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駅ゴミ消えたらタワマン立った/消えたゴミ箱の謎

駅前からテロの危険性云々でゴミ箱が姿を消したのが00年代。
駅近でタワーマンションが流行り出したのは2010年代。
駅近辺におけるゴミ箱の喪失とタワマンの林立。
この二つの事象にはどんな関係があるのだろうか。

結論を書くと、
企業が利益を出しやすい構造をつくるために、企業と行政が連携したのだ。
さらに短期的な狙いと長期的な狙いを峻別すると下のようになる。

駅前からゴミ箱撤収の狙い
短期的  ゴミ処理コストを庶民に付け替えて、企業と行政サイドが楽になる
長期的  ①コンパクトシティ化によって、企業が儲けやすい世の中をつくる
     ②MATANA大手企業群が個人情報を収集しやすい世の中をつくる


本日は駅前ゴミ箱撤収の短期的な狙いである「ゴミ処理コストを庶民に付け替えて、企業と行政サイドが得をする」について説明していこう。

駅前ショック・ドクトリン

ショック・ドクトリンとは災害などの混乱に乗じ、企業有利な社会を構築してしまう政策ないしそれに類するものである。
平たく書くならショック・ドクトリンとは「どさくさまぎれの金儲けスタートアップキャンペーン」だ。

このショック・ドクトリンは資本優先主義という価値観の世の中にあっては幾度となく行われてきた手口だが、「ショック・ドクトリン」と言語化されたのは2000年代に入ってからであり比較的新しい言葉ではある。

ショック・ドクトリン
・災害などの混乱に乗じ、企業有利な社会を構築してしまう政策ないしそれに類するもの
・どさくさ紛れの金儲けスタートアップキャンペーン

2001年9月11日に起こったアメリカ同時多発テロ事件を端緒に、テロの脅威が盛んに喧伝され世の中のありようが様々なシーンで変化した。
その1つが駅前の風景だ。
公衆トイレは見違えるように綺麗になり、本題にからむゴミ箱はすっかり姿を消した。
ゴミ箱があるとテロがやりやすくなるからという建前で、官民が一体となり駅前からゴミ箱を撤収していったのだ。

確かにゴミ箱の撤収はテロの発生確率を下げたのかもしれない。
だがそれ以上に明確に下げたものがある。

それは庶民の豊かさだ。



ゴミ箱の撤収が庶民を貧しくした


駅前にゴミ箱があると何かと便利だ。
出先で飲み干したペットボトルやちょっとした紙屑などを簡単に処分できる。
こういった外出先ででたゴミは外出先で処理してしまうのが1900年代末までの常識だった。
だが「テロとのたたかい」がそれを変えた。
今では外出先にゴミ箱はほとんどなく、ペットボトルは持ち帰るのが常識となってしまった。

1990年代の常識 外出先で出たゴミは外出先で処理する
2000年代の常識 外出先で出たゴミは家に持って帰って処理する

この常識の変化で誰が得をしたのだろうか?

まず企業が得をした。
企業はゴミ箱を管理するコストがいらなくなり、その分企業利益が上乗せできるようになったからだ。
次に行政サイドも得をした。
行政がゴミ箱を管理するコストが減少し、行政の財政に黒字バイアスがかかったからだ。

では、
この常識の変化で誰が損をしたのだろうか?

庶民が損をしたのだ。
庶民は外出先でゴミを処理出来なくなり、家まで持って帰るという労力コストとゴミを処分するための処分コストを負担しなければならなくなった。

ここまでの議論をまとめると、
00年代のゴミ箱撤去キャンペーンによって企業と行政が得をして、その分庶民がマルマル損をしたのだ。



ゴミ箱撤収という行政の怠慢


駅前からゴミ箱撤収の狙い
短期的  ゴミ処理コストを庶民に付け替えて、企業と行政サイドが楽になる

長期的  ①コンパクトシティ化によって、企業が儲けやすい世の中をつくる
     ②MATANA大手企業群が個人情報を収集しやすい世の中をつくる

本日説明しているのは、駅前からのゴミ箱撤収による短期的なやっこさんたちの狙いだ。
その狙いは「ゴミ処理コストを庶民に付け替えて企業と行政サイドが楽になる」というものだった。

だがこれは少し考えれば可笑しい話である。
何故なら、
行政とは庶民の暮らしを豊かにするのが職分であるからだ。
駅前のゴミ箱撤収政策は、ゴミ処理コストを庶民に押し付けて庶民の暮らしを貧しくした。
これは行政の職分・役割に逆行するおこないである。
だから駅前ゴミ箱の撤収は可笑しい話なのだ。



「外国ではみんなやってる」の罠


この2000年代に進められたゴミ箱撤収キャンペーンで吹聴されたフレーズがある。

「外国ではみんなやってる」だ。

外国では駅前にゴミ箱なんてないから、我が国日本でも駅前からゴミ箱をなくそう。
という論法でゴミ箱撤廃キャンペーンを推進したのだ。

だがこの論法も少し考えれば可笑しい。
外国の駅前にゴミ箱がないのは「貧しい」からだ。
後進国は経済的にも貧しいし、貧すれば鈍するで精神的にも貧しいからだ。
貧しい外国では庶民が貧しく行政に入ってくる税収も少ない。
だから駅前のゴミ箱を管理する余裕がなかったのだ。


他方、
日本は1960年からの目を見張る経済成長によって庶民も行政も豊かになり、ゴミ箱を駅前で行政管理できる余裕が生まれたのだ。
庶民が出し合った税金により駅前で出たゴミを駅前で処理してしまえる体制が整ったのだ。
これは地味ながら豊かさの象徴だったと言える。
それが何が悲しくて「(貧しい)外国ではみんなやってる」からといって豊かな日本でもゴミ箱をなくさなければならなかったのか。

しかもだ。
駅前のゴミ箱を無くした結果として、企業と行政が豊かになり庶民が貧しくなるという「日本の後進国化」が起こってしまった。
一体、我々は何をやっていたのだろうか。



駅前からゴミ箱撤収の短期的狙い

駅前からテロの危険性云々でゴミ箱が姿を消したのが00年代。
駅近でタワーマンションが流行り出したのは2010年代。
駅近辺におけるゴミ箱の喪失とタワマンの林立。
この二つの事象にはどんな関係があるのだろうか?

この問いから流れる形でここまで論を進めてきた。

駅前からゴミ箱撤収の狙い
短期的  ゴミ処理コストを庶民に付け替えて、企業と行政サイドが楽になる
長期的  ①コンパクトシティ化によって、企業が儲けやすい世の中をつくる
     ②MATANA大手企業群が個人情報を収集しやすい世の中をつくる

今回は、
駅前ゴミ箱撤収の短期的な狙いである「ゴミ処理コストを大衆に付け替えて、企業と行政サイドが楽になる」について解説した。
ゴミというのは地味だが生活必需品の中の必需品だ。
日の当たらない必需品である。
この必需品たるゴミを行政が管理できるまでに豊かになっていたのが1990年代の日本であり、そこから行政がゴミ管理を縮小して日本が貧しくなっていく過程が2000年代だったとも言えるだろう。

短期的な駅前ゴミ箱撤収の狙いについては解ってもらえたのではないだろうか。
次回以降は長期的な駅前ゴミ箱撤収の狙いについて説明していこう。

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