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あなたの哲学をもちなさい。

「音楽」を魅せてくれた先輩は先生ふくめて
「指南」だなと想う。

よく誰に教えてもらったのかとか
指導受けたのか聴かれることがあるけれど
「指導」というより「指南」の感覚。

星に向かっていくような感じ。
ひっぱられるのではなく、歩み向かう感じ。


「その人に習えば私もそのようになれるのか」的に
「指導者」について聞かれることがあるが

(なぜかクリスタルボウルのパフォーマンスで
聴かれることが多い
クラッシックの世界では殆ど聴かれない)

私は指導者のコピーではないし
誰かのコピーでもなく
私の哲学の中に生きていて
私の哲学のなかで選んだことを行うだけだ。

例えばクリスタルボウルを演奏していて
その先の憧れの星や指南は
庭に咲くひまわりの存在だったりするし

やっていることの先に憧れの星はあっても
私は私にしかならないので
結果、自分自身の哲学が指導指南である。

だから
上記のような質問が理解できない。

それは命の抜け落ちた質問だからかもしれない。
あなたの哲学ではない質問だからかもしれない。


人生のなかで、
自分の生きる世界から多様な星の光を眺めて
その美しさを感動を、
自分をもってまた誰かに語るように表れていくのは

音楽からでも音楽からじゃなくても
ダンスでも映画でも本でも自然でも
友人との語らいの中にも在る。

今日という雨の音にも、雨の冷たさの中にも在る。
それは今日あなたの人生を変えるほどの力がある。
それを信じる?信じない?

世界の垣根を外すほうが
先の質問の存在はもっと大きな意味を持つ。

「何があなたをそのようにさせているのか」
という質問が
一番理解できる。

私の「先」に居るもののことより
私やあなたがどのようにこの地球で
創られていったのだろうかということ。

私の興味もそこ。


あなたの光のはじまりを観たいの。
何があなたを動かすのかを。

私の表れは、私が見た光を私の中で蜜にするから。
あなたの表れは、
あなたの見たひかりをあなたの中で蜜にしているから。

私は私でしかないし、あなたはあなたでしかない。

私はあなたになれないし、
あなたは私になれない。
だから世界は存在していて
お互いの蜜を光として生きる循環が存在してる。

それが私の持つ、地球や宇宙との付き合い方。
音を通して表れることも
生きることを通して泣き笑うことも。

あなたはあなたであれ。

私は私の哲学を持っています。

あなたはあなたの哲学をもちなさい。

誰かの信じているものではなく
あなたが信じているものを
あなたが見ているものを
あなたの真ん中に置くことを。

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