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明倫茶会「船鉾を支える」

六月に入ると、京都の四條烏丸通り周辺の鉾町はにわかに賑やかになります。七月一日の吉符入りから七月三十一日の夏越祭りまで一ヶ月にわたる祇園祭りの準備が始まるのです。夕方になると、コンチキチンとそれぞれの鉾に独特の祇園囃子が聞こえてくるようになり、四條通りにも提灯が吊され、祭りの雰囲気が一気に盛り上がります。

しかし、大変残念ながら、昨年に続き今年もまた17日の前祭と24日後祭の山鉾巡行は中止となりました。コロナ感染の状況によって変更もありますが、今年は概ね居祭りとして八坂神社を中心に各山鉾町内でそれぞれ祭事が執り行われることになりそうです。

だいぶ前のことですが、明倫茶会(2010年6月26日)の席主を務めたことがあります。お題は、「船鉾を支える」。ちょうど、祇園祭の吉符入り直前の梅雨時でした。当時、京都市芸術センター長であったT先生の要請を気楽に引き受け、長年参加していた祇園祭の船鉾車方とその車輪をテーマにしようと決めたものの、わたしは茶会に疎く、経験がほとんどありませんでした。
そこで、高校以来の友人で、茶人でもあり、製茶販売を手がける老舗の役員をしていたYさんを頼り、お手伝いをお願いすることにした。期日が迫るにつれ、祇園祭のテーマにふさわしい設え(しつらえ)や茶道具を思案し、老舗の菓子屋に生菓子の相談をしたり、もろもろの準備を始めました。「船鉾を支える」物語を紡ぐ作業を存分に楽しんだのです。

京都室町界隈はいまでも呉服や織物問屋が並んでいます。「京の着倒れ」を代表する町です。明倫小学校は、明治初期の室町の旦那衆が自前で建てた番町小学校でした。いまでは京都市芸術センターとして京都の新たな芸術活動を支援しています。茶会当日は、玄関に船鉾の車輪一対を飾りました。広く重厚な趣きの講堂を六曲の白屏風で仕切り、待合から茶席に到る露地を見立てました。待合では、祇園祭、船鉾、そして車方の映像や囃子を趣向にしました。洛中洛外図屏風(福寿園蔵)を床の設えとし、花生けに見立てた大羽(車輪の部材)のほぞ穴に時の花を生け、自作のささら青竹を敷きました。椅子式点前「立礼式」に、鉾の車輪の軸受け(コシキ)一対を立てて置き、水平に木板を渡して点前座を設えたのです。その軸受け部に電熱ヒーターを仕組んで茶釜を置き、さらに、3本の矢をコシキのほぞ穴に、他端を大羽、小羽一対に差し込んで茶碗を置く棚としました。車輪の木組みを一部再現して、その仕組みがわかる工夫したのです。

茶席は、一席が一時間程度。40人ほどの客人を一度にもてなします。お客が席に入り、Yさんと席主のわたしが水屋から出て挨拶したのち、金屏風を背に点前座に座ったYさんが点前を始めます。客人にお菓子が振る舞われ、その後、薄茶を楽しんでいただきました。その間、車方の衣装を着けたわたしは、点前の進行を気にしながら、茶席の設え、さらに祇園祭の船鉾を下から支える車輪や車方の仕事ぶりを話題にもっぱら話すのです。茶席がお開きになってからも、参会者は立礼の設えを鑑賞し、屏風や生花を楽しんでおられたので、二人でお相手をして客人との会話を楽しみました。

一方、水屋の裏方は大変です。大勢の客人のお茶を点て、お菓子や薄茶を運び、また引いて、次の準備にかからねばなりません。友人とわたしの家族、親族まで引っ張り出されました。このように振り返ると、準備から当日の茶会までそれなりに大がかりなこととなりましたが、楽しく、そして、また思い出深いでき事でした。

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