りつけました。

「蟹君!君は最低な人間だ!君がお母さんを殺したんだ!そんなに蟹が好きなら海の中で蟹と一緒に暮らせばいいさ!」

そういって漁師さんは蟹君の背中を思いっきり蹴り飛ばしました。海に向けて。蟹君は真冬の凍えるような暗い海に落ちて、そのままどこかに流れていきました。

蟹君は流される最中考えました。海の中で蟹と暮らせばいい?そうかその通りだ。僕は毎日蟹を食べてきた。蟹と過ごしてきた。僕の体のおよそ八割ほどは蟹でできているといっても過言じゃないはずだ。僕はもう既にほぼ蟹になっている。たくわえられた脂肪も、全身を流れる血液も、骨だって脳みそだって。脳みそじゃなくって蟹みそって言ってしまってもいいかもしれないな。こんなぼくならきっと海の中で蟹となかよくやっていける。

蟹君は意を決して水中に潜りました。すると不思議なことに何も苦しいことはありませんでした。海中は暗く、光はありませんでしたがとても静かで落ち着きます。冷たさも感じません。それは地上の世界よりも心地のいい場所でした。蟹君はそのまま深く潜り、海底の砂に体を沈めて眠りにつきました。途中でカレイ君が近寄ってきたので、彼の下に入り込んで布団のようにして眠りました。

目が覚めると地上から太陽の光が差し込んでいました。海中を泳ぐ魚たちの鱗が光に照らされ、それは光の当たり方によって色を変えキラキラと輝いていました。海底から眺めるそれはとてもとても幻想的な風景で蟹君はうっとりしました。

蟹君は仲間を探すことにしました。彼は毎日蟹と過ごしてきたから一人は寂しかったのです。海底を深い方へゆっくりと進みはじめました。彼には仲間達の居場所がわかっていました。

数時間ほど進み、光もあまり届かなくなった海底の奥深くにおおきい岩場がありました。山のような形をした綺麗な石竹色の岩場で、ところどころ穴が空いており多くの生物たちがそこから顔を出しこちらを見ていました。

岩場の上の方からぼーっと顔を出していたウツボ君と目が合いました。すると驚いた顔をして岩場に引っ込んでしまいました。どうしたんだろうと思って少し立ち止まっていると、岩場の下の方から5匹のタラバガニが出てきました。蟹君の大好きな蟹です。彼等の爪の肉は絶品だったし、そのゴツゴツとしたフォルムはとてもかっこよくセクシーでした。

5匹のタラバガニの内の一匹が前に出て、蟹君に泡を吹きかけました。

「蟹君、ここに何をしにきたんだ」

その泡から蟹君はタラバガニがなんと言っているのか理解ができました。それはそうです。

「僕は蟹になれたんだ。毎日いろんな蟹を食べてきたし、蟹と過ごしてきたし、蟹の事を考えていたからね。今日からは君たちの仲間だ」

蟹君も同じようにタラバガニに泡を吹きかけました。

「お前が蟹になった?へえ、おもしろいことをいうじゃないか。お前は多くの蟹を殺して食してきた。お前が蟹になったということは、同族を食してきたということになる。同族を食すことは多くの生物の中で禁忌とされている!さらにいえばお前は多くの蟹を辱めてきた。お前は最悪のカニバリズム野郎だ!そんなやつを仲間として受け入れられる訳がないだろう!」

後ろにいたタラバガニ達もそうだそうだと蟹君に泡を吹きかけました。蟹君はとてもショックでした。こんなにも愛してきた蟹達にここまで罵倒されるなんて。

蟹君の愛は本物でした。ですが少しいき過ぎていたのです。いき過ぎた愛はもはや愛ではありません。狂気です。

蟹君はショックのあまり目の前が真っ暗になりその場で泡を吐いて気絶してしまいました。五匹のタラバガニが蟹君を囲み、大きなはさみで蟹君を解体しました。そして全てウツボ君に食べさせてしまいました。ウツボ君は甲羅の堅さに食べづらさを感じながら、ばらばらになった蟹君を全て飲み込みました。

これで平和が訪れた。とタラバガニ達は大喜び。今日は盛大な宴をすることに決めて準備を始めました。しかしその最中、お腹いっぱいになって眠っていたはずのウツボ君が突然目を覚まし、その長い体でタラバガニ達にまとめて巻き付きました。タラバガニ達は「やめてくれ!」と言いましたがウツボ君は白目を剥き、口をだらしなく開けまるで誰かに操られているような様子でそのままタラバガニ達を締め上げていきました。タラバガニは自分の甲羅がバキバキと音を立てて壊れていくのを感じながら最後にウツボ君が念仏を唱えるようになにかをブツブツつぶやいて涙を流しているのを見ました。

それから数日後、漁師達が船に乗り沖まで漁に出かけていました。最後の網を回収しようとしている時のことでした。この網を回収すれば一週間の漁がやっと終わり、みな家に帰れます。漁師達はそれぞれ帰ってからする楽しいことを想像しながらその網の回収に取りかかりました。しかしとても重く、なかなか引き上げられません。

「おいどうした!はやいところ引き上げて帰ろうぜ!」
船の一番前でビールを飲んでいた船長が言いましたが、返事がありません。
「なんだよ、最後の最後で力尽きちまったのか?」
船長が船の中心部に行くと、そこには最後の網だけを残して誰もいませんでした。

「おいみんなどこだ?どこに行っちまったんだ?全員でいきなり水泳大会でもおっぱじめちまったのかい。仕事中だってのによお!」

次の瞬間、激しい音を立てて海中から何かとても巨大なものが飛び出し、船が派手にひっくり返りました。船長も海に投げ出されてしまいました。

一瞬何が起こったか理解できず、しばらく呆然としていましたが息が出来ないことから自分が海中にいると気付きました。船長は音の消えた海の中を光の差す方へ、海面へと泳ぎました。

ぷはあ、と海面に顔を出しあたりを見渡すと、遠くのほうに巨大なウツボが蟹の爪を生やし、さらにたくましい脚を持ったような生物がその脚を豪快に動かして走り去っていくのが見えました。その生物は地平線の奥へと消えていき、あたりにはなにも見えなくなりました。

船長はついさっき見た現実離れした光景と、その後に残されたとても静かな、広大な海に気が狂ってしまいました。ワハハハハハ!と大きな笑い声を上げてそのままゆっくりと、果てしなく広がる海に紛れて消えていきました。

巨大なウツボと蟹と人間が合体したようなウツボ蟹人間はそのまま全速力で地上まで走り抜け、地上に着くと多くの人々を踏み潰し、食べました。

突然の怪物の襲来に人々は為す術がありませんでした。ウツボ蟹人間はやがてお腹いっぱいになり、大きな山の上で眠りにつきました。そこに自衛隊がやってきて、大砲を一斉に発射しウツボ蟹人間を殺しました。

死んだウツボ蟹人間のお腹の中からは大量の蟹が出てきて海に帰っていったそうです。

ウツボ蟹人間の正体は蟹君だったのでしょうか。彼は一体なぜあんな事件を起こしてしまったのでしょうか。

…今こそ白状しますが、私は蟹君の父です。私は知っていました。漁師が蟹君を海に突き落としたことも、その漁師が蟹君のお母さんの愛人だったということも。母親は蟹君の異常すぎる蟹への愛に悩んでいましたし、漁師は母親を悩ませる蟹君を憎んでいました。まあ今となってはどちらもこの世にいませんがね。私には関係のないことです。私は今日もマーレーン性エアカーに乗り、GCIドリンクでも飲みながらメトロポリスAir3丁目を走り回り、ネオンがあやしげにきらめく夜景を眺めるのです。そんな優雅な時間は誰にも邪魔されたくないものです。

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