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凶器を持っていることを知っていなくては

2年前に結婚してからというもの、いつ新しい命が宿っても構わないと思っていた。

それから数ヶ月過ぎると、両親や親戚からやんわりと孫を急かされるようになった。

結婚して1年が過ぎる頃になると、自分の身体の特徴やバイオリズムについて詳しく調べ出し、自然妊娠に対する“焦り”を認めるようになった。

普段の生活は相変わらず忙しくお酒や夜更かしと縁を切ることも本意ではなかったため、極めて緩やかではあるものの、一種の「妊活」に足を突っ込んでいた状態だ。

友人の妊娠・出産の報せを耳にし、おめでとうと声をかける度に、「羨ましさ」が顔に出ていないか気にするようになった。

その頃になると夫婦の間でも明らかに「子が欲しい」ムードが流れ出し、
その一方で私は人知れず「もしも2人の間に子が出来なかったら」ということを想定し、未来図を描いたりもしていた。

その後、何度か産婦人科にお世話になり、幸運にも新しい命が宿った。
その瞬間、それまでの1年半のうやうやは一旦脇に置き、出産に向けた生活の変化が起こった。

親戚や仕事先への報告、必要品の整理、食事や睡眠といった生活習慣の改善、定期的な診察
、産休・育休に向けた引継ぎ準備などなど、自分と赤ちゃんのためにやることがたくさんあった。

妊娠をする前と後では、関心ごとが大きく変わる。
そのこと自体は不思議なことではなくむしろ当然だ。

だけど私は知っておかなければいけないと思う。というより、忘れてはいけないと思う。
「妊娠」に関わるあらゆることが、ある人にとっては凶器になる。

こんなことを考えるのはとても独りよがりで驕ったことなのかもしれない。
だけれど、子を授かったことによる純粋な喜びや不安な気持ちを発する時は、一層の注意が必要だということを、自らの経験からよくよく知ることができた。

この時代、世の中には様々な選択をする人がいる。
結婚しない選択。
子を作らない・産まない選択。
そのどちらが幸せなのかは本人にしか分からないし、周囲に与えられた選択肢は「尊重」しかないだろう。

そして世の中には、子を作る選択をし、今の時点では子が宿っていない人もいる。
もしかしたら明日宿るかもしれないし、ずっと宿らずに夫婦2人で生きていく決断をすることになるかもしれない。
必要以上に周囲が気遣う必要もなければ、まして憐れむ必要なんてないだろう。

だけど、私にはあった。
お願いだから今この瞬間だけは「孫の顔を見たい」とは言わないで、と思うことが。
お願いだから今この瞬間だけは「子が産まれた大変さ」を語らないで、と思うことが。
お願いだから今この瞬間だけは「産むなら早い方がいいよ」なんてアドバイスをしないで、と思うことが。

きっと子が欲しい人なら誰にでもふと訪れるそういう瞬間の存在を、決して忘れず、蔑ろにしない人でいたいだけだ。

試合に勝った人は、負けた人の前でも大いに喜びを表現してもいいと思う。
試験に合格した人は、落ちた人が目にするSNS上でも、大いに自慢してもいいと思う。
負けたり落ちたりした悔しさは本人が乗り越えるべきことで、勝者が気を遣ってケアすべきことではない。

妊娠についても似たような考えは可能だ。

だけど妊娠は、ある人には何の努力もなく訪れ、ある人にはどんなに努力しても訪れない。
余りにもセンシティブで、個人的で、神聖なことだからこそありのままの感情を表現することが出来ない。
孤独で終わりが見えない。自らの存在意義を強く意識する闘いだ。

その大事さ加減をしっかり分かっている人でいたいだけだ。

言葉は凶器になる。
誰もが凶器を持っていることを、分かっておくことが重要だ。

#言葉 #妊娠 #出産 #妊活

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