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考えたこと 2

「10月19日に公開されたぼくの記事について」を見ました。で、まだモヤモヤしています。なんだろうなこのモヤモヤは。

凄く大きな怒りとか悲しみとかがあるわけではない。ご本人のファンでもなかったし、特にショックも無い。別にDVやモラハラに詳しいわけでもないし、フェミニストでもないし、文章を読んだり書いたりする事が好きなだけの一般人の私が、どうしてこの件にこれ程引っかかっているのか、自分でも理由がはっきりしない。このモヤモヤを晴らすため、あくまで自分のためだけに文字に落とし込んでみる。

そもそも謝罪って何?

辞書によると「罪やあやまちをわびること」とある。非常にシンプルだけど、前提として「罪やあやまち」の内容が、謝罪する側とされる側で同一である必要がある。揉める原因の多くはこれで、相手が何に対して怒っているか・悲しんでいるかを正確に把握しないことには、その場しのぎの口先謝罪ともなりかねない。以下、謝罪文より抜粋:

ケイクス「認識不足や当事者への配慮の不足」

幡野さん「19日に公開された記事が発端でDV被害の二次被害を増長させてしまったこと、DV被害の経験者の方を苦しめてしまったこと、DV被害について無知であるにも関わらずウソと決めつけて記事を書いたこと」

間違いではない。全くその通りだとは思う。でも、相談者さんは…

「今回頂いていた回答の真意は、私には分かりませんが、言葉の解釈はあくまで受け取る側が判断するものだと私は思っています。
だから、私の文章に、嘘や大袈裟を感じたなら、少なくとも幡野さんの中ではそうなんだと思います。」

「やりとりを重ねた」と本文にはあるので、私の知らないもっと別の内容があるのかもしれない。ただ、私はこの相談者さんの言葉から、両者の「罪やあやまち」の認識がズレている、または足りないのでは?と感じた。相談者は「同じ問題で悩む他の人たちのためにいつか回答を」と仰っているだけで、ご自身は何ひとつ求めていない。終始抑えた表現で、非常に気を遣って書かれている中、「今回頂いていた回答の真意は、私には分かりませんが」この一節、幡野さんもcakesの人もどう考えたのだろうか。

無知、嘘、大袈裟は罪か?

最初に言ってしまうと、三つともそれ自体は罪ではない。「無知」自体が罪だとしたら、生まれたての赤ちゃんは全員罪人ということになってしまう。どんな天才でも人格者でも、知らないことは無限にある。「嘘」も「大袈裟な物言い」も同様。これ自体がダメならこの世にあるすべての創作は罪の産物になってしまうし、営業活動や宣伝して物を売ることも厳しかろう。

それぞれ程度と状況の問題で、他者を傷つけたり貶めたり、不利益を被らせたり危険に晒したり、社会不安を増幅したり、などという結果(予想も含め)を以て初めて「罪」となりうるのだろう。

何故非難したのか?

とするとこの騒動の中での「無知」は確かに「罪」といえる。無知ゆえに「違和感」を覚えて嘘や大袈裟と決めつけ、何の配慮もないまま、一方的に相談者を貶め非難する内容を記事として出して、同様の状況にある人達までを傷つけてしまったのだから。幡野さんの謝罪の中でも「無知」は最も大きなファクターとして扱われている。

しかし「DVやモラハラ」に対して一定の知識や認識を有する人って、実際どのくらいいるのだろう?私自身ネットで得られる程度の情報しか知らないし、当事者からしたら「無知」といっていいレベルだと思う。だけどそういった「無知な人」が「にわかには信じがたいDVモラハラ話」を聞いた場合、全員が全員「違和感を覚え」る以上の反応をするわけではない。よく知らないことに対して何かの判断を下すことなど普通は出来ないからだ。本当なのかな?と疑念が出たとしても、一足飛びに「この人嘘つき」とはならない。

無知ゆえに相談内容に違和感を覚え、嘘で大袈裟だと思った。ここまではいい。誰でもあり得ることだ。問題はその先。①なぜこの相談を取り上げると決めたのか②記事を誰が何人が読んでチェックしたのか③最終的にOKを出した人間は誰なのか。WEB記事とはいえ個人ブログではない、書籍化もされている人気コンテンツである。本人以外の複数人の目を通るし、実際の記事アップに至るまでプロセスはそれなりにある。これ、無知だけが原因なのか?

幡野さん個人の問題には触れない。多分ああいう記事を書くに至った事情はあるのだろうが、それこそ私には計り知れないし、本人が向き合うしかないだろうから。だからやはり編集者側の責を問う。謝罪文は謝罪文としてあれでいいのかもしれないが、こうなった経緯は企業として改めて具体的に語るべきなのでは?無知だったから、認識が甘かったから、というザックリした言葉だけではクリエイターが背負った荷物を引き受けられないし、再発も防げないだろう。

相談者がいてはじめて成立するようなコンテンツにも関わらず(しかも相談者は高確率で自社の顧客だ)、このようなことが起こった根は相当深いように思える。DVモラハラというセンシティブな案件だったから露見しただけで、同様のことは以前からあったのでは?この相談者さんの時だけ急に対応がおかしくなったとは考えにくい。それこそ真摯に、誠実に掘り下げていってほしいところだ。

物語の再構築

前の記事で、私はこの件に対して「物語を否定されたように感じた」と書いた。何でそう思うのか、書いた時は今一つ形にできなかったが、今は少し見えた気がする。人気クリエーターとその担当編集者が、投稿者の語る「物語」を否定し小馬鹿にしたという事実は、noteやcakesの「創作を楽しみ継続していくことで人生を豊かにするという物語」を少なからず毀損した。営利企業である以上、建前というのは理解しているけれど、何と言うかふいに楽屋裏を見せつけられて白けた感といいますか。

noteやcakesが会社としてこれからどうやって、どっちの方向に「物語」を再構築していくのか想像もつかないが、一人の人間に「これ以上傷つきたくない」と言わせてしまった罪は上書きせず、常に見えるところに置いてほしい。人の書く文章というのは絶大な力があり、ウェブ企業はその力をさらに増幅させる装置と手段を持っていて如何様にも出来る、という怖さも自覚していてほしい。その上で、ふわふわなハリボテではない本物の「物語」を創り出せるかどうか、ネットの片隅にてひっそり眺めていようと思う。

余談。

スッキリしたかどうか何だかわからなくなってしまったが、とりあえずこの件についてはこれで打ち止めとします。最後まで読んでいただいてありがとうございました。

「文字として何かを残していくこと」の意味を考えつつ日々書いています。