私にはこの程度でよい
スピーカーケーブル、1mで10万円の商品がある。アンプからスピーカーまでをつなぐ線で音が劇的によくなる変化するという。実際に測定したところで、数字的なものの変化こそあれ、人間の耳にその変化が感じ取れるわけもないほどの違いしかない。
以前ピュアオーディオ系雑誌で数百万のアンプやデジアンでのブラインドテスト企画を行い、接続左右逆だったとか、純粋なブラインドテストになってなかったとか、悲惨な実験結果だったのだけど、そこで値段の高さと耳に届くよい音との相関関係がほぼ無い、みたいな結果になって、ピュアオーディオ板でのそれらのオカルト認定は決まった。
その他「ゴールドムンド事件」とかいうのが十数年前にあった。
音楽評論家に吉田秀和という方がいる。私は信頼できる批評家と思っている。彼が生前「オーディオ機器はある程度のものでいいんです。超高級高額のものは必要ない」というておった。私は吉田秀和派なので、アンプの中の配線に1m数万円のものやスピーカーケーブルに1m十数万円のものは使わない使う必要がないと思っているが、世の中にはオーディオのために自宅敷地にマイ電柱を立てて音のよさを追及したり、スピーカーに貼り付けるオカルトグッズにはまる人らがいる。
五味康祐のオーディオ環境はものすごく金のかかる、巨大なスピーカーをはじめとするものだった。中にはちょっとおかしな批評もあるが文豪としてなかなかよいことを書いている部分もある。
前回「そこには存在しないがそういう感覚を感じてしまった体験」を書いた。オーディオ界にもそれはある。オカルトとかたづけない。その金を出しただけ、自分で工夫しただけ、以前よりよい音になるような現象はある。社会心理学系でそうなっている。確かにその人にはよい音になってる。そういう方面の人らを否定はしない。彼ら彼女らにとってはとてもいい音なのだ。
繰り返すが私は吉田秀和派なので「ある程度でよい」と思っている。ただし、音が最後に出てくるスピーカー(イヤホン・ヘッドホン)の音の違いは確実にあって、以前、リスニングルームまで作ってたそこで各種スピーカーをセレクターを用いて聴き比べると違いははっきり分かった。安物は音がよろしくない。まあこれもある程度のものでいい。私は吉田秀和派だから。
家電量販店にピュアオーディオの視聴ブースがある。いやほんと確かによい音に聞こえる。きっとあそこだからよい音に聴こえるのだろう。自宅に設置にしてもそれほど実感はわかないと思う。
いまのところ、気に入ったスピーカーとデジアンで十分満足している。高額なものはない。あるとすれば毎回映り込んでいるラックスマンのCDプレーヤーくらいだろう。そんなに違いも分からない。私にはこの程度でよい。