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しか問題

この頃、特にネットの記事やSNSの書き込みで、「~~しかない」という表現をよく見る。

この頃というか、二三年前からか。

~~しかない、というのは、例えば誰かにとてもよくしてもらって、「感謝しかない」という風に使う。

心からの感謝、混じりけのない感謝だから、「~~しかない」というのもわかる。

「ただただ感謝するばかりです」という表現もあるし。

でも、昨今の「~~しかない」の使い方は、例えば大好きなアイドル、俳優のかわいい、あるいは格好いい姿を見て、「尊さしかない」といった風に使われる。

その時、本当に表現者は「尊さ」しか感じないのかと疑問に思う。

「大好き」、「格好いい」、「拝みたい」、「(できれば)付き合いたい」、「ずっと見ていたい」、「そのままでいて欲しい」、「他の人のものにならないで欲しい」、「素敵な人とカップルになって欲しい」等々、「尊さ」以外にいくらでも感情が湧いてきていると思う。

そういう無数の気持ちに蓋をして、「尊さしかない」と言ってしまうのは、思考を制限してしまうのではないか。

もちろん、色々な気持ちが渦巻いているのはわかっていて、でもひと言で書くなら「尊さ」となっているだろうことはわかる。

けれど、何を見てもそういった一つの表現だけに頼ってしまっては、思考を限定する癖が付いてしまうのではないかと思う。

色んな気持ちが湧いて来たけど、「尊い」と言っておけば簡単だし、それでいいか、と。

思考はもっと自由なもの。限りないもの。縛られないもの。

「~~しかない」と書く前に、自分の胸を覗き込んで、「尊さ」以外にもっと適した、もっと強い感情があるのではないかと探してみたほうがいいのではないか。

そうでなければ、思考を限定する癖がついてしまい、他に良策があるのに、最初に思い付いたことを「これしかない」と思い込んでしまうかもしれない。

それは危険なことだ。

自分も意識しなければ、「~~しかない」と書きがちなので、自戒のためにもこう思うのでした。


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