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品川宿

東京に暮らしていたころ、私は品川にいました。
当時書いた文章を少し手直しして公開します。
誰へ向けるでもない、かといって自分宛でもない、小説でも詩でもない、だけれど大事な文章でした。



問答河岸の碑から路地を駆け下りると船だまりにカモメが数羽遊び飛んでいて、それをはらう様にトットットッと煙を巻いて小さな船が宿に止まった。西日が水面に乱反射して赤い舳先が揺れていた。
海の匂い。これは生き物の死臭であるらしい。

あの日。するりと白鞘から引き抜かれた刀身は、その謂れを誇るかの様に、或いは恥じるかの様に、今日に“伝わっていない”史実を表すようにまっさらに光っていた。

「これはーーーが武功を立てて、その褒美としてお殿様から賜ったもので、畏れ多いとあまりに大事にしすぎて、終ぞ人を切ることがなく今に至ったんだよ」

今日は特別だ、と悪戯っぽい笑みをしたおじさんはそう言って、懐紙を口に咥えて頷く私に、その何だか高貴な刀を持たせてくれた。ゆっくりと、慎重に、そっと揺らすと、刀身に光の粒が走って、切先で弾けて消えた。

ただの一度も血を浴びていない、何者かを切るために生まれたはずだったこの切先に、この傷一つない指先をすべるように這わせてみたらどうなるだろう…

曰く「品川は死の匂いがする」。
いつからともなくそう言われているのだと、いつだったか誰だかに聞いた。なんて美しい一文だろう。
 生きることと死ぬことについての物語がこの細く長く続く街には数多ある。広く親しまれているお噺。誰にも知られていない悲劇。遊女のような軽やかさのない私だって、ひとりではここから飛び立てはしない。伴ってくれる好い人はいない。泳げない私にはおあつらえ向きであるのに。

時折黒い背広や黒いワンピースを着た静かな人達が翳る街を静かに行くのを見掛ける。
街道の道幅は何百年も変わらずせまく緩やかな曲線でどこまでも続いているようで、けれど建物は日に日に高さを増していっている。
太陽が傾くと空の明るさだけが頼りなので街は終始鈍い光で包まれ、いつでも朝のようにぼんやりと澄んだ空気をしている。
建物の隙間から気紛れに降ってくる光は閃光のように眩しくそこだけが季節を取り戻していて、枯れかけた植木の影を濃くシャッターに落とす。

日頃悩みの尽きない身体には、あの真剣はあまりに鮮やかすぎた。少しでも触れあえば白磁のようなこの肌につうっと血がしたたってすっかり赤く染められただろう。
真っ新な刀身に私のこの血を浴びせてみたかった。はじめてをどうか私にくれてほしかった。どんなに浅ましく暗い感情だって赦される気がした。無機物に劣情を懐くなどどうかしている。
“彼”にはもう会えない。会わせてくれたおじさんは一時預かっていただけのようで、今は別の誰かのものになってしまった。大事に仕舞い込まれて世界の終わりまで誰にもその美しいからだを晒さないかも知れない。或いは美術館にでも所蔵されたなら私はそのからだを見て“彼”だと気付けるだろうか。鈍く鋭い光は未だ心のどこかでちらちらと瞬いている。

境内から楽しげな声がする。
鮮やかな着物を重たげに着込んだ幼い子を、誇らしそうな目をした大人達が囲んで笑っている。遠い轟音に振り返ると飛行機がせまい街道の空を横切っていく。頭は冴えていながら視界がはっきりとしないでいる。瀉血でもしてみようか。
何かが始まっていく気配が確かにある。死の芳しいこの街でさえ。この身にさえ。引き換えこの真っ新な指先は今も行方をさ迷っている。

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