仕事に完成はないから適当にやれ【オーバークオリティの罠】
こだわり出したら仕事って完成がないんですよね。
例えば、誰にも見せることのない計算用のエクセルシート。見映えを良くするために色を調整したり、フォントを変えてみたりと、あーでもないこーでもないって。そこに2時間でも3時間でもかけることはできるんです。でも…
僕らの時間って有限ですよね?
そんな作業ばっかりやってたら、他のことをする時間がなくなるんですよ。いや、誰も見ないエクセルの見映えを良くする意義も少しはあるんですよ?
テンションが上がるとか…
いやいやいや!バカにしてるわけじゃなくてそれが必要な人はそれをしたら良いんですけど、大半の人にはいらないっすよね?少なくともぼくにはいらない。
でも、そんな仕事してることありません?
提出するための仕事
なんの検証もしないデータの端数処理にこだわるとか。
だれも参照しないだろう書類の推敲にこだわるとか。
不可解な仕事。
最初のうちは重要度がわからないので丁寧にやったりするんですけど、実はオトナの事情とかが絡んでたりするので「提出することに意義がある」みたいなものも多いんですよ。そんな場面に出会ったら僕たちができることは2つです。
①改善する
②適当にやる
もし、あなたに裁量があるなら改善しましょう。みんなハッピーです。なければ…
適当にやるしかありません。
適当にやるということ
いいですか?適当にやるんです。ただ、ここでいう適当とは「テキトー」ではありません。
必要最小限の仕事という意味です。
相手が求めているクオリティ以上にこちらが「これがある方が良いかな?」とか考えて付け足す必要はないということです。
それはオーバークオリティ。
最初の例で言えば、自分以外だれも見ないエクセルを「だれが見てもわかる」にしても意味がないんですよ。自分が見てわかれば良いんです。
まあ、実はこの話って色んなことに言えるんですよね。
オーバークオリティは色んなところに潜んでいる。
実際、どんなことでもオーバークオリティってあるんです。
パジャマにGUCCIのTシャツ着ないっすよね?????
UNIQLOのパックT着るじゃないっすか!
そーいうことなんですって!!!
オーバークオリティなんです
当たり前ですよね?
僕たちはパジャマ以外にも同じお金を使ってすべきことがあるんですから。
寝るときに服を着るという機能を満たすために金使いすぎ問題。
これねーー。
お金と生活の話だと当たり前だと思えるんですよ。でも…
なぜか時間と仕事の話になるとオーバークオリティが見えなくなってしまう。
本当は時間はお金以上に厳しいんですよ。だって、どんな人でも1日の時間は同じ24時間しかない。増やすことはできないんです。だから、「その限りある資源を何に使うのか?」ということを本当はよく考えないといけない。オーバークオリティなんか生み出してる暇はないはずなんです。
何に使うかわからない調査に時間を奪われて授業研究ができない。
事務処理に疲れ果てて笑顔で子どもたちの前に立てない。
そんなことはあっちゃいけないんです。
正直に言えばそれは「頑張っているフリ」をした怠慢だと思います。
それでもオーバークオリティは生まれる。
それでもオーバークオリティは生まれるんです。なぜか?
それはゴールを考えずに進むからです。
自分たちの時間を有限だと意識せずに「こだわりをもって」「できる限り」やろうとするからです。自分たちで区切りを決めずに、なんとなく時間切れでおしまいにする。そんなことって意外に多いんじゃないでしょうか。
もちろん、ただただクオリティを追求すべき仕事もあります。でも全てがそうじゃない。人によっても違うでしょう。だから線引きが難しい。
これに特効薬はありません。ぼくもよく終わってから「オーバークオリティだったなこれw」って思うことがあります。でもその発想を持たなければ改善されることもない。
結局、一つ一つ振り返っていくしかないんだと思います。
とはいえ、いくつか振り返りの視点はあると思っているので最後にそれを紹介して終わります。
最後に
「そのこだわりは生徒にとって意味がありますか?」
「そのこだわりを満たすより、もっと重要な仕事はありませんか?」
もし思い当たる節があれば振り返ってみてください。
自戒を込めて。
おしまい
(なんか今回の記事うまくまとまらなかった。また今度見直すかも。)
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