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コロナ禍で仕事をする場所の制約がなくなった今、地元に帰って思ったこと

2022年10月、6年半ぶりに住処を東京から故郷に移した。
家事全般は母がやってくれ、仕事はフルリモート。
引っ越してくる前は、東京の会社に席を置いて、ゆっくり仕事をしつつ、好きな地元で生活の基盤を作って、30代を生きていこうかななんて思っていた。
しかし、実際住んでみると、なんだか考えていた感じとは違った。

あれ? もしかして私、ここに住みたい!という大きな気持ちをそれほど持ち合わせていないのかもしれない……。
そんな気持ちを抱くようになっていた。

東京から戻ってくるのは地元に初めてではない。

大学進学を機に18歳で上京をした。
振り返ると、最初の2年は大学生活に慣れるので精一杯で、「東京」という街がどんなところなのか感じる余裕もなかったように思う。
上京1年目に電車のなかで2回スリに遭った。高校進学の記念に頑張ってお金を貯めて買った財布がなくなり、すごく心細かったけど、東京が嫌だなと思うことはなかった。
今思うと、嫌だと思う余裕もなかったのかもしれない。

明確に「地元に帰ろう」と思ったのは、3年生になって新宿でアルバイトを始めたことがきっかけだった。
毎日目が回るような人の数のレジを打ち、一生で1日に触れ合える人の数の限度いっぱいを体験したように思う。
大した会話をしていなくても人と接触するのはストレスだ。
そのストレスが限界値に達した私は、自然と「4年生はサークルも引退して、大学の授業も少ない。狭いのに高い家賃を親に払ってもらうのも申し訳ない。地元からも頑張れば大学は通えるし、就職は地元でしよう」と考えるようになった。

そうして、地元に帰ったものの、実家でもいろいろあって住んでいるマンションは定員オーバーで居場所がなかった。地元ではやりたい仕事が見つからず、初任給も低い。母にも「大学を卒業したら自立してほしい」と言われ、東京で就職することにした。

それから6年が経った。
2020年1月に転職をし、山手線沿いの職場まで徒歩で通える家に引っ越した直後、新型コロナの流行で在宅ワークを余儀なくされた。
在宅で働くことを想定していなかった狭い部屋はストレスで、地元に戻ればこんなに高い家賃を払ってストレスの溜まる家に住む必要もないのにな……と考えることが増えた。とはいえ、別に地元に帰ってわざわざワンルームを借りるよりは、家賃補助が出ている今の家に住んだほうがよい。引っ越しするのも大変だし……とモヤモヤしていた。
一方で、リモートワークと働き方の変化により、自律神経を崩して長期の体調不良にも見舞われていた。

そんなときに母から「こっちに帰ってくれば?」と言われた。
私にとって、就職するときに言われた「大学を卒業したら自立してほしい」という言葉は一種の呪いのようにこびりついていて、それまで「実家に戻る」という選択肢は頭になかった。
実家に戻っていいならと会社と交渉し、フルリモートでの勤務を許可され、地元に帰った。

それまでずっと職さえあれば地元に戻りたいと思っていた。
しかし、実際地元で生活をしながら仕事をしてみると、今までなぜ地元にこだわっていたのだろうと思うようになった。

食事を用意するのは母なので、スーパーには行かない。それ以外の買い物は基本通販で済む。フルリモートなので、母がいないとしたらそれはそれで食品も通信販売を頼るような気がするなと思った。
結局、現物を見て買いたいようなものが売っているお店は東京にしかなくて、東京に遊びに行くときに買い物できるようにする。
地元の友だちはほとんど没交渉なので、結局友だちと遊ぶのも東京だ。
見知った街なので、散歩するにもおもしろさがないし、田舎なので夜はちょっと危ない。
ちょっとでかけるだけで母にどこに行くのか聞かれるし、帰りが遅くなるだけで心配される。

自分は外に出る用事がないといつまでも引き込もれることもわかった。

実は、コロナ前は半年以上、関東地方から出れないと発狂しそうになっていた。
大学時代、サークル活動で日本全国いろんな土地を回っていた。
東京にいて、毎日家と職場の往復という生活に感じる閉塞感を、見知らぬ土地に行くという非日常で払拭していたのだ。
だけど、コロナが流行し、気軽に旅行に行けなくなって、自分本来の出不精の性格が全面的に顔を出すと、「旅行に行く」にはどうすればいいのかわからなくなってしまった。

20代最後の1年を目前にして、このままでいいの?と焦るようになった。
世界はコロナが収束し始め、海外旅行に行く人も増えた。
大学の卒業旅行の際に作ったパスポートは、「就職してもたくさん海外に行けるように」という願いを込めて10年有効のものにしたのに、それ以来一度も海外に行けていない。リミットはあと3年だ。

じゃあいっそ、全然知っている人のいない土地に行ったらどうなるのだろうと考えるようになった。
本当に社会生活を送れなくなりそうなので、仕事は変えて現地に職場があるようなところで。

たとえば、日本なら京都とか。
歴史が好きなので、古い街並みが残る地域や歴史的建造物が好きだけど、京都は大学卒業以来行けていない。
西日本で、関東からだと交通の便が悪く、行きたいと思っているのに行けていない土地がたくさんあるので、関西に住めばそういうところにも行ける。

もっとヨーロッパにも行ってみたい。
英語が苦手で、金銭的な理由で語学留学も諦めた経験があるので、海外に住むということに憧れがあってもずっと踏み出せずにいた。
でも、ヨーロッパを巡るなら、限られた休暇とお金を使って毎回日本から渡航するするより、一度ヨーロッパの国に住んで回った方が効率がいいよなと考える機会が増えた。
ヨーロッパの文化を知って、実際に住んで、暮らしている人たちと交流して、自分の知らない世界のことをたくさん知りたいとも思う。
日本語が恋しくなるだろうから、永住は難しいかもしれないけど、数年住むだけでも、得られるものは多いはずだ。

特定の土地に住んで、仕事をし、家族を作り、自分の基盤を作っていきたいという考えも大事だと思う。
でも、今働く場所は自由になりつつある。
幸い私は、結婚の予定もないし、子どもが欲しいという願望もない。
なら、もっと自由に生きてもいいのではないかと思うようになった。自由に、そのときの気分で住処を変えて生きていきたい。

#どこにでも住めるとしたら 」、私はとりあえず興味の赴くままに、身軽にいろんな土地に住んでみたい。
そして、いつかここに一生暮らしたいという場所に出会えたら、そこで最期を迎えられたら幸せだ。


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