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アクティブラーニングみたいなやーつを四十数年前にしていた小学校に通っていた、あと一番最後に東京の悪口

もし以下に描くことが表題のそれとは違うぞ、ってことでしたら指摘してくださいませ。

私の通っていたのは北海道は札幌の小学校、ただのどこにでもある市立の小学校、ただ、何かの実験校だったようですべてのことが特殊だった。

まず、宿題というものを出されたことが六年間で一度もない。夏休み冬休みも、普段の授業でも学校から宿題を出された記憶がない。学校ものの漫画単行本(例えばドラえもんののび太が宿題終わらないよう、みたいなシーン)をみて、そういうのが一般的に世の中にあると想像は出来たが、そこに出てくる「宿題に追われる小学生」というのに全く実感がわかなかった。

まったく宿題の出ない、そういう教育システムを採用した、公立では珍しい実験的小学校だった。その学区に住んでた子は、たまたま運よくその教育を受けることが出来た。国語算数理科社会、一斉講義方式ではなく、学習項目の個人研究→グループによる討論と演習発表→教師によるまとめ講義、という形をとっていた。小学校1年から6年までそれ。

私の小学校から途中で転校した子から手紙が来て、新しい小学校では、授業は、先生がずっとしゃべっている講義形式で私のやってきた形じゃなかった、って書いてあった。

アクティブラーニング方式のような教育を試験的にやってたのが私の出た小学校で、四十数年前にそれが行われていた。いま図をみたら、アクティブラーニングピラミッドと私の小学校のそれとはとても似ている。

あと、体育の時間に着替えなどしなかった。みんな普通の服でやってた。だいたい体育のある日はジャージでいくことが多かったが、ジーンズのままでも何も言われなかった。あの小学校の体操着、みたいなものは一度も体験していない。東京に引っ越して小学生の運動着とかブルマとかをみて「なんだこのドイナカは。これで首都なのかwwwドイナカだなウケる」と思った。

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