つれづれ4 自己表現すること


横浜のめぐみ

#clubhouse

「表現すること」っていうのを今年の自分のテーマにしたんだけど、それはめぐちゃんからのアドバイスもあってとにかく自分の中身をアウトプットしていこうと思ったの。 noteはこうしてめぐちゃんにお声かけしてもらって昨年末に始めた訳だけどタイムリーにclubhouseというまたnoteとは別の表現方法の場が最近巷では話題だよね。先ほどめぐちゃんのルームに呼んでもらって初めて参加してみたけれど、とにかくドキドキした!

それでまぁ終えてみての感想としては「相手の表情が見えないのがきつい」

みんなも同じだと思うけど、表情を見て声色を感じて相手の考えてることをわかろうとするじゃない?そのひとつが奪われるのってこんな感じか!ってまず新鮮な驚きを感じた。長電話とか昔よくしたけれど、それはよく知ってる友達だからどんな顔して話してるのか声色でなんとなくわかるよね。だけど初対面の人と顔見えない状況で話すのってこんな感じなのか!ってなかなか使わない部分の感覚を使った気分だった。

最終的にめぐちゃんともその後のlineで「書くこと最強」ってことで落ち着いて、今その勢いでこのnoteを書いてるんだけどね。なんか自分の安住の地である「文字で表現すること」からちょっと遠くに来た気がして、落ち着きたいのかも。海外旅行の後にお味噌汁が無性に飲みたくなるみたいな感じに似てる!
それで改めて自己表現と更に相手の自己表現をわかろうとすることについて考えてみたの。私は障害のある子供たちの施設で働いているけれど、言葉で意思を表現できない子供たちのことは、表情や触れた時の筋肉の緊張とかでその子供たちの意思を読み取ろうとしているの。相手の表情から考えていることや意思を読み取ることが日常の私にとってはclubhouseはかなり自分の使ってない感覚を刺激される気がしたわ。

それから私はやっぱり文字で自分を表現することを重要視してきたなと改めて気付けたしね。友達と会って話が足りなかったなって時に後からlineで補足したり、相手を元気付けたいと時とか言葉だけじゃなくてあえてお手紙やメールでも送ったりとかね。大昔は、当時なかなか会う時間が取れなかったお付き合いしてた人と交換ノートもしてたしね。

私の自己表現は「書く」ってことが大きく占めているんだな、向いてるんだなってわかったのが大きな収穫だった。

めぐちゃんにとっての自己表現も書くことが大きく占めていると思うけれど、私の中でめぐちゃんがよく言ってる「紙に書く」。紙=神。っていうのを最近よく書くたびに思い出してるよ。めぐちゃんにとって書くことは浄化と前にnoteにも書いてあったけど、それは今も変わらない?めぐちゃんの自己表現方法についても聞きたいなー

ある意味この2人の共同マガジンも自己表現のひとつだものね。
それから、めぐちゃんは夢でのお告げみたいなものとか、ある場所にいってなにかを感じたりだったりする感覚が優れているけれど、それもある意味「表現」と繋がってるのかなって思うの。何か大きな力だったりがめぐちゃんの中で何かを伝えようと表現してるのかなって。その辺ってどんな風に感じたりするのかなってぜひめぐちゃんに教えてもらいたいな。

沖縄のめぐみ

顔を見るということ

はじめてclubhouseでroomを開いてみた率直な感想は

「疲れた」

いや、ただ単純に肉体が疲れるというのとは訳が違って大好きな友達や初めましての人と話せることは新鮮な感動があって嬉しいんだけれど(Instagramだけのお付き合いだった場合リアルに声を通して話せることは新鮮)顔をみることができない、というのは本当にしんどかった。

めぐちゃんが書いてくれているようにわたしも対面の個人セッションでもオンラインでも「顔をみて話す」ということが仕事なわけで。笑って話していたとしても、その裏にはものすごい悲しみが隠れていたり葛藤だったり表情の裏にもメッセージがあるとおもって話しているからどうしてもclubhouseは表情が読み取れなくてしんどかった。場をまわさないと!とかマニアックな内容だっただけに面白くしないと!というところにも氣を張り巡らせていたから余計疲れたのかもしれない。

もちろん使い方によっては為になるような配信もあるから一概に「clubhouseはしんどい」とは言い切れないけれど表情を見ることを重視して生きてきたから新鮮な気づきだったね。自分の「書くこと」や「相手の表情を見ることへのこだわり」が明確になった。こうやって新しいものを触るといろんな気づきがあるから面白いね。

めぐちゃんが教えてくれた「話せない障害のある子たちの表情や触れたときの筋肉の緊張で読み取る」という言葉は何だか強烈。下の記事は、わたしのホームページに掲載しているブログなんだけど父が亡くなってから一番悔やまれたことは「もっと触れておけばよかったな」ということだったのね。だから、めぐちゃんの仕事でも触れるという行為はやっぱり人間のコミュニケーションにおいて大切なことなんだなと痛烈に感じた。

めぐちゃんからの質問にあったこの件。

めぐちゃんは夢でのお告げみたいなものとか、ある場所にいってなにかを感じたりだったりする感覚が優れているけれど、それもある意味「表現」と繋がってるのかなって思うの。何か大きな力だったりがめぐちゃんの中で何かを伝えようと表現してるのかなって。その辺ってどんな風に感じたりするのかなってぜひめぐちゃんに教えてもらいたいな。

通常、夢で見ただけだからスルーするような出来事もわたしの場合はあまりにもリアルに感じるからスルーしないで実際に行動に移すことは大切にしているの。例えば沖縄移住もそのひとつ。「2020年も7月は東京に住めない」なんてメッセージが聴こえて実際に沖縄に引っ越すなんて普通じゃないよなーと我ながら思う(笑)でも、そんな些細なことも見逃さない。自然の中に入ると時折そういうメッセージを感じることがあるけれど「次はあそこに行きなさい」とか。そういうこともスルーせずに実際に行く。

その行動の先に大切なことを感じたりするからもしかすると何か大きな力や大いなる神的なものの表現なのかもしれないね。でも、ただ単純にわたしは面白くて行動しちゃうんだよね。先を見通すとかではなくて「あれ?楽しそうだから行っちゃおうかな?」みたいな。スピリチュアルだからどう、とかそういうことでもなく楽しそうだから行動すると面白い人との出会いがあったりね。

行動も自己表現のひとつかもしれないね。


小林めぐみ   河合めぐみ

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