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考えたこと。

幡野広志さんの人生相談の記事が炎上して削除されたようだ。元記事も、ご本人と公式の謝罪も読んだ。で、あくまで第三者として見聞きして、考えたことを書く。別に何を要求する記事でもなく、楽しくもないので、読み捨てていただければ。

楽しみとしての「人生相談」とは

新聞や雑誌に載っている「人生相談」コーナーが割と好きで、昔からよく読んでいた。回答者も作家さんだったり俳優さんだったり、全体的にゆるい感じのこの手のコーナー、限られた字数内に端的かつ絶妙にまとまっていてすぐ読める。もちろん相談→回答の一方通行だし、それで何かが解決するわけでは全然無い。ただ、聞かれたことに対して何らかの回答をする、そのやりとりを見るのが楽しいのだ

さて今回の幡野氏の「なんで僕に聞くんだろう。」という「人生相談」は、このタイトルから察するにやはり「楽しみとしての」それであっただろう。ご本人は、相談を聞くことに関して何らかのスキルや専門知識があるわけではない。聞かれたら答えるけど、それで有益な情報を得られると思わないでね、あくまで楽しむものとしての「相談」だよ、といった立ち位置を示すタイトルと私は解釈していた。なのに今回、自らその前提をぶち壊してしまった。「聞かれていることが本当か嘘か」を論点にしてしまったら、一般人から相談を募る「楽しみとしての人生相談」なんて成り立たないではないか。

オーバーワーク?

「楽しみとしての人生相談」コーナーの場合、掲載スペースはさほど広くない事が多く様々制限もあり、「相談」を原文のまま出すことはまずない。①まず届いた「相談」すべてに目を通して選定し、②それについて回答を書く、③既定の字数に収まるよう相談・回答ともに調整する、などという作業が要る。通常、編集者が①と③の作業をするのだろうが、「なんで僕に聞くんだろう。」はどのような運用だったのか。全部自分?

書籍化もされている人気コンテンツだ。相談の数が増えれば、中にはどうしようもないふざけ半分嫌がらせ半分みたいな内容のものもあったかもしれない。とても受けとめきれない重い内容(今回のような)も増えたのかもしれない。一人で捌いていたとしたら半端ない負担だ。闘病中の方でもあるし、本人が思う以上に疲弊していた?少なくともあの記事のあの文面では到底こちらも楽しめないし、本人も楽しんで書いているようにも思えない。

運営は?

noteは、クリエイターをサポートすると銘打っている会社である。創作を続けよう、続けることが大事とさまざまな取り組みをしている。cakesはその中でも注目のクリエイターをピックアップし、宣伝・販売していく媒体である。おそらく看板クリエイターの一人であった幡野氏に、どういう形のサポートをしていたのか。企画段階で関わっていたのかどうか。作業の補助の有無は。書きあがった記事のチェックはどういうガイドラインの元で、どういう立場の人が何人で行っていたのか。知りたいところである。

というのは、あの謝罪文である。一貫して「DVやモラハラ被害者に対する理解が足りなかった」ことを焦点に書かれている。もちろん大事なことで、書かねばならないことだ。しかし、そもそも「クリエイターを応援する」企業として「創作を楽しみ続ける」「ずっと発表し続ける」ことを実現するため、当の幡野氏に対して具体的に何をサポートしてきたか、その辺りに反省点は何もないのだろうか?企画に無理はなかったのか?自由に意見が言える環境だったのか?

発信を楽しむために大切なこと」「楽しむために気をつけておくこと」、「楽しむ」というのがこの会社のキーワードのように思うけれども、「相談者がいかに嘘つきかを糾弾」するだけの記事が「楽しい」のか、という問いはなかったか。しかもよりによって内容が極めて深刻でセンシティブなDV・モラハラ案件。正直、会社としてのコンプライアンス以前に関わった個々人の常識を疑わざるをえない。全くその辺の感覚が無かったとしたら大問題だし、そうじゃなくても、成功した看板クリエイターだから大丈夫だろうという慢心とか忖度みたいなものがあったとしたら、そこもまた大問題である。この際原点に立ち返っていただきたいし、幡野氏に対しても、一体何が問題であったのか、十分対話を尽くしていただければと思う。真のクリエイター支援とはどういうものか、是非見せてほしい。

余談。

DV・モラハラに対する認識の甘さだけが批判されているような気もしたので、あえてそれ以外の視点で書いたというのもあるけど、曲がりなりにも創作をやる一人として「語られたことそのものが嘘だと全否定される」ことは何というか「物語の否定」にも感じたんですよね。それを言ったらお終いですやろ…という気分になった。特にああいった一般人参加の企画において、真偽を探るような態度ってお門違いというか無粋だし、真実として扱うしかやりようないじゃん、そういう緩さを売りにして始めたんじゃないの?と混乱したので、書かずにいられなかった。それだけです。最後まで読んでいただいてありがとうございました。

「文字として何かを残していくこと」の意味を考えつつ日々書いています。