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タワマン立ったら貧しくなった//ネオリベの十字架



前回は「00年代の駅前ゴミ箱撤廃政策。それが企業と行政を潤し庶民を貧しくした」ことを述べた。
「テロとの戦いを口実に、00年代に日本でも駅前などでゴミ箱を撤廃する動きが広がった。
その動きによってゴミの管理処分コストが企業・行政から庶民に付け替わり、庶民が貧しくなった」

というのが前回記事の趣旨である。

駅前からゴミ箱撤収の狙い
短期的  ゴミ処理コストを庶民に付け替えて、企業と行政サイドが楽になる
長期的  ①コンパクトシティ化によって、企業が儲けやすい世の中をつくる
     ②MATANA大手企業群が個人情報を収集しやすい世の中をつくる

前回記事より

引き続き本日は、
ゴミ箱撤廃の長期的な狙いの一つ目、
「①コンパクトシティ化によって、企業が儲けやすい世の中を作る」について述べていこう。

イオンからタワマンへの即時回帰


00年代はイオンを象徴とする郊外型ライフスタイルが賞賛された時代だった。
かたや2010年代はタワマンを象徴とする駅近ライフスタイルが賞賛される時代となった。
この文脈において、
00年代の郊外部への人口流出は、駅前ゴミ箱撤廃によって不便になった駅前離れとも読み解ける。
さらに2010年代の駅近回帰は、駅前ゴミ箱撤廃によって綺麗になった駅近回帰とも読み解ける。

ここいらの経緯は下記記事が詳しい。

〜90年代 駅前商店街の時代
 00年代 郊外の時代
 10年代 駅近の時代

このように駅前から郊外、郊外から駅近と行ったり来たりでライフスタイルさんも慌ただしい。
このライフスタイルの右往左往の中で企業が儲けやすい世の中が作られてきているのだ。



コンパクトシティ化が企業を儲けさせる

本日の主題を確認して先に進もう。

ゴミ箱撤廃の長期的な狙いの一つ目、
①コンパクトシティ化によって、企業が儲けやすい世の中を作る

タワーマンションはコンパクトシティ化の象徴である。
効率よく人口を駅近に集住させる有力な手段がタワマンであり、効率を要諦とするコンパクトシティの中でタワマンが象徴となるわけだ。

ではコンパクトシティがなぜ企業の儲けやすい世の中となるのだろうか?

コンパクトシティは人々を一点に集中させる。
東京一極集中と言われた時代もあったが、それよりも密度の高い「一点集中」である。
人口密度が駅近において極めて高くなる。
タワマンは縦に人を何人も並べることが出来るからこの超密度が可能になるのだ。
こうしてコンパクトシティ化は東京一極集中を上回る密度を、日本の中小都市にもたらす。

人口密度が高ければ企業は儲けやすい。
例えば飲食店。
多くの飲食客が見込めるので利益率を下げても十分に利鞘を抜ける。
例えば鉄道会社。
多くの乗客が見込めるので運賃を下げても十分に利鞘を抜ける。
結果、
「安くて良いサービス」の提供が駅チカでは可能になる。


他方においてコンパクトシティ中枢部から取り残された郊外はどうなるのか?
郊外は人口密度が低くなっていくので、飲食店も鉄道会社も多くの客数は見込めない。
だから安価な価格設定は出来ず、高い価格でないと利鞘を抜けない。
結果、
「安くて良いサービス」の提供が郊外では出来なくなる。

このように、
「安くて良いサービスのコンパクトシティ」
「高くて程々のサービスの郊外」

という峻別が出来てくる。
するとますますコンパクトシティへの人口集中が進み、郊外ではさらに企業が儲けられなくなり、企業の撤退が相次いでいく。
こうしてコンパクトシティへの人口・企業流入と郊外からの人口・企業流入という趨勢が完成する。



すべてはゴミ箱から始まった。

コンパクトシティ化が郊外から中小都市中心部への人口並びに企業の移転を促すことは既に述べた。

では、
そもそもなぜこうなってしまったのだろうか?

それは駅前のゴミ箱を撤廃したことが端緒である。
00年代初頭に「ゴミ箱はテロの原因となる」を金科玉条として駅前のゴミ箱がどんどん撤廃されていった。
これにより、
行政と企業が負担していたゴミ管理とゴミ処分コストが庶民につけ変わったのだ。

つまり行政と企業が儲かり、庶民は貧しくなった。
確かに駅前はゴミ箱や周辺のゴミ散乱がなくなり綺麗になった。
だがその代償として郊外部でのゴミ不法投棄は後を経たなくなった。
つまりゴミを駅前から郊外に付け替えたとも書ける。


ここで思い出して欲しい。
00年代に郊外型ライフスタイルが推奨され、多くの人々が駅前から郊外に飛び出したことを。
郊外に飛び出した人々を追う形で駅前から追放されたゴミも郊外に向かったのだ。

〜90年代 駅前商店街の時代
 00年代 郊外の時代
 10年代 駅近の時代

こうして多くの人とゴミを郊外に追いやり、スッカリ綺麗になった駅近にはタワマンを中枢とするコンパクトシティが建設され始まる。
そして10年代に入ると、コンパクトシティ化により駅近の人口・企業密度が高まり利便性の良さから再び人々を吸収し始めたのだ。



コンパクトシティというブラックホール


コンパクトシティには行政施設も軒を連ねる。
図書館、市役所の出張所、公立病院、整備が異常なまでに行き届いた道路など各種インフラ・・・
人口、企業だけでなく行政施設ないしそれに類するものまで、コンパクトシティにはあらゆるものが集まってくる。
郊外に追放したゴミ以外のあらゆるものがコンパクトシティに集まってくると言っても過言ではない。
地方自治体の意志は選挙によって決定されるが、コンパクトシティ化が相応に進んだ現下にあっては既にコンパクトシティ側の意志が優先される。
なぜなら郊外よりも駅チカの人口が多いからだ。
だから政治的にもコンパクトシティ側有利な潮流は強くなっていく。

郊外が不便になり駅近が便利になる。
この潮流は多数決を旨とする民主政体のもとではもはや覆せない。




なぜ庶民は貧しくなったのか?

ここまでの議論により郊外が貧しくなったのは言うまでもないだろう。
では、コンパクトシティ化で駅チカの庶民は豊かになったのだろうか?

意外かもしれないが駅チカの庶民も貧しくなっている。
ここではそのメカニズムを説明しよう。

 効率上げたら雇用と所得が減った

コンパクトシティは経済効率を良くするのが主眼となっている。
郊外生活ではユニクロに行くのに1時間かかるものがコンパクトシティでは10分ですみ、
郊外生活では吉野家に行くのにガソリン1ℓを消費するがコンパクトシティではガソリンいらず、
郊外生活では通勤するのに2時間かかるがコンパクトシティならわずか30分たらず。
といった具合に衣食住移あらゆることの効率でコンパクトシティが圧倒する。
コンパクトシティではとにかく効率が良くなるのだ。
この効率の向上は、生活だけでなく当然ビジネスにおいても同じく向上している。

その結果、
それまで3人で行っていた仕事が3人以下で行えるようになった。
例えば、効率が3倍になったならば3人分の仕事を1人で行えるようになる。
すると3人のうち2人が仕事からあぶれることとなる。
経済効率が3倍に上がると雇用が1/3になるのだ。
つまり経済効率の上昇は雇用を失わせていく。

コンパクトシティとは経済効率を良くするスキームだった。
だからコンパクトシティ化は経済効率を引き上げ、それに伴って雇用を失わせている。

雇用からあぶれた人たちはより安い賃金でも働こうとするから、どんどん所得が減少していく。
こうしてコンパクトシティ化は雇用と所得を芋づる式に減衰させていくのだ。

 郊外の貧困

〜90年代 駅前商店街の時代
 00年代 郊外の時代
 10年代 駅近の時代

00年代に郊外に飛び出した人々は、駅チカへの企業回帰が進む2010年代に入ると生活の効率性が減衰していき貧困化していった。
00年代においてはイオンでの買い物が効率的だったが、駅チカにも大型ショッピングモールが林立する2010年代においてはイオンショッピングは効率的ではなくなったからだ。

 駅チカの貧困

2010年代に入り、駅チカはタワマンを中心にコンパクトシティ化して経済効率を右肩上がりで向上させていった。
その結果、
3人でやっていた仕事が1人で出来るようになり、余った2人は職を失ったり非正規雇用になり所得が減少した。

このようにして郊外の庶民も駅チカの庶民もどちらも貧困化していったのだ。




タワマン立ったら貧しくなった


タワーマンションを中心に据えたコンパクトシティ化は、
経済効率を向上させ企業利益を増加させている。

だが、この経済効率の向上にはここまで述べたように二つの弊害があった。

経済効率の向上 二つの問題点
①経済効率の向上が駅チカに集中し、郊外は経済効率が下がって貧しくなった
②経済効率の向上は、駅チカにおける雇用と所得の減少をもたらした

コンパクトシティ化によって企業は儲かりやすくなった。
その一方で、
庶民は郊外でも駅チカでも貧困化しているのだ。


なんのことはない。
2010年代から始まったコンパクトシティ化とは、庶民の富を企業に付け替えるイベントだったのだ。

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