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口にしなくても困らないことを敢えて口にする

今から話すことが、「本当の友人」や「親友」を定義づけるものだと言いたいわけではない。

彼女を思い出すのは、
彼女の誕生日であったり、年末や年度末なんかの“節目”のような時であったり、
束の間のほっと落ち着いた時間に「あぁ、私今何をしたいんだっけ」と心に問いかけるような時であったり、
気が乗らない飲み会終わりに過去を思い出したりするような時であったりする。
つまり、普段はそうそう思い出さない。

だけど、人に「大切な友人は」と問われれば間違いなくいの一番に名を挙げるし、
何となく他の友人と一線を画す存在であることは疑いようがない。

そんな彼女は今東京で働いていて年に数回会えるかどうかだ。

1年か2年前に二人で飲んでいたときの会話がなぜか印象に残っている。

彼女がお手洗いに立つ時、スマホを席に置いたままだった。そのことに思うところがあった私は、彼女に理由を尋ねた。

彼女曰く、「相手との時間を中断することへの配慮である」、と。
「すぐ戻るよ」「あなたを信頼してるよ」という気持ちを表す行為である、と。

驚いた。
というのも、私も同じ理由から、携帯を置いたまま席を立つことがあるからだ。
軽い衝撃と心地良さを感じた。

私たちの「携帯放置」は一種の気遣いではあるものの、そのことが相手に伝わるわけでもなく、そう、自己満足だ。
だけどもその自己満足の行為に込めた気持ちを披露することができるかどうかが分かれ目なのだ。

「携帯忘れてたよ」と言われれば、「あ、本当だ」で終わることだ。
何も言われなければ、何も言わずに終わることだ。

だけど、ひょっとしたら気を遣ってやったことなのでは、ということには、
自分自身も同じような思考回路を持っていないと気付かない。

彼女とは、例えばこういう思考回路が似ている。

その他にも彼女と似ているところはたくさんある。

基本的には人のせいにしないところ。
しっかりしている様に見えて、抜けていたりズボラだったりするところ。
きつい方、険しい方を選びたくなるところ。
「親しき仲にも礼儀あり」という考えを重視しているところ。

でも違っているところも同じくらいたくさんある。

人生における「安定」に対するこだわりは、私と彼女との違いの一つだろう。

それに、似ているところの中にも強弱が存在する。

きつい方、険しい方は、きっと私よりも彼女の方が何度も選んできた。

だからつまり、類似点や相違点の多い少ないで、彼女の特別感を説明することは難しい。

それよりもこんなことがあった。

馴染みのバーで2人で飲んでいた時、壁に掛けられた絵画を何の気なしに眺めていた。
確か、和室に女の子が座っていて、10センチほど開いた障子から満月が覗いている、みたいな絵だった。

絵に込められた意図が気になり、
「なぜ障子が開いているのか」「なぜ満月なのか」といった類の問い掛けをしたところ、
彼女は自然と「女の子の心模様を表現しているのかも」「主人公は女の子のではなくて月なのでは」(この辺りのやりとりはうろ憶え)と返してきた。

何てことない対話だけれど、この手の、いわゆる「感性」をさらけ出すやりとりというのは自然にはできない。
場の雰囲気にそぐわなかったり、相手が全く興味がない可能性があったり、してもしなくても大勢に影響がない話だったりするからだ。

唐突に芽生えた疑問や感情。
その中でも取るに足らない(と思われがちな)、個人的なもの。
大人になったからには、相手との関係性の中で、蓋をしたり表現を抑えたりすることができるようになっている。

だけど彼女に対してであれば、口にしたくなるのだ。
口にしてみたくなるのだ。
自分の感性を自由に表してみたくなるのだ。
例えば「携帯放置」に込めた気遣いであったり、
例えば店内の絵を見て芽生えた取り留めのない疑問だったりを。

そして私も同じように、彼女の感性を自由にする存在でありたいと願っているのだ。

似ていたり似ていなかったりということよりも、
このことの方が余程彼女との関係を表現できているように思う。

#親友 #女友達 #人生

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