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祖母が胃がんになったとき


当時わたしは東京に住んでいたので祖母の胃がんはおばから知らされる。正確にはおばと父の会話で知るんだけど電話越しに報告されるそれは深刻なものだとすぐにわかった。

なにが深刻って、祖母の胃がんというよりも祖父が一升瓶を抱えて毎晩飲んでいるということ。わたしは東京にいるから夏休みや冬休みなどの長期の休みにしか福島の祖父母には会わない。だけど、それしか知らなくても祖父が一升瓶を抱えて毎晩飲んでいるという状況は小学3年生ぐらいのわたしにも深刻なことがわかった。

胃がんは手術をすればなんとかなるとして、祖父が毎晩飲むほどに落ち込んでいるというのが意外だった。どれだけ喧嘩してもやっぱり夫婦のどちらかが病気になるというのは落ち込むものなんだな、なんてあっけらかんとしたわたしだったけれど今夫婦を営む身になるとそれがよくわかる。面白いのは結局胃がんになった祖母よりも不安で毎晩飲んでいた祖父のほうが先に死んでしまったこと。いや、面白いと言ったらバチがあたるのかもしれないけれど。

おばと父の電話の光景がいまだにときどき浮かぶ。なぜだろう。それにしてもそのときの両親の年齢が今のわたしよりも年下なのかとおもうと余計にエモい。

なんか、年々大人って幼くなっていないか?とも思う。昔の30代と今の30代、40代も50代も時代が違うと言えばそれまでだけどどうも自分を鑑みても幼く感じてしまう。

家族で父の実家がある山形に遊びに行くとき帰り際に父は祖母に「はい」と言っておそらく1〜2万円のお小遣いらしいものをさりげなく渡して祖母が「ありがとう」と受け取る光景を見てきた。あれは父が何歳のときだろう。福島の祖父母がそれぞれ別々にわたしと妹にお年玉をくれるときも「はい」と言って父が祖父母にお年玉を渡す光景を見てきた。別に山形でも福島でも祖父母がお小遣いやお年玉を催促していたわけでもないが普通に渡す父の姿に「そういうものなんだ」とどこかで安堵していた。

そしてわたしは現在43歳。当時の父のような親孝行は出来ているのかなぁと考えると自分が幼すぎて恥ずかしくなる。いつまでも子どもで居ていいのよ、と思う優しい人もいるかもしれないけれど確かに自分の子どもたちのことを想像しても別に子どもたちからお小遣いが欲しいわけでもないし「いつまでも健康にいてくれたらいい」というのは正直な気持ちだ。だけど、自分は幼いと悩むのは別問題。親孝行を考えるだけマシなのかもしれないけどね。

偉そうに子どもに人生論を語ることもあるけれどまだ中身は子どもで、あの頃の父の年齢を越えていると思うとあちゃーと顔を覆いたくなる。あの頃の大人たちががんばってくれたから今までどうしようもないことに悩む時間を作れた。時代は良くなっているんだ、と思いたいけれどあの頃の大人たちがいたから良くなっている。じゃあ、わたしたちはこれからの子どもたちにどうしようもないことに悩む時間を作ってあげられているのだろうか。むだで若いからこその悩みでどうしようもないことで悩む時間を。生活のためだとか今後のためだとか年金があてにならない未来のことを悩ませる時間ではなく。ただ、むだに悩む時間を。


世の中にはなんの保証もなく常に死と隣り合わせだ。突然大きな病気をするかもしれないし、仕事を失うかもしれない。なによりもいつまでも若くない。身体は老いていく。それが自然の摂理。だからこそ生きた先にはリレーのバトンのように年々若い人たちに受け渡していくものがあるんだとおもう。それが伝統だったり行儀だったり日本のおくゆかしさだったりするんだろう。


いつまでも小学3年生ぐらいで止まっている精神年齢をそろそろ高校生ぐらいまでには成長させたいな…とおもう今日この頃。好きなことをして生きた先に見える世界はきっと若いひとたちにバトンを渡すようなそんな静かな時間なんじゃないかな。そんな時間に差し掛かるのはいったいいくつぐらいなんだろうね。

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