大事なもの

あの頃、間違いなく私の1番大事なものは『演劇』だった。

初めはほんのちょっとした成功体験で、楽しくなってその道を歩み始めた。表舞台に立って、話すのは苦手な方ではあったけれど、何故だか役に入るとすんなり立てて、失敗したこともあるけれどフォローしてもらいつつ努力をして、経験を何度も何度も積んだ。その度に何度も何度も達成感を感じて、どんどん楽しくなってのめり込んだ。

尊敬していた先輩に認めてもらえた。
「アイツはなかなか褒めないんだよ」と他の先輩から教えてもらった。
大会で、元々よりもいい役をつけてもらった。
そういえば、ある先輩にその時期に付けてもらったあだ名は、今では友達にまで浸透している。

あの頃の私は、間違いなく思っていた。

『ここが、ここだけが私の居場所』

『演劇しかないんだ』

でもいつからだったのだろうか。

尊敬していて、努力を認めてくれた先輩が卒部したときからだろうか。

初めて任された主役の公演の後、自分を労う人の少なさに、準主役ばかりに人が集まる様子に、妙な虚しさを覚えた時からだろうか。

でもまあ、確実に、私の中で"何か"が変わっていった。

多分いつの間にか、ハムスターが回す滑車か何かの中に入り込んでいたのだと思う。

前に、進まなかった。進めなかった。

演劇をしていて、いやそもそも部活をしていて、妙にイラつくことが増えた。
もっとこうすれば、もっとああすれば……少々、いやかなり。私には、発言力が足りなかった。

それでもとりあえず副部長で、自分のやれることは精一杯やっていたつもりで、でも前年度と何かが違う。違和感が拭えない。オマケになんでこんなに何かわからないものを抱えているのか。それすらもさっぱりわからなかった。

演じる役も、先輩としての振る舞いも、副部長としての対応も、ちゃんとこなしているつもりだった。でも、恐らくそれはやっぱりつもりに過ぎなくて、いつも怒られた。

『前言ったことをしっかりやってない』
『もう忘れたのか』
『正直お前のお守りはやってられない』『あんただけ、何も変わってない』

どうすればいいのか分からなかった。ひとりっ子で、友達も多い方でなかった私は、上手い助けの求め方すら知らなかった。わけも分からず、1人で、ただひたすら滑車をカラカラ回していた。

でも、手を差し伸べてくれる人がいた。

『大丈夫?』
『ここはこうしたらいいかも』
『落ち着いて考えよう』
『お疲れ様』

その人のおかげで、私はようやく気づいた。自分がよく分からない滑車を回し続けていることに。

でも気付いた時にはもう遅かった。疲労困憊だった。もう色々と、ボロボロだった。

体調が優れない日があった。声が出ないもあった。いつも一緒に帰る同期や友達のことをほっぽり出して、黙って先に部室を出たこともあった。でも帰れなくて人通りのない階段でひとしきり泣いて、下校時刻を過ぎて帰ったこともあった。

でもいつも、手を差し伸べられる。でも迷惑かけられないなと思って、なのにいつの間にか人を頼れるようになっていて、だから何もかもを話してしまって、誤魔化して明るく振舞っていたはずがどうしようもなくなっていて、最終的に泣いていて。

困った時、真っ先に頼る人がいつの間にか出来ていて、辛い時、相談したい人がいつの間にか出来ていて、苦しい時、胸の内を打ち明けたい人が出来ていた。

いつの間にか、演劇部は、私の居場所ではなかった。もう別の誰かの居場所だった。無理にいる必要もないと思った。同じ価値観で笑えないのは、あまりにも寂しい。

私の今の居場所は、私が困った時に真っ先に頼りたいと思う、辛い時に相談したいと思う、苦しい時に胸の内を打ち明けたいと思う、そんな人の所にある。間違いなく、そう思う。

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