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何にでも否定的だから大企業へ行くことにした

僕は必ず否定から物事を考えてしまう。今日もキングオブコントを見たが、正直面白いという感情より、「何であのネタやらなかったのだろう」とか「ここでその点数をつけるかよ」と思ってしまうのだ。まるで雨の日のどんよりとした雲のように暗く深い気持ちが底にある気がする。

心の中ではそんなことを思っていないのに口に出てしまうのである。少し高級なお店に彼女とデートに行った時も「美味しいね」と言われるとなぜか「うーん。もう少し味が薄くてもいいかもね。」なんて言ってしまう。そして後で思い返して何を言っているのだと後悔するのである。そんな自分が大嫌いだ。なぜこんなことを言ってしまうのか。「見栄」「拒絶」「懐疑的」「批判的」「人と違う自分でいたい」「慢心」...。様々な言葉が出てきたが正直どれも自分の耳にすんなりと染み込んでこなかった。だから今回書く文章はそんな自分の心の底にある気持ちを覗くために書いている。自分の深層心理なんて、開けてはいけないパンドラの箱かもしれない。だが、きっと僕のように何か日常に対してモヤモヤしている人もいるかもしれない。そんな人にとって何かヒントになれば嬉しいし、これを機に自分がどういう考えのもとにアクションを起こす人間なのかを知るきっかけにしたい。

何かにずっと怒っている。そう怒っているのだ。

考えてみると僕が物事に対して暗い面から見つめるようになったのは青春を捧げた「剣道」が大きく関わっているのかもしれない。武道は心がそのまま映し出される水面のようなものである。自分に対して「恐れ」や「疑い」を少しでも持っている時に勝てるような競技ではない。僕のバイブル、「グラップラー刃牙」でも屈強な地下闘技場の戦士たちにとって恐れは禁物である。古来、「武道」は生きるか死ぬかの闘いである。そんな剣道をやるときに僕は常に感じていた感情は「怒り」である。それは相手に対する怒りでもなければ、厳しい稽古をつけてくださる先生に対しての怒りでもない。自分に対する怒りである。

人一倍努力をしても勝てない。どんなに工夫をしても勝てない。そんな壁にぶつかったとき、僕の前に現れたのは自分に対する激しい怒りだった。そこからかもしれない。自分以外のものに対しても怒りがいつしか否定的な考えになっていったのだと思われる。
インターハイ予選のときも怒っていた。自分が絶対に一本を取ったと思った技が相手の強豪校のネームバリューに負け取り消されてしまった。社会人になってもきっとこんなこと山ほどある。僕は高校生の時点でジャイアントキリング、一発逆転、ジャンプの主人公みたいな話なんて空想の世界だけだ。そう決めつけた。

何もしない自分が嫌い。とりあえず動いてみた。

僕の特徴として出会った人のほとんどに言われることがある。「忙しい人」。自分で言うのもなんだが僕は常に動いていないと気が済まないマグロのような人間である。スケジュール帳は菅総理大臣以上に緻密に組まれたスケジュールにしたいし、空白があると虚無感に襲われてしまうからである。そんな僕は大学1年生になり、特にやることもなく始めたのがネット広告代理店のインターンである。「1年生から意識高いね。」「私にはできない」と言われることがあるが、違う。動機は本当に何となく暇を埋めたかったからである。理由づけなんて後で良い。動機も理由も後から作ればそれは自分の物語になる。僕は毎日朝ごはんを食べるときくらい何も考えずに働き始めた。そこでの仕事はテレアポ。一日50件を軽く超える荷電を行なったが成果が出ない。そこでも僕は自分に対する怒りで爆発しそうだったのだ。

マイナス思考ってそもそもいけないの?

私の母は「頑張れ」という言葉が好きではない。人間生きているだけですでに頑張っているのである。運動会で必死に走っている人に対して鞭を打つように「頑張れ」という声援をおくる事に対して僕自身も幼いながら違和感を覚えていた。本当に頑張っている人は多分「頑張らなくていいんだよ」と言われたり、隣で並走してくれた方がホッとする。

そもそもマイナス思考っていけない事なのだろうか。ものは良いようで僕はマイナス思考とは捉えていない。僕自身は「超慎重派」と考えている。時には石橋を叩きすぎて壊して飛び越えることもあるが笑

僕が就活を考え始めたのは恥ずかしながら3年の12月である。広告業界を考えている人からしたら遅すぎると避難を浴びても無理はない。なぜ僕はこんな遅くから就活を始めたのか。それは就活をする気が無かったからである。僕は1年生から通っていたインターン先にそのまま内定をもらっていたのでそこで働くつもりだった。しかしそのインターン先の内定を辞退し、クリスマス前に突然辞める。青天の霹靂であった。理由は2つ。

大好きだった広告が嫌いになった

僕に働くことの喜び、成長する実感を与えてくれたのは「広告」である。初めてアポイントが取れたときの喜びは今でも忘れない。それからの出社は毎日が、クリスマスのサンタさんを待つ子供くらいワクワクしていたのを覚えている。しかしそんな広告が嫌いになってしまったのである。それはたった一言で僕の心を変えた。大学のゼミでの教授の一言。「広告は嘘つきな仕事」という言葉であった。広告はクライアントありきの仕事である。しかしそれが私たち消費者にとって本当に幸福な結果になる施策とは限らない。その頃僕が働いていたインターン先ではインフルエンサーマーケティングが主流になってきておいて、インフルエンサーにコスメなどを紹介してもらう施策が主に行われていた。自分の中でもこの広告が私たち消費者にとって幸せではないのではないかという疑問が生まれてしまったのである。実際、僕自身インスタグラムやYouTubeを見ていて広告が出てくると「鬱陶しい」と感じてしまう。そんな僕が仕事を続けていて良いのか。と僕の中で咲いた疑問の種がやがて大きく成長してしまったのである。

尊敬できる人が会社を辞めたから

貴方の人生を変えた人物は何人いるだろうか。僕の人生を変えてくれた人、共に走ってくれる人は沢山いる。その中でも一目置いて尊敬していたのがインターン先の部長であった。部長は大学を中退し元は土木の親方。そこから税理士事務所で働き広告の営業マンになるという異色の経歴を持っている。僕の知っている限りここまでバイタリティがある人にまだ出会っていない。
大学1年の冬、どうしてもアポイントが取れず、仕事が嫌になりインターン先を1ヶ月以上ばっくれたときがあった。今思えばとんでもないインターン生である。

そんなときに真っ先に声をかけてくれたのは部長である。ただのインターン生にである。「川上くん、今度ご飯行こうよ。」

部長は僕がバックれた話には特に触れず、自分がどうして今の仕事をやっているのか。仕事に対してどういった姿勢で臨んでいるのかを話してくれた。そして最後に一言。「川上くんなら大丈夫だよ」と言ってくれた。その一言のおかげで僕は会社での仕事を続けることができた。そんな部長が突然会社を辞めてしまったのである。自分で起業し会社を経営すると。僕の中での一つの柱がポッキリと折れてしまった。
そんな二つ理由があり、僕はインターン先に退職を願い出た。当然夏のサマーインターンなんて内定が決まっていて行く意味がないと思ったし他の企業のことなんて一ミリも考えてもいなかった。でもそれ以上に。それ以上に自分の中での「何かが違う」。それに突き動かされて辞めたのである。

俺、まだ勉強したいわ

というわけで、僕が今までやってきた仕事全てを否定して0になった川上青年は何を考えたのか。

答えは「それでもまだ広告業界で働きたい」である。僕に様々な考えをもたらせてくれた広告、何良り僕が一番キラキラした環境で働ける業界である「広告業界」で働きたいと思ったのである。広告が嘘つきなんて言わせなければイイ。俺が作った広告で世の中を変えてやりたい。これは今でも思っている。
そう考えたときに出てきた気持ちがもう一つある。それは「広告についてもう一度勉強したい」ということであった。インターン先を辞めて、広告について学習をする中で、インターネット以外の媒体での潜在能力、可能性を自分の中で確信していった。新聞だってテレビCMだってまだ死んでない。むしろ進化している。だからこそ様々なメディア媒体をジャックして消費者に喜びを届けられるような「大企業で働こう」と思ったのである。
別に世の中否定的に生きてたっていい。それを俺が証明する。


僕の就活中の話についてはまた今度。最後まで読んでいただきありがとうございました。





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