あぶくま君の自称震災体験漫画の各話ごとの矛盾点について朝日新聞Globe+のインタビュー記事を交えて再検証 後編

自称震災孤児のあぶくま君 @abukumakum に関する検証の第8弾です。
あぶくま君についての詳細については下記togetterまとめを読んでください。

2021/4/27追記:上記togetterは利用規約に触れている、ということで非公開になってしまいました。あぶくま君についての説明は下記noteの記事をご覧ください。

あぶくま君が沈黙してから2か月が経過しました。あぶくま君は震災の記憶を風化させないために漫画書いていたはずなのですが先に本人が風化しそうですね。あれだけ震災被害者を侮辱したことは絶対に風化させないので今後も定期的にnoteを更新していきたいと思います。

前回の続きに入る前に一点ご報告があります。朝日新聞福島総局にあぶくま君の朝日新聞Globe+のインタビュー記事について記事のとおり行政が未把握の孤児が発見という事実はあるのか、という問い合わせをしました。当日は担当者がいないということで折り返しいただけるようお願いし私の連絡先電話番号をお伝えしたのですが、未だに回答はありません。南相馬市役所も(本当に孤児であれば)行方を捜しているのに朝日新聞様は非常に無責任ですね。ご連絡お待ちしております。

では前回の続きです

第8話つづき

第8話について前回やりましたが本当に腹が立つ嘘まだまだあるのでやっていきます。

・汚れたままの遺体を不特定多数に見せる

これも本当に許せない嘘。

東日本大震災記録誌の87ページにある(当時)南相馬市消防団副団長 山見重信氏の手記です。

東日本大震災記録誌より抜粋


以下本文抜粋
「私はご遺体の無念さに心を痛めながらも、せめてご遺体を安置する前に、「汚れた体をきれいにしたい」という思いから、ご遺体の無念を振り払うかのように丁寧に洗う仕事を来る日も来る日も続けた。日が経つにつれて1日10体も20体も上がってくるご遺体で、作業が追い付かなくなったときもあった。私は学校のプールの水をポンプで吸い上げ大量の水を確保。ご遺体がこれ以上傷つかないようにと、ホースからの水流を噴霧状にして丁寧に洗い、着ていた衣類も洗ってから袋に入れ、ご遺体といっしょに安置をした。こうして私は3月いっぱいで284体のご遺体を送った。」

この短い手記からでも地元の消防団員が当時どれだけ必死になって震災に立ち向かっていたのかが伝わってきます。まだ気温が1桁になる日もある3月中旬に断水している地域もある中で何とか水を確保して少しでも被災者のためになるよう活動しています。

消防団員が、遺体が汚れたまま、不特定多数の面前に、何の配慮も無く、見世物のように晒すなんてことは絶対にないんですよ!
あぶくま君は本当に当時の関係者を馬鹿にしている、侮辱している。これは絶対に許してはいけません。この愚行を風化させてはいけません。

・民間の避難者が検死をしていた

あぶくま君はインタビュー記事で避難所では民間の避難者が検視を手伝っていたと証言しています。

あぶくま君インタビューより抜粋

これも明らかな嘘。

東日本大震災記録誌の86ページにあるとおり遺体が多数発見された場所では地元医師や派遣要請に応じた県外医師の手により検視が行われたいます。

東日本大震災記録誌より抜粋

そもそも検視は遺体の身元特定にもつながる非常に重要な作業でありド素人が予備知識無しでできるようなものでは無い。これくらいは一般常識では?インタビューの時点であぶくま君は25歳前後のはずですがわからなかったのでしょうか?非常に幼稚な嘘ですね。

第9話

・汚れたまま遺体を引き渡す

第8話で指摘した通り遺体は検視の後になるべく綺麗にして遺族に引き渡されます。本当に嘘しか書かれていませんね。

・遺体が毛布一枚で雑に並べられている

南相馬市の遺体安置所では遺体は棺に入れられて並べられています。

上記HPより 遺体安置所の様子

というわけでこれも明らかな嘘。ネット上に残っている記録のほうがよっぽど当時の状況が伝わってきますね。

第10話

・また避難所を移転

第10話であぶくま君はまた避難所を移転しています。この移転により南相馬市を出て東京にたどり着きホームレス生活が始まります。

ここで問題になるのが、あぶくま君がいつまで避難所にいたのか?ということ。あぶくま君はインタビューで避難所に滞在していたのは約3週間と証言しています。

あぶくま君インタビューより 避難所に滞在していた期間

ここで一度時系列を整理してみます。
3月11日:あぶくま君被災、同日避難所に移動
3月25日:2週間で次に避難所に移動
4月1日 :南相馬市の避難所を出て東京に移動、ホームレスに

4月1日に避難所を出たとのことですが、東日本大震災記録誌によるとその時期まで原町地区で開設されていた避難所は原町第一小学校だけです。

東日本大震災記録誌より 2011年3月11日以降の避難所


というわけで漫画の描写とインタビュー記事の内容によりあぶくま君が3月25日以降に避難していたのは原町第一小学校で確定です。
あぶくま君が滞在していた避難所が確定したため第8話及び第9話に描写のある避難所に遺体が運び込まれていた、という描写も真っ赤な嘘であることが確定。また同時にあぶくま君がインタビューで語っていた「避難所の生活スペースから遺体が見えた」という証言も真っ赤な嘘であることが確定です。(遺体の収容は原町高校、遺体の安置は相馬農業高校)

真っ赤な嘘
東日本大震災記録誌より抜粋

・そもそもなんで避難所を移転しているのか?

あぶくま君のインタビューから避難所を出たのは2011年4月1日以降であることが確定しているわけですが、その時期にはある程度事態が落ち着きつつありむしろ市外避難していた避難者が南相馬市に戻ってきている時期です。

南相馬市災害記録誌より抜粋

この時期にわざわざ県外の避難所に移転???しかも5人程度の少人数で???

謎の少人数県外移転

上記で述べたように原町第一小学校の避難所は4月1日時点でも開設されていたのだから移転する必要は全くありませんし4月1日の時点で行政が県外避難を実施したり要請したという記録も一切ありません。

あぶくま君はインタビューで「ほかの被災者と福島を出た」と語っています。

つまり行政はかかわっておらず一般人の被災者同士で勝手に県外に移動したとでも言いたいのでしょうか??では漫画に描かれていたこの人物のこのセリフは何だったんですか??

謎人物の謎セリフ

「ご不便をかけますが復旧が進めばまた戻って来れられますしばらくご辛抱ください」
↑これどの立場からのセリフなんですか???仮にこの謎人物が一般人だとするとなんの権限や根拠があってこんなセリフを言っているのか全く意味不
明。ていうかなんで敬語でお願いしてるの???
この漫画の描写を書いておいて「一般の被災者たちで自主避難しました」は筋が通りませんね。整合性が滅茶苦茶。

・まとめ

とりあえず南相馬市を出ることになる10話までを検証しましたが正しい部分が少ないとかいうレベルではなく、酷い嘘しかありませんでした。控えめに言ってクソですね。
ホームレス編以降についてはまとめ記事を作成する予定はありませんでしたが、あぶくま君が沈黙を続けているため、あぶくま君のこの所業の風化防止のために随時まとめ記事を更新していきたいと思います。


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