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簡単に揺らぐじぶんだけの感覚をグっと守る

自分には自分なりの感覚がきちんとあって、その感覚を大切にしたほうがきっといい——。

と、思ったことが最近いくつかある。

それは、
❶意識せずに別の県の同じお店で服を買っていた
❷感覚的な人間性という理由で面接が不採用だった
❸ネットで偶然見つけたよいと思った詩が国語の教科書に使われていた
❹4,5年前に買った本がいつのまにかベストセラーになっていた

この4つである。

❶ 意識せずに別の県の同じお店で服を買っていた

私は、大分県と愛知県によくいるのだけれど、両県のショッピングモールにあるいくつもの洋服店から心の動くままに選んだ服が、同じ系列のお店だったことに最近気づいた。

いつも、ブランド名は見ていないし、たしかあの場所に——という感覚で選んでいた。

けれど、惹かれるものが場所を変えても同じということは、自分の“よい”に対するブレない感覚をきちんと持っているのだ、と思った。

感覚的な人間性という理由で面接が不採用だった

就活。三次面接後のフィードバックで、
「あなたは感覚的な人間性で、その感覚を大切にしているからこそこれまでの人生を進めてこれている。そこが魅力。けれど、そこがうちに合わない。」と不採用だった。

悲しかった。
けれど、たしかに——とも思った。

何年も日記を書いているからか、自分の“違和感”にとても敏感で、自分が何を感じているのかがすぐに分かる。だからこそ、その感覚を磨いていきたいと心の底で思っている。

それが、今回の不採用理由を聞いて、他者からもそう見えているのか——と、なおさら再確認できてなぜか嬉しかった。

ネットで偶然見つけたよいと思った詩が国語の教科書に使われていた

noteを始めてから、書くことが驚くほど面白いことに気づき、“言葉”や“文章”についてネットで調べていた。そこで、茨木のり子さんの『自分の感受性くらい』という詩にたどり着いた。

「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」

この言葉は、かっこよく、強く、刺さるものであり、なんとよいものか!と心が動いた。

そのため、この感動を高校生のいとこに伝えてみると、どうやら国語の教科書に載っているらしいことが分かった。

この詩が有名だとは全く知らなかった。
けれど、自分が偶然見つけて“よい”と感じたものが、国語の教科書を作るような素晴らしい人たちの感じる“よい”、と同じであったことに対して、驚きであり嬉しくも思った。

4,5年前に買った本がいつのまにかベストセラーになっていた

山口周さんの『エリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか』、國分功一郎さんの『暇と退屈の倫理学』。

この2冊を数年前に選んだときは、本屋さんの棚の、たくさんある本の中のたった一冊にすぎなかった。
けれど、今日本屋に行ってみると、いつのまにか目立つ場所に山積みで置かれていた。どうやら、多くの人が読んでいるらしい。

あのとき、“なんかいいな”と思って選んだものが、多くの人に読まれている。偶然かもしれないし、今だけかもしれない。けれど、もしかして、自分の感覚と同じ人が社会に増えてくれたのかもしれないと思うと、嬉しかった。


そのようなことが日常の中にあり、もしかすると自分の感覚はこれからも大切にした方がよいのかもしれない、と思った。

VUCAといわれる時代だからこそ、
じぶんの感覚が外部から揺さぶられないよう、
きちんと大切に守っておきたい。

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