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雑談こそ宝物の時間だ
とあるカフェでボーッとしていたとき、まだ生後3ヶ月ぐらいの赤ちゃんを連れたママが並んでいた。少し肌寒い日だったから早く帰って家でゆっくりしなよ、とおもうひとの視線もいくつかあるなか、わたしは違ったんだ。なぜなら息子を連れて散歩をしていたとき一瞬の隙にカフェに入ってひとり紅茶を飲むことが束の間のリセット時間だったことを経験しているから。だからママが赤ちゃんが寝ているすきにカフェに並ぶ姿は共感しか無かった。
寒いなか並ぶママを見ていて一緒に話したい自分がいた。
いや、せっかくのひとり時間だし見知らぬひとだから話しかけはしないけれどなんとなくなんでもないどうでもいい話しを一緒にしたかった。
つまり、雑談をしたかった。
何も手伝ってあげられないけれど子育てならやってきた(やっている)。
今もこの記事をとあるご飯屋さんで書いているけれどわたしの座席の下にくじ引きの紙が落ちていてそれを店員さんが気付き
「あらー、さっきの男の子が忘れて行ったんだわ!せっかく当たったー!って喜んでいたのに」
と言って「あら、そうだったんだー!」なんて言って少しだけ店員さんと雑談をした。何回も通っているからかわたしのことを覚えてくれていることも影響しているけれど、なんでもない普通の雑談でほっこりすることがある。悩みを持ってくるよりも話していたらいつの間にか悩みが見つかってスッキリしていた、のほうが面白いとおもうんだ。
わたしは八百屋さんをやりながら気学を使った個人セッションも仕事にしているけれど、ときどき何も相談はないけれど、ただどんなひとなのか会いたくて来ました!というひともいる。あら、そうですかーという感じでそれこそ雑談をして一緒にお茶を飲んで帰っていく。そうするともう友達のような感覚におちいって仲良くなるケースもある。
こんなことを書くとコミュニケーション能力が高いように思われるかもしれないけれどどちらかと言うと心のドアは常に鎖国状態。土足で入られようものなら即座にドアを閉める。だけど、流行りものの影響で不要不急は避けて!なるべく人と会わないで!zoomで!便利でしょう!という世の中にどことなく疲れ果ててしまった。やっぱり直接会って話せた時の安心感は格別。もちろんzoomで話すのも面白いときはあるけれどリアルの熱量には敵わない。
ということで、そのうちただ雑談をするだけの「一緒にお茶でもどう?」という企画でもやりたいな、とおもいながら先にnoteではわたしの雑談を垂れ流して行こうとおもいます。有料noteはこれまで通り垂れ流すには世間的にむずかしいことやマニアックなこと気学のことやプライベートなことを書き、こちらの雑談はただ雑談を書いていきます。気持ちの断捨離。何か捨てないと入ってこないということは百も承知なので気持ちの断捨離をしながら。
自社ブログも書いているので3つもメディアを増やして大丈夫か?という疑念も抱きつつも言語化することで脳内がスッキリするので雑談という方法を使った脳内整理の戦法です。
そのうち、一緒に美味しいお茶でも飲んで雑談でもしましょうよ。雑談は必要で緊急です。
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